著者の半生記としても読めるエッセー集が文庫になりました。

 2017年、本書の単行本版刊行時に、担当である私は、著者内田さんについて「チャンスの前髪を掴む人」などという言葉を使ってその魅力を語ろうと試みました。
 そして、今、2021年、創元ライブラリ版を刊行して、もちろんその人間力、人間的魅力についての思いはまったく変わらないのですが、もうひとつどうしても書いておきたいと思ったのが、内田さんの文章についてなのです。
 3年以上の時を経て読み返してみて、あらためてその味わい深さに嘆息しています。
この文章の力はいったいどういうことなのだろう? どこにこの文章の魅力の秘密があるのだろう? そればかり考えているのです。
 別に華やかに飾られているわけではなく、ふんわりと煙(けぶ)るような雰囲気で読ませる文章というわけでもない。
 淡々と、しかし、「そっけなさ」とはほど遠い文章、何げない一文が心地よく胸に入ってくる。名文とはまさにこういうことなのだと思わせる文章なのです。

 そぎ落とすことに夢中になるあまり、そぎ落とし、削った痕があらわな文章にはしばしば出会います。
 内田さんの文章は、そういうものではありません。
 何も意識させないさりげない語り、その中に潜む真実、その真実を取り巻く空気が伝わる、すべての無駄を落とし、それなのにすべてを感じさせてくれる文章……。
「この文章を真似したい……」と言う何人もの人に出会いました。
 俳句は、すべてをそぎ落として十七文字で語る文学ですが、たった十七文字にすべてがこめられた、わざとらしくなく洗練されている名句ばかりかというと、なかなかそうはいきません。
 ごくごく少数の名句と同じで、作為を感じさせられることなく胸に沁みる、それが内田さんの文章なのです。
 文才のない私にはしっかり伝える術(すべ)がなく歯がゆいばかりです。
 お読みいただくしかないのでしょう。
 初めて内田さんの文章に出会ったときに(『ジーノの家』です ! もちろん)思った「一編一編がまるで短編小説のように味わい深い」という印象(これは私だけではなく、実に多くの人たちがその通りに書いています)はこの文章だからこそ生まれるのです。
 そのことを御本人にお話しすると、「私はジャーナリストだから、事実をしっかり伝える、ということを常に意識して書いているのです。ですから、『小説のようと言われると……』」といささか困惑のご様子ではありました。

 時々、ジャーナリスト出身の作家の書くものについて「あれはジャーナリストの文章だからね」といった、なぜかいくぶん見下すような意味合いをこめた言い回しをしたがる人に出会うことがあります。言わんとすることがわかる気がする場合もありますが、その指摘が不快でしかないことも多々あります。
 そんなことを言いたがる人も何も言えない"ジャーナリストの文章"、それが内田洋子さんの文章ではないでしょうか。

 本書の12章「本から本へ」でトスカーナ州の山間部の村、モンテレッジォのことが書かれています。この村の人々は、代々、本の行商をしてきました。
 本書で最後にふれられたこのことが、次の内田さんの行動に発展しました。
 山奥の村モンテレッジォに居を移して取材し、一冊の本『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』を方丈社から刊行。そしてそこから派生した『もうひとつのモンテレッジォの物語』(著者とモンテレッジォ村の人々との心温まる交流を描き出すエッセイと、村の子供達が作った絵本『かごの中の本』全訳をカップリングした一冊)も同社から刊行。同書の刊行を記念して、モンテレッジォ村の人々が親子で、自費で来日(初めてパスポートを取って)され、内田さんとのトークイベントが代官山のTSUTAYA書店で開催されたことが楽しく思い出されます。
 内田さんは2019年に伊日文化協会から日本とイタリアの文化発展・交流に貢献したジャーナリストに贈られる賞の「ウンベルト・アニェッリジャーナリスト賞」を受賞されました。

 その後の内田さんは、コロナ禍で日本に帰国されたままイタリアに戻れなくなってしまわれましたが、この21世紀のペストともいうべき新型コロナ禍の中、ロックダウンが発令されたイタリアの24人の若者たちからのメールをまとめるという企画をたて、クラウドファウンディングで一冊の本をまとめ上げられ話題を呼びました。それは、まるでペストの時代の『デカメロン』のよう。そこでタイトルは『デカメロン2020』(著者・イタリアの若者たち、翻訳内田洋子 発売元・方丈社)。なんという行動力。これぞ内田洋子さん。やはり内田さんは、私が常に刺激を受け続ける存在なのです。

 巻末には、イタリアを愛され、この事態が終わったらまずイタリアに旅したいと仰るAPU学長の出口治明さんがエッセーを寄せてくださいました。
 文庫版という手に取りやすい形になった素敵なエッセー集を、是非この機会にお読みください! ページを繰るあいだはその文章の〈魔力〉に引き込まれ、読み終えると、自らも何か行動したいという思いに駆られる、そして内田さんが歩んでこられた道をたどることができる、そんなエッセー集なのです。
  素敵な装画はマツモトヨーコさん、デザインは藤田知子さん。美しい文庫が出来上がりました。