四部構成の四部すべてに驚きが待つ、法廷戦×謎解きの傑作ミステリ

 解 説
大山誠一郎 Seiichiro Oyama 




 本作『運命の証人』で、D・M・ディヴァインの邦訳は十二冊目(創元推理文庫では十冊目)となる。ディヴァインの長編は全十三作だから、未訳は一作を残すのみで、日本における人気ぶりがうかがえる。これまでの邦訳の解説で何人もの方がディヴァイン作品の特徴を述べているが、私なりにまとめれば、以下のようになる。

 (1)意外性のあるフーダニット。
 (2)シリーズ探偵が登場しない。
 (3)地方コミュニティでの、友人・恋人・家族といったプライベートな関係と職場の人間関係が微妙に重なり合った半身内(みうち)的サークル(『悪魔はすぐそこに』解説での法月綸太郎氏の言葉)が舞台。警察官もその半身内的サークルの一員であることもある。
 (4)恋愛・不倫関係や家族間の葛藤・不和・スキャンダルを含む濃密な人間ドラマと、それを支える丹念な人物描写。
 (5)失意の、あるいは窮地にある主人公の自己発見と再生。

 ディヴァインと同じ一九二〇年生まれでほぼ同時期にデビューした英国のミステリ作家にP・D・ジェイムズがいる(ディヴァインの第一作『兄の殺人者』は六一年、ジェイムズの第一作『女の顔を覆え』は六二年)。ジェイムズはアダム・ダルグリッシュという警察官のシリーズ探偵を作り出したが、ディヴァインはその方向に進まなかった。ディヴァインの人物造型の力量があれば魅力的なシリーズ探偵を作ることもできただろうし、作った方が執筆に便利なことも確かである。しかしそうせず、半身内的サークルの一員である一作限りの主人公が、濃密な人間ドラマの渦中で、事件の解決を通して自己発見と再生に至るという物語を描き続けた。それはなぜだろうか。
 半身内的サークルにおり、濃密な人間ドラマの渦中にあるということは、さまざまな思い込みや対人バイアス(法月氏の前記解説より)に囚われているということだ。そしてそれらが真相を覆い隠す役割を果たす。主人公は事件の調査を通してそうした思い込みや対人バイアスから解放されることにより、自己発見と再生を遂げるとともに事件を解決する。一方、シリーズ探偵の場合、毎作異なる半身内的サークルや人間ドラマの舞台を外部から訪れることになり、その分、囚われる思い込みや対人バイアスは少ないので、フーダニットの切れは劣ることになる。
 つまりディヴァイン作品では、「半身内的サークル」、「濃密な人間ドラマ」という要素に加え、「シリーズ探偵が登場しない」ことが「意外性のあるフーダニット」に貢献しているのだ。そして、思い込みや対人バイアスからの解放は、「主人公の自己発見と再生」をもたらす。これが、ディヴァインが手にしたフーダニットの技法である。P・D・ジェイムズも、半身内的サークルや濃密な人間ドラマという点では共通しているが、シリーズ探偵による外部からの視点によって思い込みや対人バイアスがある程度は相対化される分、意外性は減らざるを得ない。
 では、ディヴァインはこの技法をどのようにして得たのだろうか。明確な根拠があるわけではないが、アメリカの作家、パトリック・クェンティンから学んだのではないかという気がしてならない。クェンティンには『わが子は殺人者』(五四年)、『二人の妻をもつ男』(五五年)、『愚かものの失楽園』(五九年)といった傑作・秀作がある。これらではクェンティン作品のシリーズキャラクターであるトラント警部が(『わが子は殺人者』ではさらに、別のシリーズキャラクターであるピーターとアイリスのダルース夫妻も加わって)事件を解決するが、主人公は彼らではなく、一作限りの登場人物である一人称の語り手である。どの作品でも、主人公は職場の人間関係と友人・家族関係が微妙に重なり合った「半身内的サークル」での「濃密な人間ドラマ」の中、失意の状態、あるいは窮地に立たされた状態にあるが、事件を解決しようと動き回り、(自分の力によるものではないが)解決とともに「自己発見と再生」を遂げる。そして、「半身内的サークル」や「濃密な人間ドラマ」による思い込みや対人バイアスが、意外な犯人を隠している。これらの作品を読んだディヴァインは、さらに事件解決も一作限りの主人公に担わせることで、前述の技法に至ったのではないか。
 実際、ディヴァイン作品にしばしば登場する、二人の女性を巡る主人公の葛藤はクェンティンの『二人の妻をもつ男』を思わせるし、『ウォリス家の殺人』(八一年)における主人公と息子の不和(息子の側の誤解)は『わが子は殺人者』を思わせる。人称に着目すると、クェンティンの『わが子は殺人者』『二人の妻をもつ男』『愚かものの失楽園』は一人称視点であり、ディヴァインのデビュー作『兄の殺人者』、第二作『そして医師も死す』(六二年)、第三作『ロイストン事件』(六四年)、作者没後の刊行だが作中の年代から見てデビュー作とほぼ同時期に書かれたと推定されている『ウォリス家の殺人』もやはり一人称視点である。三人称多視点に移行するのは第四作『こわされた少年』(六五年)からだ。ここから、ディヴァインは初期にはクェンティン作品に人称の点も含めてまるごと影響を受け、その後、独自のスタイルを確立していったと見ることもできる。また、パトリック・クェンティンというのはリチャード・W・ウェッブとヒュー・C・ホイーラーの合作ペンネーム(途中からホイーラー独りが執筆。前述の三作はホイーラー単独になってからの作品)だが、二人ともアメリカに渡った英国人であり、その点でも英国人ディヴァインになじみやすかったのかもしれない。
