本書『地中のディナー』の背景となっているのは、イスラエルとパレスチナの長年にわたる紛争である。紀元一世紀以来、ユダヤ人は各地に離散して自分たちの国家を持たなかったが、第二次大戦後、ホロコーストによる多大な犠牲に寄せられた国際的な同情を追い風に、一九四七年、聖書で神がアブラハムの子孫に与えると約束したとされるパレスチナ地域をユダヤ人国家とアラブ人国家に分割、エルサレムを国際連合の永久信託統治とするというパレスチナ分割決議案が国連総会で採択。翌年、ユダヤ民族の長年の悲願であった国民国家イスラエルが建国された。だがアラブ側は分割案を受け入れず、直ちに第一次中東戦争が勃発。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という三つの宗教の聖地であるエルサレムを含むこの地域には、もともとさまざまな宗教、文化を持つ多様な民族が暮らしていた。だがこの戦争のときに多数のアラブ系住民が難民となって周辺各国へ流入、あるいはエジプトが押さえたガザ地区とヨルダンが占領したヨルダン川西岸地区へ逃げ込んだ。イスラエル建国は、アラブ系住民からは「ナクバ(大災厄)」と呼ばれている。


 六四年にはパレスチナ難民の抵抗組織、パレスチナ解放機構(PLO)が設立され、対イスラエル闘争を展開。六七年の第三次中東戦争ではイスラエルが大勝し、ガザ、ヨルダン川西岸、ゴラン高原、シナイ半島を占領。またも多くの難民が発生した。
 当初、イスラエルを打倒してのパレスチナ国家樹立を掲げていたPLOだが、八〇年代末にヨルダン川西岸とガザで起きた大規模な住民蜂起(インティファーダ)の頃から現実路線に転じ、パレスチナ全土解放ではなく西岸地区とガザを領土とする小国家樹立を目指すようになった。
 湾岸戦争後の九三年、オスロでの秘密交渉を経て、イスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長との間で「パレスチナ暫定自治に関する原則宣言」が調印された。この「オスロ合意」は、両者が「二国共存」を認める画期的なものであった。ここに九四年、パレスチナ暫定自治政府が発足した。

 やっと和平に向けての気運が高まったかに見えたのも束の間、パレスチナでは過激派ハマスが台頭、イスラエルではラビン首相が暗殺され、二〇〇〇年には右派リクード党首シャロンがイスラム教徒の管理する神殿の丘に上ったことがきっかけで第二次インティファーダが勃発、〇一年にはシャロンが首相の座について対パレスチナ強硬路線を取り、オスロ合意に基づく和平プロセスは事実上崩壊した。
 その後、アメリカ、ロシア、EU、国連が〇三年に和平ロードマップを提案、イスラエルとパレスチナは二国家平和共存を目指すことで合意。シャロン首相は〇五年にガザからイスラエル軍を撤退させた。だが〇六年、パレスチナの総選挙でイスラエルの生存権を認めないハマスが勝利するや、この一派をテロ組織と認識するイスラエルは態度を硬化。ヨルダン川西岸とガザとのパレスチナ人の往来を禁止した。以来、西岸地区は穏健派ファタハが、ガザはハマスが支配し、ガザとイスラエルは武力衝突を繰り返している。一四年、ファタハ、ハマス双方が認める暫定統一内閣が発足したものの、状況は変わっていない。
 西側諸国にもアラブ諸国にもそれぞれの思惑や利害の対立があり、東西冷戦の終結、湾岸戦争、9・11、アラブの春といった外的要因がイスラエルとパレスチナの関係にさまざまな影響を及ぼし、またそれぞれの内部にも対立がある。そんななかで、和平の気運は高まったかと思うとすぼむ、を繰り返してきた。

 九〇年代半ば、オスロ合意による和平実現という世紀の瞬間を直に見るべくエルサレムへ行き、そこで五年あまり暮らしながら和平プロセスの進展を固唾(かたず)をのんで見守った揚げ句、大きな失望を味わい、第二次インティファーダの直後に帰国した作者は、この紛争をなんとか小説の形にしたいと長年構想を練ってきた。そして、和平へ向かいかけてはまたも武力衝突、というこの堂々巡りとそれを取り巻く入れ子構造を描くには、幾つかのストーリーがそれぞれ循環しながら重なり合っていく構造がいいと思い付き、作者が「ターダッキン(詰め物をした鶏を鴨に詰めてそれを七面鳥に詰めてローストした料理)小説」と呼ぶ本書を書き上げた。「ポリティカル・スリラーを歴史小説で包み、実は恋愛小説で、結局は寓話」とのこと。当初倍以上あったものが、推敲を重ねてこの分量となったそうだ。複数の時系列とストーリーが展開していくので、読み始めは少々戸惑われるかもしれない。最初に登場する「君」が誰で何をしているのかは、最後のほうで分かる仕掛けになっている。

