みなさまこんにちは。翻訳班Sです。今回は4月30日刊行のネイサン・イングランダー『地中のディナー』(小竹由美子訳、海外文学セレクション)についてちょっと早めにご紹介いたします!

『地中のディナー』は1970年、 アメリカのニューヨーク州生まれの作家、ネイサン・イングランダーの長編です。著者はユダヤ教正統派コミュニティで育ち、敬虔なユダヤ教徒の少年として成長しましたが、ニューヨーク州立大学在学中にイスラエルを初めて訪問し、非宗教的知識人の存在を知って衝撃を受け、やがて信仰を捨てました。そして小説の執筆を開始し、代表作の『アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること』(新潮社刊)でフランク・オコナー国際短編賞受賞、ピューリッツァー賞最終候補に輝きました。

本書の冒頭で語られるのは、イスラエルのネゲブ砂漠にある秘密基地に閉じ込められ、「看守」に監視されている囚人Zという男についてです。彼は「将軍」の命令で監禁されており、あまりに長い間「看守」とふたりきりで過ごしているうちに、親しくなっているほど。この奇妙で不条理なエピソードはいったいどういう意味があるのかと考えていると、場面は過去のパリに飛び、Zの数奇な人生の出来事が語られていきます。気になる女性にアプローチしたりとユーモラスでありながら、ときに何者かの監視を気にする彼に待っているものとは……。

そしてZや「看守」の物語に挟まれる形で語られていくのが、「辺獄(リンボ)」と名付けられた「将軍」の回想シーンです。イスラエルの首相でもあった非常に影響力のある将軍(名前は出てきませんが、アリエル・シャロン将軍)が病院で昏睡状態に陥っており、今までの人生のさまざまな場面が回想として描かれます。

さまざまな時系列に存在するさまざまな人物たちの視点で織りあげられていく物語は、複雑な魅力に満ちています。最初はどういうことか疑問に思った点も、最後まで読むと「なるほど!」と腑に落ちることも。再読、再再読にもうってつけの、味わい深い作品です。

本書のテーマになっているのは終わりの見えないパレスチナ紛争です。イスラエル人とパレスチナに住むアラブ人をめぐる宗教と政治的問題に関わる紛争は、地理的にも宗教的にも日本人から遠く離れていて実感がないという人も多いかもしれません。しかし本書で描かれているのは、人間の本質でもあると思います。

このような印象的な一文があります。

「流血がいつ、どのようにして終わるのか、そもそも終わることがあるのかさえ、わかりようがない。わかっているのはただ双方が正義のために戦い、新たに殺された者たちのために、復讐すべく命を落とした先人たちの復讐を果たすために死んだ者たちを称えるべく、互いに殺しあうということだけだ」

人間は血と争いを好み、正義のためにだれかを殺すこともできる。しかしこの本を最後まで読むと、著者が決してそれを突きつけるためだけに物語を書いているのではないとわかります。不思議と希望の光を感じるような、力が湧いてくるような気もするのです。

小竹由美子先生の訳者あとがきに、このような一文があります。

 イングランダーは二〇一四年、東京国際文芸フェスティバルに来日している。その折の講演で、オスロ合意に基づいた和平成立が夢と消えたときにどれほど落胆したかを述べ、パレスチナ問題の解決は確かに難しいが、月へ行ってまた帰ってくるという偉業を人類が成し遂げたことを思えば、和平成立も決して不可能ではないと信じている、と強く語られたのがいまだに心に残っている。

わたしもこのエピソードを聞いて、すごく胸に響きました。
人間は血で血を洗う争いを繰り広げていますが、いつか必ず終わりが来るはず。
本書に込められたのは、そういう願いなのだと思っています。

ネイサン・イングランダー『地中のディナー』は4月30日刊行です。
どうぞお楽しみに。

(東京創元社S)