 主人公は一作限りにするとしても、クェンティン作品のトラント警部のように脇役をシリーズキャラクターにすることもできるわけだが、ディヴァインはそうしていない。これは、ディヴァイン作品の舞台が、クェンティン作品のニューヨークのような大都市ではなく、小さな地方コミュニティだからだろう。脇役をシリーズキャラクターにしたら舞台は毎作同じになるが、同じ小さな町で毎作異なる主人公が窮地に陥るのは不自然である。だから、ディヴァイン作品の舞台は毎作異なり、脇役も再登場しない(例外は、大矢博子氏が『そして医師も死す』解説で指摘しているように、同作と『跡形なく沈む』〔七八年〕で舞台となったシルブリッジのみである。両作ともマンローという警察官が登場するが、大矢氏が書かれているように、年齢や階級の違い、そしてファーストネームの違いから見て別人だろう)。
 それでは、本作『運命の証人』に目を向けてみよう。本作は一九六八年の発表で、七作目の長編に当たる。本作から名義が本名と同じD・M・ディヴァインからドミニク・ディヴァインに変わったが、それを記念するかのように迫力に満ちた作品だ。
 まず感嘆するのはその語りの巧みさ。第一部はいきなり法廷場面で始まる。主人公のジョン・プレスコットが殺人罪(しかも被害者は二人)で裁かれているというショッキングな出だしだ。だが、誰を殺したとされているのか読者には伏せられたまま、六年前の回想が始まる。第一部の回想の最後で一番目の被害者は判明するが、二番目の被害者は第二部の回想に入っても依然としてわからない。現在、裁判にかけられている以上、回想の中のプレスコットはいずれ逮捕されるはずだが、どういう経緯で逮捕されるのかも不明のままだ。読者は、未来に待ち受ける破滅に向かって進む彼の姿を固唾を吞んで見守ることになる。また、第二部の回想は第一部の回想の五年後を描いており、第一部の回想で描かれた人物たちがその後、どう変わったかを知って、読者はさまざまな感慨に浸ることだろう。第二部の終わりで二番目の被害者が明かされ、そして迎えた第三部、物語はついに現在の裁判に追いつく。現在と過去を往還し、起きた出来事を少しずつ明かすというテクニックが、読者を物語に引き付けて離さない。ディヴァイン作品はどれも語りが巧みだが、本作はその中でもずば抜けている。ちなみに、本作は『こわされた少年』以降の三人称多視点ではなく三人称一視点(実質的に一人称)を採用しているが、これは、プレスコット以外の視点を入れないことで、追い詰められた彼の四面楚歌ぶりを際立たせるためだろう。
 そして、「半身内的サークル」、「濃密な人間ドラマ」、「主人公の自己発見と再生」という要素は、他作にも増してはっきりと現れている。特に、主人公の自己発見と再生は、裁判という苦境にあるため、かつてないほどの迫力を持つ。誰もに有罪だと思われ、審理に対して無関心だったプレスコットが、ある人物の証言で戦う気力を取り戻す場面は感動的である。思い込みと対人バイアスが意外な犯人を隠す役割を果たしていることは言うまでもない。
 ディヴァイン作品では犯人を特定する推理や手がかりはどちらかといえばシンプルなものであり、本作も例外ではない。だが、それまでの丹念な人物描写が伏線として働き、犯人はその人物でしかあり得ないという圧倒的な説得力を真相に与えている。ディヴァイン作品では、真相を覆い隠す人間ドラマは丹念な人物描写によって支えられているが、その人物描写は同時に、真相に説得力をもたせる伏線としても機能しているのだ。
 小説の力を活かし切った最良の本格ミステリ、それがディヴァイン作品である。未訳は残り一作、Death Is My Bridegroom(六九年)のみ。その邦訳と、かつて社会思想社の現代教養文庫で出されたきりの『ロイストン事件』『こわされた少年』の創元推理文庫での復刊を願ってやまない。



■大山誠一郎(おおやま・せいいちろう)
作家・翻訳家。1971年埼玉県生まれ。2002年「彼女がペイシェンスを殺すはずがない」をe-NOVELSに発表。04年には『アルファベット・パズラーズ』を刊行して本格的にデビューする。13年『密室蒐集家』で第13回本格ミステリ大賞を受賞。他の著書に『赤い博物館』『アリバイ崩し承ります』『ワトソン力』などがある。

運命の証人 (創元推理文庫 M テ)
D・M・ディヴァイン
東京創元社
2021-05-31


アルファベット・パズラーズ (創元推理文庫)
大山 誠一郎
東京創元社
2013-06-29