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 コナン・ドイルの書斎兼仕事部屋兼喫煙室は、土砂降りを避けるに適した場所だ。ドイル愛煙のタバコをねだることもできる。仕事部屋を見せてください、どうぞ――さてタバコでも。部屋の隅には仕事机――イギリスではありふれている真っ平らな机だ。このイギリス人作家は、ニスと23の特許に覆われたアメリカ製の堂々たるロールトップ机はお嫌いらしい(訳註:ちなみに本誌にはバーの堂々たるロールトップ机の写真が載っている)。

 書架はほとんどがお堅い歴史書で埋められている。仕事部屋で最も特筆すべきは、コナン・ドイルの父による一連の水彩画である。芸術の家系で、読者もご存じのように、〈パンチ〉の名高い表紙はディッキー・ドイルの作である。

 ドイルの父の絵は、とても奇怪で想像力に溢れ、小説で喩えればエドガー・アラン・ポオのような趣である。

 壁には銛が懸かっている。ドイルはかつて鯨漁師であり、シロクマの頭蓋骨とアイスランドハヤブサの剥製がその腕前を示している。ちなみにイギリス国内にアイスランドハヤブサは、ほかに二羽きりである。ドイルはニューヨーク―シカゴ間の距離よりも北極点に接近したことがある。ドイルが寝台車に乗って北極点へ行き、一夜を過ごさなかったことは不思議ではある。しかしドイルも当時は若く、機会を逃してしまった(訳註:1894年時点でも北極点はまだ人類未踏地)。ドイルは21歳の誕生日を北極圏で過ごすことになった。

 ここでドイルの北極圏に纏わる三つの物語をしよう。つまり〈本当の会話〉に砂糖をまぶすわけだ。

 捕鯨船はピーターヘッドから出航した。乗員は一人を除き全員スコットランド人だった。ドイルは船医と思われていた。ドイルは二組のボクシング・グローブを携えていた。船員の一人に拳に自信のあるのがいて、一戦所望した。受けて立つドイル。男は強かったが技術はなかった。男は追い込まれた。ドイルが強打する。キャビン机は床にしっかり固定されていて、船員は一瞬後には机に引っくり返っていた。

 後日、その船員はドイルを絶賛して仲間にこう言った。

「おい、マカルパイン。ありゃこれまでで最高の船医やで。俺を見事、机へ伸して、失神させよった」

 医者にそんな賛辞を呈した者など、ほかにおるまい。

 スコットランド人でない唯一の船員は寡黙で陰気、周囲には司直から逃れていると思われており、そのため一目置かれていた。男は不言実行を地で行くタイプだった。あるとき料理人が三日ほど飲酒の許しを得た。三日目、男はいささかやり過ぎと考えた。食事は酷い出来だった。男は何も言わず立ち上がり、長い柄のついた鍋をつかんで料理人の頭に振り下ろした。鍋底はガラスのように砕け、鍋の縁が料理人の首の回りに襟のごとく残った。男はまた何も言わず憂鬱げに席へ戻った。その航海で、それ以降不味い料理は出なかったという。

 船を数時間氷原に横付けさせるには、氷山に錨を投ずる。ピーターヘッド流のユーモアを解さないシロクマを怒らせる時間だ。船員は脂だの骨だの船のゴミだのを火炉に入れる。北極圏何マイルにもわたって燃える臭いが漂う。数時間で北極点までのすべてのシロクマが、ご馳走を求め鼻を鳴らし徒党を組んでやってくる。そしてマストに掲げられた「エイプリルフール」の信号旗を見て憤慨し帰っていく。コナン・ドイルは過激なことをする人物ではないが、航海中に問題を起こしたらしい。ドイルは北極圏から戻るとエディンバラ大学で学位を取得し、今度は西アフリカ沿岸へ出航した。

 ドイルの少年時代に起こった、海の悲劇を紹介しよう。ドイルは当時、その報告を読んで幼心に強い印象を持ったそうだ。「マリー・セレスト」と呼ばれるアメリカの船が西海岸沖で放棄されているのが発見された。襲われた形跡はなく、叛乱が起きた様子もない。積荷は手つかずで嵐に遭った証拠もない。キャビン机にはミシンが置かれ、絹の糸巻きはミシンに付いていた。船が大揺れしたら落ちていただろう。船には掛時計が据え付けられており、航海日誌によればボルティモアからリスボンへ向かうところだった。船はジブラルタルまで航行されたが、マリー・セレストの船長、乗組員の行方は杳として知れない。

