目覚めてすぐに起き上ると、忍もちょうど体を起こしたところだった。彼女は自分の右肩を見て、安堵したように吐息をもらした。彩音も経験があるが、怪我していない自分の体を確かめると、痛みが引いていくものだ。
「大丈夫?」
「ええ。あの像を壊して、玉妖の注意をそらそうと思ったのだけれど、逆効果だったわね」
 ため息まじりにそう言うと、忍は濃い桃色の石を手に取って、彩音に差し出した。
「あなたが浄化したのだから、これはあなたの物よ。ひとりでもなんとかできたと思うけど、いちおう助けてもらった礼を言っとくわ。ありがとう」
(素直なんだか、意地っ張りなんだか、よくわからない人だわ)
 あの状況を、忍が単独で乗り切れたかどうかは疑問だったが、あえて反論しなかった。自分もさんざんくろがねに助けてもらっている立場だ。
 忍の連れの玉妖は、すでに石に戻ったらしく、姿が見えなかった。
「どうしてあなたの玉妖は手を貸してくれなかったの?」
 ずっと抱いていた疑問を投げかけると、忍は露骨に顔をしかめた。
「あれは監視役だと言ったでしょう? 毎回変わるから、名前も覚えていないわ」
「その紫紺の石の持ち主はあなたではないの?」
「あたしが籍を置いている、富野屋の主人の持ち物よ。洋服を売るのが本業なのだけど、異界や妖に関心があるからって、それも商売にしようとしているの。あたしの他にふたり驅妖師がいるんだけど、その人たちも同じよ。異界妖を何体倒したか、玉妖に数えられて、店主に報告される」
「それで、ただ見ているだけだったのね」
「玉妖は貴重で、育てるのに時間がかかると聞いてるわ。だから、彼らは危険な目にあわないように、あたしたちを助けることはおろか、異界妖にはけっして近づかないよう、主に言い含められているのよ」
 これまで、女性の驅妖師に会ったことはなかったが、玉妖を借りて仕事をしている人がいるというのも初めて知った。竜卵石は希少であるがゆえに高価で、簡単に手に入る物ではないという事実を、彩音自身が忘れがちになっている。あらためて、くろがねと出会えたことが奇跡のように思えた。
「あなたがうらやましいわ」
 忍は彩音の傍らにいるくろがねを、ぶしつけなほど上から下までじろじろと眺めた。
「彼は強いし、困った時にはすぐ助けてくれるものね」
 彼女に悪気はないことはわかっているが、くろがねに頼っていると思われると、やはり傷つく。
「彩音の仕事に、いつも手を出すわけではない」
 めずらしく、くろがねが口を開いたので、彩音は驚いた。彼はたいていの場合、あまり親しくない人とはほとんど会話をしないのだ。
「ふたりで片付けたほうがより効率的だと、判断した時だけだ」
 しかも、それが彩音を擁護するような発言だったことに、またも驚いた。だが、忍はそんな彩音の戸惑いに気づくこともなく、さらに羨望のまなざしを彼に浴びせた。
「いいなあ。でも、あたしもいつかお金をためて、竜卵石を手に入れてみせるわ。この稼業をずっと続けていくつもりだから」
「どうして、この仕事を選んだの?」
「そうね、やりがいがあると思ったからよ。妖を相手にしているほうが楽だしね。人間と違って、戦って勝てばいいだけだもの。単純でいいわ」
「そういう考え方もあるのね」              
 同意はできなかったが、自分とはまったく異なる意見に、妙に納得させられた。
「さて、そろそろ戻らないと。でも、今日は報告されたくないことばかりよ」
 そうぼやきながらも、忍はにっこり笑って、彩音をみつめた。
「あなたのこと嫌いじゃないけど、できればもう仕事場でかち合いたくないわね。獲物を奪われてしまいそうだもの」
 自分の言いたいことだけ言ってしまうと、彩音が異議を唱える前に、彼女はさっさと背を向けて、外へと出て行った。
「ずいぶんな言われようだわ」
 彩音は肩をすくめた。それでも、どこか憎めないのは、相手の人柄によるものかもしれない。あまりにも率直な物言いに、かえって親しみやすさを感じる。 
忍のような考え方であれば、浄化することを迷ったり、ためらったりはしないだろう。
だが、どれほど経験を積んだとしても、彩音は自分ができるかぎり玉妖を生かしたいという思いを持ち続けるだろうと感じていた。彼らを生み出したのは人間であり、もし彼らが罪を犯したのなら、それは自分たち人間のせいではないかと考えてしまうからだ。だからこそ、浄化のたびに胸が痛む。しかし、この仕事を続ける限り、その痛みを忘れたくないと思うのだ。

 忍から渡された竜卵石を海景堂に持ち帰り、持ち主の捜索を依頼すると、要は十日も経たぬうちに璃杏の主をみつけてきた。
 関元家の誰かだろうというのは予想通りだったが、桃色の竜卵石は家出した妻のものだった。今は離婚して、旧姓の成見に戻っているが、間違いなく斗貴子という名であるという。
 その女性が海景堂をたずねて来たのは、要が留守で、ちょうど彩音が店番をしている時だった。ひと目でそうとわかったのは、彼女が璃杏の〝郷〟で見た彫像とそっくりだったからだ。きりりとした眉の、意志の強そうな顔立ち。彫像よりもずっと知的な印象だが、どこか遠くを見るような瞳はそのままだ。身に着けているのは白いブラウスに紺色のスカートで、浮ついたところのない、堅実な人柄を感じさせる。
 斗貴子は〝郷〟の中で璃杏が何をしていたかを知り、言葉を失った。そして浄化されたと聞くと、何度も謝りながら泣き崩れた。
「ごめんなさい、璃杏。あなたをひとりにしてしまったわ」
 彩音はていねいにお茶をいれ、彼女の気持ちが落ち着くのを待った。
 しばらくして、斗貴子はゆっくりと顔を上げ、お茶の香りを吸い込むように深呼吸をした。そして、おもむろに、璃杏と離れることになった当時の状況を語り始めた。 
 
