昨今の小説を読んでいると、旧来の価値観を再検証させられることが結構ある。寺地はるなの作品がまさにそうで、新作『水を縫う』(集英社 1600円+税)でも思うところがたくさんあった。
 複数の人間の視点から描かれていく連作短篇集。松岡家は祖母の文枝、母のさつ子、塾で働く長女の水青(みお)、高校生の長男・清澄で暮らしている。清澄の趣味は手芸だが、彼は学校の仲間にそのことが告げられない。家ではもうすぐ結婚する水青のウェディングドレスを作ると申し出るが、当の姉は幼い頃の不快な経験がきっかけで、「かわいい」ものが苦手。ウェディングドレスも凝ったものは着たくないと言い張る。母のさつ子は市役所勤めで懸命に子どもたちを育ててきたが、細やかな世話をしなかったことに劣等感を持っている。祖母の文枝は「女性はこうあるべき」という像を押し付けられてきた世代で、今も家族のよき理解者の役割を果たしているが、自分の趣味を持っていない。「手芸は女の子の趣味」「女性はかわいいものが好き」「母親は子どもに愛情を注ぐもの」など、多くの人が気軽に口にしそうな決めつけに苦しむ姿と、そこから解放されていく家族の姿を追う。

 それだけではない。視点人物の一人は離縁した父親、全の友人で、清澄たちが幼い頃に彼らの面倒をよく見てくれた黒田だ。現在、自分が経営する縫製工場で全を雇っているだけでなく、自宅に彼を居候(いそうろう)もさせてもいる。この黒田も、血は繋(つな)がっていなくても松岡家の人たちにとっては家族同然の存在なのだと思わせる。つまりはこの本全体のつくりで、従来とはまた違う家族観を提示している点が巧みである。

 桜木紫乃の『家族じまい』(集英社 1600円+税)も家族の物語で、こちらも視点人物を切り替えていく連作集となっている。第一章は北海道の江別(えべつ)に暮らす智代の話。子どもたちは成長して実家を離れ、現在は夫の啓介と二人暮らし。夫婦ともに実家とは疎遠だが、ある時智代の妹、乃理から連絡があり、母のスミエがどうやら認知症らしいと聞かされる。


 次の視点人物は帯広(おびひろ)から車で一時間の農協に勤める陽紅(ようこ)。若いうちに結婚・離婚を経た彼女はまだ20代。受付で業務にあたるうちに近所の老婦人に気に入られ、息子の嫁にと打診されるが、その息子、涼介は55歳。最初は乗り気ではなかった陽紅だが、周囲から強引に勧められ、結婚をやがて決意。だが、涼介と二人の生活には予想外の状況が待ち受けている。この涼介が、智代の夫・啓介の弟だ。

 第三章は智代の妹で、函館(はこだて)に暮らす乃理の物語。家族の面倒を見るのが当然と考える彼女は、母が認知症と知って両親を呼び寄せることを思いつく。夫の了解を得、父親を説得し、二世帯住宅を探して引っ越しを実現させるが、望んだはずの生活のなかで彼女は心のバランスを失っていく。第四章・第五章では意外な視点人物を置き、この家族のありようをさまざまな角度で照らしていく。

「家族は絆で結ばれているもの」という幻想はまったく描かれない。憎しみあっているわけでなくても、家族の間にも埋められない溝はある、ということが淡々と描かれていく。ただ、過剰に悲観するわけではなく、互いとの齟齬(そご)を受け止めて存在していくのだ、と穏やかに伝わってくる。