シリーズ最新作『記憶翻訳者 みなもとに還る』(門田充宏)が好評発売中の〈記憶翻訳者〉シリーズ。その解説を特別公開致します!


シリーズを読んでいただく順番は(大事なことなので何度でも)
『記憶翻訳者 いつか光になる』(創元SF文庫)⇒『記憶翻訳者 みなもとに還る』(創元SF文庫)⇒『追憶の社』(創元SF叢書)がオススメです。
また、それ以外のシリーズ短編に「コーラルとロータス」『Genesis 白昼夢通信』所収)があります。

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解説 香月祥宏

 正直に告白しよう。第五回創元SF短編賞受賞作にして門田充宏のデビュー作「風牙」を初めて読んだときには、《記憶翻訳者》がこんなにすごいシリーズになるとは思っていなかった。
 いやもちろん、過剰共感能力を生かした記憶の翻訳・汎用化というアイデアには唸らされた。何かと猫に押されがちなSF界に颯爽と現れた犬SFの傑作に、犬派として快哉を叫んだ。高山羽根子、宮内悠介、酉島伝法など、現在日本文学の最前線で活躍する作家を輩出してきた創元SF短編賞正賞にふさわしい完成度だと思った。
 しかしまさか、ここまで奥が深い作品だったとは! 前巻でその片鱗を見せてはいたが、今回は、主人公・珊瑚の過去、職場の人間関係、記憶翻訳技術の応用可能性など、あらゆる面で深みを増した。SFとしてはもちろん、幅広い読者が楽しめる上質のエンターテインメントとしてさらに進歩を遂げている。

 というわけで、本書は『記憶翻訳者 いつか光になる』に続く《記憶翻訳者》シリーズの創元SF文庫版、第二巻である。
 創元日本SF叢書から刊行された『風牙』(二〇一八年)収録の二篇「みなもとに還る」「虚ろの座」と、文庫化に当たって新たに書き下ろされた「流水に刻む」「秋晴れの日に」の全四編から成っている。ちなみに日本SF叢書版では第二巻『追憶の杜』(二〇一九年)がすでに刊行されているが、同書の収録作は本書には入っていないのでご注意を。
 しかしいずれにせよ、四編中二編はここでしか読めない新作だ。『いつか光になる』から読み始めた文庫派はもちろん、『風牙』から追いかけている読者もお見逃しなく。

 さて、既刊の解説や書評でもくりかえし述べられている通り、本シリーズは、SFとしては小松左京『ゴルディアスの結び目』やクリストファー・ノーラン『インセプション』のようなサイコダイバーものの系譜に連なる作品と言えるだろう。
 しかし、先行作のダイバーたちが相手の精神に直接侵入して治療や操作を試みるのに対して、本作の記憶翻訳者は前もって抽出された記憶データの世界へ潜行する。精神への侵入者というより、あくまでもデータの読み取り・加工が専門で、仕事はまさに職人的な“翻訳者”だ。
 そういう意味では、他人のデータを自分の脳に隠して運ぶウィリアム・ギブスン「記憶屋ジョニイ」、ある経験を他者の脳で再現する人工神経制御言語ITP(Image Transfer Protocol)技術を描いた長谷敏司『あなたのための物語』など、記憶の加工や共有をテーマにした作品と同じ棚に並べることも可能だろう。記憶や記録と人格をめぐる物語と言えば、脳科学の発達やAI技術の進歩もあり、いまもっとも熱い分野のひとつ。現代SFの最前線にもつながっている。
 また、記憶翻訳者の職人的な設定は、本編をいわゆるお仕事小説としても輝かせる。
 主人公・珊瑚は、百万人に一人とも言われるHSP(ハイ・センシティブ・パーソナリティ)グレード5。オーダーメイドの共感ジャマーがないと他人と感情が混線して日常生活が送れないほどの重い“障害”は、記憶翻訳者という仕事を与えられて初めて“能力”に変わった。生きづらさを生きがいに変えてくれた仕事に打ち込む珊瑚だが、勢い余って時にやり過ぎてしまうことも……。
 本シリーズは、過剰共感のせいで多感な十年間を空白で過ごした珊瑚が、他者の経験を大量に扱う仕事を通じて、自らの人生を生き直し、進む道を見つけていく物語でもある。職種こそちょっと特殊だが、仕事と人生をテーマにした、まさにお仕事小説とも言えるのではないだろうか。
 そしてお仕事小説と言えば欠かせないのが、同じ職場で働く仲間たち。〈九龍〉を立ち上げ記憶翻訳をビジネス化した社長・不二、創業以来苦楽を共にしてきた専務・那須と眞角、記憶翻訳者を職業として確立した眞角の妻・香澄、インド系クールビューティの事務方カマラ、珊瑚の専任サポートエンジニア東海林……と、珊瑚の周りには実に個性的な面々がそろっている。このメンバーに加えて、続編『追憶の杜』では団藤というこれまた素敵な上司も登場するので、未読の方はお楽しみに。
 現代SFの最前線にして、ちょっと変わったお仕事小説――これだけでもけっこう魅力的だと思うのだが、他にも本シリーズを語る切り口はたくさんある。あとは収録作を紹介しながら、随時触れていくことにしよう。