 璃杏とは十五の年から、ずっといっしょに過ごしてきました。兄弟のいないわたしは、彼女を妹のように思っていました。
 女学校を卒業するとすぐに、父の言いつけで、相手がどのような方かよく知りもせずに結婚いたしました。夫は静けさを好む無口な人で、私は用がない限り、自分から口を開くことは許されませんでした。ともに暮らしていた姑と義妹も、夫とよく似た性格でしたので、家の中では笑い声ひとつ聞くことができませんでした。そんな息のつまるような生活の中で、璃杏だけがわたしの心の支えでした。いつもひとりになった時に、密かに呼び出していたのですが、ある日、ふたりで話しているところを姑に見られてしまったのです。姑は彼女を化け物と呼び、どんなに説明してもわかってもらえませんでした。そして、こんな気味の悪い物は置いておけないと、竜卵石を取り上げられてしまったのです。
 その半年ほど後に、姑は病に倒れ、わたしはけんめいに看護したのですけれど、ついにはみまかってしまいました。竜卵石をどこにやったのかも聞けぬままでした。姑を看取った後、家じゅうを捜しましたがみつかりません。とうに売られてしまったのだろうと、あきらめるしかありませんでした。
 それがきっかけとなり、わたしは何もかもが嫌になって、単身婚家を飛び出しました。男と逃げたという、ひどい噂を立てられたのは知っていましたが、そんなことはもうどうでもよかったのです。
 実家に戻ることは、父に許してもらえませんでしたので、独り身の叔母のところに身を寄せています。最近になってやっと仕事が決まり、今は何とか生活のめどがついたところです。

 時折つらそうな顔になって、何度も言葉をつまらせながら、斗貴子は少しずつ言葉を選ぶようにして話し終えた。
「連絡をいただいて、本当に驚きました。裏庭の畑は姑が作ったものですが、まさかそこに埋められていたとは、思いも寄りませんでしたわ」
「あなたの許可もなく、璃杏を浄化したことを本当に申し訳なく思っています」
 彩音が自分も泣きそうになりながら頭を下げると、彼女はそれ以上に深々と頭を垂れた。 
「いいえ、すべてわたしが悪いのですもの。それよりも、みつけてくださったことに心から感謝しています。そして、璃杏を苦しみから救ってくださったことも」
 そう言うと、ようやく彼女は微かに笑みを浮かべた。だが、彩音が竜卵石を返そうとすると、かたくなにそれを拒んだ。
「わたしは璃杏を守ってやれませんでした。もうこの石を持つ資格はないと思っています。どうか、新しい主を探してやってくださいませ」
「それでは店主と相談して、買い取りということにさせていただきます」
「いいえ、お金はいただけませんわ。ご迷惑をおかけした分を、石を売った代金から取ってください。そして、もし叶うなら、この石のお値段をいくらかでも安くしていただければと。お金持ちでなくとも、大事にしてくださる方の許へ行き、幸せになってほしいのです」
「わかりました。必ずみつけます、新しく生まれる玉妖に寄り添ってくださる方を」
 彩音が約束すると、斗貴子は涙を浮かべたまま、何度も大きくうなずいた。
 去り際、彼女はもう一度、名残惜しそうに桃色の竜卵石をみつめた。そして再度、深くお辞儀をしてから、店を出て行った。
 その後ろ姿を見送って、彩音は物悲しさを覚えた。新たに出会った人間の許で、再び生まれた時にはもう、玉妖にはかつての生の記憶など、まったく残ってはいないからだ。
 だが、共に過ごした日々を斗貴子が忘れない限り、それは璃杏が確かに存在したことの証になるだろう。
 主と玉妖の絆が断ち切られてしまう。そんな事態に遭遇したことは、今までに何度もある。
 どんなに望んだとしても、遠く離れてしまえば、玉妖は自ら主に会いに行くことはできない。主である人間がその手をつかんでいなければ、つながりは途絶えてしまう。人間同士のそれと比べれば、あまりにもはかない絆だ。
「くろがね」
 傍らにたたずむ彼に、彩音はあらためて誓った。
「わたしはけっして、あなたの手を離したりしない」
「それはどういう意味だ?」
 こみあげる感情から生まれた言葉について、あまりにも理性的に聞き返されると、発言したほうが恥ずかしくなる。
「だから、例えばあなたの石を奪われたとしたら、わたしは何としてでも取り返すわ。二度と会えなくなるのは嫌だから、あきらめたりしないということよ」
 照れくさくなって、早口でまくしたてるように説明すると、くろがねはうなずき、しごくまじめな顔で言った。
「そうか。ならば、もし私が浄化されるようなことがあっても、私の石をそのままそばに置いてほしい。もういちど生まれ変わって、おまえを守りたいと思うから」
 こんな風に言われたのは初めてだった。心が震えて、涙があふれそうになる。だが、今、目の前にいるくろがねは、唯一無二の存在だ。絶対に失いたくない。
「そんなことにはならないわ」
 彩音が断言すると、くろがねはふっと微笑んでから、石に戻る為に姿を消した。
(わたしだって、あなたを守れるぐらい強くなるもの)
 本当はそう告げたかった。くろがねはそんな必要はないと言うだろう。しかし、これは彩音自身が心に決めた、彼に対する誓約であった。いつか堂々と、胸を張って宣言したいと思う。
「大丈夫、わたしがついているから」

<了>