まず翻訳から。創元推理文庫の〈名作ミステリ新訳プロジェクト〉からはアガサ・クリスティの第3短篇集『ハーリー・クィンの事件簿』(山田順子訳 創元推理文庫 900円+税)が出ています。


 道化師(ハーレクイン)を思わせる名を持つ探偵役ハーリー・クィンはクリスティ自身が最もお気に入りで、自分が書きたいときにだけ書きたいキャラクターだったといいます。クィンがポワロやミス・マープルといった他のシリーズ探偵役と比べて決定的に異質なのは、自らが謎を解くわけではなく、ワトスン役の紳士サタスウェイトが謎を解くための道しるべとしてのみ存在していることです。各短篇は「人生というドラマの熱心な研究者」サタスウェイトが出会った男女の愛憎を見つめていく中で、その裏に秘められた謎を解く筋立てです。彼がなぜ謎を解けてしまうのか、それは「道化師(ハーレクイン)が導いてくれるから」なんですね。探偵の役割としては興味深くて、神のお告げと同義だといっても過言ではない。そのため初登場時点では普通の登場人物だともいえるクィンが、次第に超自然的な存在に見えてくる連作の面白さもあります。

〈諭創海外ミステリ〉叢書の、訳者に注目した復刊〈翻訳セレクション〉からは『死の濃霧 延原謙翻訳セレクション』(中西裕編 論創社 3200円+税)が出ています。巻頭巻末に収められたホームズ物が、延原が個人全訳した新潮文庫収録版とは別のバージョンだというのは、この復刊企画ならではの編集です。


 間に挟まれた、《新青年》への訳出を中心とした作品群も面白いものが多いですね。作品は延原が自らの目で選んでいるのでしょうから、その鑑識眼の確かさがうかがえます。中でも驚いたのはリチャード・コネル「地蜂が螫(さ)す」で、コネルは日本では〈人間狩り〉テーマの短篇「最も危険なゲーム」が知られる程度かと思うのですが、こういったホームズの影響下の短篇も書いているのですね。

 国内ではまず岡田鯱彦(おかだしゃちひこ)『薫大将と匂の宮』(創元推理文庫 1000円+税)が目を引きます。岡田の長篇代表作で、幾度も復刊されている歴史ミステリの傑作です。


 光源氏の物語に続けて〈私〉が書いた薫の君と匂の宮の物語は、登場人物に准(なぞら)えた人々の不穏な雰囲気をみて、十帖をもって筆を折ることになりました。しかし実際に3つの殺人事件が続いてしまったことで、〈私〉は物語の続きを後世に残そうとその事件をえがくことを決意します。

 平安朝文学専攻の国文学者でもあった岡田が、かつて古書店で入手した書物が源氏物語の続編だったという設定で、源氏物語の贋作を歴史ミステリとしてえがく離れ業をやってのけています。これが源氏物語のいわゆる宇治(うじ)十帖未完説をとるもので、モデルとした人物の間で事件が起きそうだったから未完に終わったのだという仮説の面白さ、また原典で宇治川に身投げ未遂をする浮舟(うきふね)が本当に宇治川で変死してしまう抜群の発端が見事です。謎じたいも、原典のエロティックな雰囲気を援用した巧(うま)さがありますね。

 都筑道夫『悪意銀行』(日下三蔵編 ちくま文庫 800円+税)は『紙の罠』に続く近藤・土方(ひじかた)シリーズの第2長篇です。

 スマートな犯罪を指南するという〈悪意銀行〉を土方が立ち上げました。近藤は儲(もう)けを横どりしてやろうと、土方のもとに持ち込まれた暗殺計画に聞き耳をたてます。歓楽街として財政が潤(うるお)ったピンク・シティの市長選を標的とした計画に、近藤は早速自身を用心棒として売り込みに向かい……。

 軽快なアクションが満載の楽しいコミック・ノベルですが、都筑が落語的スリラーと自称するように、笑いの要素が前作より強くなっています。近藤が落語家の内弟子になっている設定で一席ぶつくだりが象徴的です。場面転換のたび衒学(げんがく)的な雑学を披露したうえでナンセンスな言葉遊びを繰り返すあたりは、高座で面白いマクラを聞くような感じがしますが、このあたりは好みが分かれるかもしれません。