「流水に刻む」
 疑験都市〈九龍〉内でベータテスト中の中世風ファンタジー領域に、仕様外の動作をする少年NPCが現れる。作ったのは眞角専務もよく知るクリエイターだった。
 本書のための書き下ろし。誰が何をして何が起こっているのかは序盤でほとんど明らかになっており、純粋なホワイダニットが物語を駆動して行く。そして「なぜ」の答えがそのまま事態の収拾につながるという、ミステリとしても美しい一編。最後にたどり着く結論は、記憶をメインテーマとして扱う本シリーズにとって重要なもので、作者が時間SFアンソロジー『時を歩く』に寄せたノン・シリーズ短編「Too Short Notice」にも通じている。
 また、もうひとつ注目したいのが、疑験都市の第二階層〈二狐〉。本編が初登場となるこの階層は、現在四つの異なる大陸(中世風ファンタジー、戦国時代日本風、スペースコロニー風、スチーム&サイバー&バイオパンク風)から成っており、今後も拡張予定らしく、飛浩隆《廃園の天使》のような仮想リゾートものへの広がりも感じさせる。
 記憶テーマの核心に触れつつ、シリーズ全体の今後にも期待が膨らむ新作だ。

「みなもとに還る」
 持ち込み疑験都市コンテンツのレビュー中に、珊瑚は死んだと思っていた母が生きているらしいことを知る。母は過剰共感能力者の生活共同体〈みなもと〉の中心的立場で……。
 単行本『風牙』初出で、珊瑚の家族に関する謎にぐっと踏み込んでゆく、シリーズの転換点になる一作。家族の記憶を持たない珊瑚が〈みなもと〉の真尋や都と出会うことで、一種の家族小説としての側面が表れ始める。
 SFとしては記憶翻訳よりもその前提となる過剰共感能力に焦点を当てた作品で、超能力ものに近い味わい。これまで珊瑚の個人的な体験を中心に語られてきた能力者について、社会における位置づけなどがより詳しく描かれている。
 家族関係を描く一方で、珊瑚にとって記憶翻訳者という仕事と同僚の存在がいかに大切かがうかがえる作品でもある。

「虚ろの座」
“私”は別れた妻が宗教団体〈みなもと〉にいることを突き止める。調査した探偵によると、これ以上近づくためには“私”自身が入信するしかないというが……。
『風牙』初出。これまで珊瑚を中心に語られてきた物語が、急に転調する。語りの引き出しの多さは作者の特徴で、本編や「銀糸の先」『追憶の杜』所収)で見せる巧みな語り口やなめらかな視点移動は、本シリーズを支える屋台骨のひとつだ。
 読みすすめるうちに珊瑚の両親に関する話だということがわかってきて、彼女の過去がさらに掘り下げられてゆく。家族が崩壊したことはこれまでの作品で示唆されているのに、それでもなおホラー/心理サスペンスとしてじゅうぶん怖い。
 ちなみに初出時は、これが巻末に置かれていた。シリーズ化されそうな設定(で実際そうなった)とはいえ、単著デビュー作の終わり方としてはなかなか衝撃的だ。

「秋晴れの日に」
 ある秋晴れの休日、珊瑚は二ヶ月ぶりに〈みなもと〉の拠点を訪れ、真尋や都と再会する。
 今回新たに書き下ろされたエピローグ的な挿話。この一編が加わったことで『風牙』に比べるとずいぶん読後感が柔らかくなった。しかもいろいろな想像が膨らむ会話劇で、恋愛小説方向への枝も伸び始めている気がするが、果たして?

 以上、収録作全四編、精緻な設定に支えられてそれぞれに読みどころがある。冒頭で述べた通り、幅広い読者を楽しませてくれる、間口の広さと奥の深さを備えた作品ばかりだ。
 SF、お仕事小説、ミステリ、サスペンス、家族小説……ぜひ、自分がいちばんおもしろいと思う角度から、本作を楽しんでもらいたい。どこから光を当てても、必ずあたたかい光を投げ返してくれる。
「風牙」の受賞から七年、本シリーズはそんな作品に成長した。たぶん今後も、常に前向きな珊瑚とともに、ぐんぐん成長を続けるに違いない。
 なお、二〇二一年二月時点でまだ文庫化されていない《記憶翻訳者》作品としては、全三編収録の『追憶の杜』(創元日本SF叢書)、珊瑚とカマラの出逢いを描いた短編「コーラルとロータス」『Genesis 白昼夢通信』所収)がある。
 今回のように文庫化の際にはまた新たな展開があるかもしれないが、とりあえず今すぐ珊瑚の物語の続きを! という方は、ぜひこちらもチェックしてみてほしい。




追憶の杜 (創元日本SF叢書)
門田 充宏
東京創元社
2019-05-11


Genesis 白昼夢通信 (創元日本SFアンソロジー 2)
水見 稜ほか
東京創元社
2019-12-20