 この謎は、未来のシャーロック・ホームズが解明に挑むのであろう。前進への手がかりは船首楼で見つかった古いスペインの刀剣のみ。この事実は船が清掃されたことを示している。ちなみにドイルによる解決は物語形式で〈コーンヒル・マガジン〉「J・ハバクク・ジェフソンの供述」として掲載された。ジェフソンは自身の健康上の理由で乗船したアメリカ人医師と推測されている。同作品の発表直後、ロンドンの全新聞に「女王陛下の英領ジブラルタル法務長官ソリー・フラッド、J・ハバクク・ジェフソンの供述なるもの虚偽にほかならぬことを電信す」という電報が掲載された。

 そうなのかもしれない。しかし、この電報は、控え目に言ってもこの小説の写実に対する賛美となっている。

 書架には鋭敏で賢そうな男性の胸像が置かれていた。

――この政治家は誰だい?

D「ああ、それ。シャーロック・ホームズ。バーミンガム出身のウィルキンスという若い彫刻家が贈ってくれた。なかなかだろ?」

――素晴らしい。ところで、シャーロック・ホームズは本当に死んだのかね?(訳註:「最後の事件」は1893年12月発表、本インタビューは1894年)

D「ああ、金輪際ホームズものは書かない」

 コナン・ドイル博士は、規律正しい勤勉な労働者である。炉棚には六か月以内にすることのリストを貼り付け、完了するまでひたすら取り組む。ドイルは彼の旧師をえらく失望させたことだろう。ドイルが学校を終えるとき、この教師はドイルを呼び出しこう宣った。

「ドイル、君と会ってから7年になるし、君のことは完全に理解している。今後のためにこれから言うことを憶えておきたまえ。ドイル、君に碌な仕事はできん!」

 歴史小説を物すにはかなりの読書が必要になる。この読書の末に、ドイルは一冊のノートをまとめた。厖大な書物から得た知識のすべてが、このノートに込められている。最新の頁を捲ると、ナポレオンの記述が多い。ドイルが最近書いたいくつかの傑作短篇が、ナポレオンの激動期に設定されていると推測できる(これらの短篇の一作は本誌12月号に掲載予定である)。

――きみはさぞかし、あの破廉恥な悪党を崇拝しているのだろうね?

D「偉大だよ――歴史上最も偉大かもしれない。驚かされるのは、人格的な一貫性のなさだ。完全に悪玉かと思えば気高さを示し、称賛を加えようと思えば信じがたい卑劣さが待っている。しかし考えてもみたまえ! ここに30の若い男がいる。これといった縁故もなく、教育もない貧困一家の出だ。これが王族方に人気で、一人と長く話せば残りすべてが嫉妬するという有り様だ。きっと非常に魅力的な人物だったのだろう。分けても親交の深い王族は愛してすらいた。秘書のメヌヴァルも、溺愛とさえ言える情を込めて記録を取っている」

――ほう。それなら虚構を扱う身としては、ナポレオンに膝を屈しないとな。歴史上最も熟練した嘘つきなのだから。

D「その分野でも比肩する者はいない。アフリカへ侵攻するつもりなら、まずロシアへ向かうと発表する。次に側近へ極秘裏にドイツが目標だと話す。最後に腹心中の腹心の耳にスペインを攻撃すると囁く。まったく驚くほど達者な嘘つきさ」

――この方面での力量が成功の秘訣であり、虚偽こそわれわれ皆が涵養すべき美徳とお考えか。

D「成功の秘訣は、幻想的で不可能とも思える大計画を生み出す能力であったのではないかな。一方、緻密さがあればこそ、余人なら失敗したであろう計画を実行できたのだ」

 本記事が発表される頃、コナン・ドイル博士はアメリカにいる予定である。名目的にはイギリスで大成功を博した一連の講演を行うためだが、訪問の真の目的はアメリカをその目で見ることにある。天晴れな向上心であり、アメリカとドイルが好い関係を築くことを祈る。(田中鼎訳)