T:こんにちは。たなか・かなえです。『ヴァルモンの功績』の翻訳をしています。この本にはむずかしい用語がいろいろ出てくるの。そこで今日は、ムッシュ・Vといっしょに、用語の解説をしまーす。

V:オホン、吾輩はヴァ――

T:言っちゃダメーーッ!!! ムッシュの正体を知りたい人は、『ヴァルモンの功績』を読んでね。まず法律用語の質問から!

V:吾輩は元警察勤めである。法律用語は任せておきたまえ。

T:ではムッシュ、英米の探偵小説にたまに出てくる謀殺罪と故殺罪について教えてください。『クロイドン発12時30分』にも両方出てきました。

V:言葉どおりではないのかね?

T:ムッシュ……日本の現行刑法には、謀殺罪と故殺罪がなくて、殺人罪が適用されるの。だから、違いを解説してほしいな。

V:初歩的なことだよ、かなえ君。謀殺は殺害の手段・方法をあらかじめ計画・考慮して人を殺すことで、いわゆる計画殺人を指す。逆に故殺は無計画な、たとえば口論の際カッとなって人を殺す場合を言う。

T:故殺は、過失致死とは違うの?

V:違う。故殺も、殺人なので相手を殺す故意はある。一方で、過失致死に相手を殺す意図はない。英米法では謀殺(murder)、故殺(manslaughter)は別物で、両者を併せた概念が殺人(homicide)だ。ちなみに過失致死はinvoluntary manslaughterなどと言う。もっとも、吾輩の記録の邦訳(みな買いたまえ☆)では、謀殺を「殺人」としているところもあるがね。

T:そうなんだ。上手く書かないと、計画性の有無がわかってしまうものね、うむむ。あと、事前共犯、事後共犯の解説をお願い。

V:不思議な国だな、日本は。これも区別がないのかね? 事前共犯とは、重罪の実行前に実行行為者に教唆・幇助等した者だ。

T:重罪って、なに?

V:有罪とされたときに刑罰のほか土地・財産の没収を科される犯罪を指す。重い罪、という意味はないが、一般論としては重大な犯罪と思っておけばよい。

T:ふーん。で、事後共犯は?

V:こちらは、重罪が犯された後、犯人隠避などによりその犯人を援助した者のことだよ。

T:事前共犯は日本の刑法での共犯概念と似てるけど、事後共犯は日本の刑法では共犯でなく犯人隠避や証拠隠滅という別個の犯罪の正犯になるから、この辺りが違うのね。

V:かなえ君……実は日本の法律に詳しかったりするのかね?

T:ふふふ。さて、イギリスの小説に出てくる法廷弁護士と事務弁護士について、ざっくばらんに教えてください。たしか『ユダの窓』にも両方登場します。

V:法廷で鬘【かつら】をかぶっているのが法廷弁護士だな。町の事務所で依頼人から相談を受け、代理人となるのが事務弁護士。事務弁護士も法廷に入れるが、原則としてかつらはかぶれない。

T:かつら?

V:そう、かつら。それが権威と言うのだから、フランス人には理解できん。また、法廷弁護士は法学院の内部にしか事務所を開けない。法学院というのは法廷弁護士が所属する弁護士会のような組織で、建物群を指す場合もある。現在は教育機関ではないが、歴史的に教育機関の役割を果たしてきたので、日本語訳では「法学院」や「法曹院」が定訳となっている。

T:じゃあ、ホームズものなどに出てくる町の事務所って、事務弁護士の事務所なのね。

V:そう。法廷弁護士が依頼人から直接依頼を受けることはない(現在は例外あり)。

T:ところで、『吸血鬼ドラキュラ』にジョナサン・ハーカーという人物が登場するけど、彼は原文でソリシター(solicitor)なの。ふつう事務弁護士と訳すところだけど、翻訳道の大先輩・平井呈一は弁理士と訳している。イギリスにも弁理士はいるの?

V:いる。法廷弁護士や事務弁護士と別の資格で、もともとはpatent agentという名称だったが、2006年にpatent attorneyと改称された。なぜムッシュ平井がソリシターを弁理士と訳したか疑問は残るが、日本では事務弁護士という言葉に馴染みがないし、ジョナサン・ハーカーへの依頼内容から、弁理士と意訳したのかもしれないね。

T:一方で、やはり原文ソリシターのマーカンドという人物は、単に「弁護士」と訳しています。やはり、使い分けたかったのかなぁ。勉強になりました。どうもありがとう、ムッシュ。