 物語の最新の時系列は二〇一四年のガザ侵攻直前。ネゲブ砂漠の秘密軍事施設(ブラツク・サイト)内にはただ一人の囚人Zが長年監禁されていて、一人だけの看守に見張られている。テルアビブ近郊の病院には長らく意識不明のままの「将軍」が入院していて、看守の母ルシが付き添っている。
 囚人Zにはモデルがいる。二〇一三年、イスラエルの高度監視システムを備える監獄で自殺した(本来は不可能なはずなのに)とされるオーストラリア人男性の記事が話題となった。死亡したのは二〇一〇年で、イスラエル移住後に諜報機関モサドのために働いていたらしい。身元や拘束理由を伏せられたまま収容され、死んで初めて存在を取り戻した。メディアが「囚人X」と呼ぶこの男の記事を読んだ作者は、「他者」に同情したがために裏切り者となる青年を、構想中の物語に織り込むことを思いついた。

 ベッドに横たわる将軍の回想によってイスラエルの軍事的歴史が語られるのだが、すぐわかるとおり、これはタカ派として知られ、首相在任中に脳卒中で倒れたアリエル・シャロンである。勇敢な戦士として称賛されつつ、一方で殺し屋、破壊者として憎まれているこの人物を実名にすると、読者に先入観を持たれるかもしれないと思い、一般名詞にしたとのこと。シャロンの長男は十一歳のとき、家で一緒に遊んでいた友人に誤ってライフルで撃たれて死亡しており、病人はその悲劇のなかに閉じ込められている。
 囚人Zが独房に監禁されるに至った経緯(けいい)を振り返る部分ではパレスチナ難民ファリドが登場、そしてZは惚れ込んだウエイトレスと、ちょっとスパイ映画っぽい逃避行を試みる。
 冒頭と繫がる最後の部分では、和平ロードマップの膠着(こうちゃく)ぶりとともに、思いがけない男女のカップルによるまたとない恋が展開する。

 ネイサン・イングランダーは一九七〇年、ニューヨーク州ロングアイランドのユダヤ教正統派のコミュニティに生まれ、敬虔(けいけん)なユダヤ教徒として育った。本書の囚人Zの造形には作者自身の経験がかなり投影されていそうである。ニューヨーク州立大学へ進んだ作者は三年生のときに初めてイスラエルを訪問、世俗的なユダヤ系知識人との交流からカルチャーショックを受けて信仰を捨て、以後、それまで生きてきたユダヤ教徒の世界を中心に、独特な視点でさまざまな作品を書いてきた。 
 あくまで人間を描いているのであって、ユダヤ教徒を描いているわけではない、文化、宗教、民族の壁を突き破れない作品は失敗作だ、文学は普遍的なものでなくてはならない、とイングランダーは言う。作品の根底には常に人としての倫理を問う姿勢があるように思う。そして重い題材ほどどこかに滑稽味(こっけいみ)をまぶすのもこの作家の特徴だ。これまで短編集For the Relief of UnbearableUrges(PEN/マラマッド賞受賞)、『アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること』(邦訳は新潮社刊、フランク・オコナー国際短編賞受賞、ピュリッツァー賞最終候補)、長編として、アルゼンチンの「汚い戦争」を背景に国家権力に押しつぶされるユダヤ人一家の苦難を描いたTheMinistry of Special Cases、本書、親の弔(とむらい)を軸にインターネット時代の宗教心をコミカルに描いたKaddish.comを発表している。ヘブライ語から英語への翻訳にも携(たずさ)わっており、親友でもあるイスラエルの人気作家、エトガル・ケレットの作品の翻訳、過ぎ越しの祭りで読まれるユダヤ教の典礼書『ハガダー』の翻訳などを手掛けている。また、最初の短編集に収録されている、スターリンによって二十六名のイディッシュ語作家、詩人が処刑された際に、手違いで、引きこもりの文学オタク青年が憧れの人々とともに殺されてしまう“The Twenty-Seventh Man” を戯曲化、オフブロードウェイで上演されて話題となった。なお、現在は妻と子供二人とカナダ、オンタリオ州トロントに在住。

 イングランダーは二〇一四年、東京国際文芸フェスティバルに来日している。その折の講演で、オスロ合意に基づいた和平成立が夢と消えたときにどれほど落胆したかを述べ、パレスチナ問題の解決は確かに難しいが、月へ行ってまた帰ってくるという偉業を人類が成し遂げたことを思えば、和平成立も決して不可能ではないと信じている、と強く語られたのがいまだに心に残っている。

 本書の複雑な構成は、パレスチナ紛争について、読者にどちらか一方の側のみに肩入れすることなく考えてもらいたいという作者の思いもあったようだ。前述のイスラエル作家ケレットは、「ぼくはアンチ・イスラエルなのではなくて、アンビ・イスラエルだ」(『文藝』二〇二〇年春号、秋元孝文訳)というエッセイを書いている。政府のパレスチナ政策を鋭く批判して、 反アンチイスラエル作家というレッテルを貼られたケレットは、中東の政治問題について反イスラエルか反パレスチナのレッテルを貼らずにいられない人々に向かって「アンビ(両方、周囲を意味する接頭辞)」という第三の選択肢を提示し、ハマスを非難しつつ占領には反対する、ユダヤ人が国を持つ権利を支持しつつもイスラエルは領土外の土地を占拠すべきではないとする姿勢があっていいのではないかと述べる。この「アンビ」の精神は、本書にも通じるものがあるように思う。

 本書のエンディングからさらに六年以上の月日が流れた現在、ガザは相変わらず封鎖されたまま、人々は劣悪な住環境のもと、未来に希望が持てない暮らしをしている。新型コロナウイルスの感染も広がっているようだ。この地に早く永続的な平和が訪れることを祈りたい。