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 ロバート・L・フィッシュのシュロック・ホームズのシリーズは、数多あるシャーロック・ホームズのパロディやパスティーシュの中でも、もっとも有名で評価の高いものでしょう。それは、日本においても同様です。シュロック・ホームズの第一作「アスコット・タイ事件」は、1960年に書かれましたが、邦訳は三年後の63年。日本語版EQMMが、この作品を含めたシリーズ5編を一挙掲載するというものでした。短編集『シュロック・ホームズの冒険』としてまとめられたのは66年ですが、やはり三年後の69年にポケミスに入っています。シュロック・ホームズにはるかに先行しながら、散発的に訳されたことしかなく、79年にようやく邦訳短編集が一冊出た、オーガスト・ダーレスのソーラー・ポンズものと比べて、その厚遇ぶりは歴然としています。
 シュロック・ホームズは、シャーロック・ホームズのパロディで、原典を笑いのめしている点で一貫しています。アンソニー・バウチャーは『シュロック・ホームズの冒険』に寄せた序文を「軽い揶揄というものは、愛情の確かなしるしである」と書き始めました。ここで「軽い」というのは、言葉の綾、ないしは、パロディ愛好家の間の基準ではということであって、怒り出す人がいても普通はおかしくない。むしろ、そのくらいの毒があって初めて、パロディの名に値するというものです。
 以前、シャーロック・ホームズのところで書いたように(『短編ミステリの二百年』第一巻に入っています)、私はさして熱心なホームズの読者ではありません。したがって「聖典」についての知識など、ほとんどありません。そのため、シュロック・ホームズを読んだときにも、原典をもじったギャグについては、ピンと来ないことが多い。それに、翻訳ではうまくそれが生きていないのだろうなと、感じることも少なくありません。むしろ、そういうホームズ通に向けた部分以外の、よりナンセンスなギャグを面白がる方が多いのです。
 その典型が「アダム爆弾の怪」です。E=MC二乗を、暗号として解読するというおかしさとともに、明らかに無理な推理が、問答無用で展開され、あげく地図と坑道図を重ね合わせて、ホームズが幻の陰謀を推理してみせる。そうして「ノーサンバーランド州ぜんたいが消えちまったらしいんだ」という台詞が来たところで、それまで積み重ねられた微笑が、一気に哄笑にかわる。サゲの台詞が、さらに見事で、一席の落語を聴く思いです。
 もっとも、この明らかに無理な推理というのが、依頼人についての推理がはずれるという、ルーティーンのギャグともども、短編集にまとまったときには、くり返しが単調に感じることも事実で、そこは痛し痒しというものでしょう。
 先にこのシリーズの日本での厚遇ぶりを指摘しました。パロディというものが受け入れられるには、相応の成熟が必要なものです。60年代後半が、そういうタイミングだったのは確かかもしれません。加えて、ときのミステリマガジンを仕切っていたのが太田博という、ホームズの熱心な読者だったこと、そして、翻訳家をやがてはホームズ全訳を担当することになる深町眞理子ひとりに絞ったこと、この二点が、日本におけるシュロック・ホームズの普及、ひいてはホームズのパロディ/パスティーシュの受容を開拓するにあたって、大きな要因となった。ふり返って、そのように感じます。

 フィッシュにはロバート・L・パイクの別名で、クランシー警部補を主人公にした、ニューヨーク52分署ものの警察小説のシリーズがあります。長編作品もあって、映画「ブリッド」の原作となったことで有名ですが、短編も61年から64年にかけて4編書かれていて、「クランシーと飛びこみ自殺者」「飛びこみ」「靴みがきの少年」「クランシーと数字の鍵」「猫の目」とすべて訳されています。「靴みがきの少年」「クランシーと数字の鍵」は順序が逆かもしれません。原題はすべてClancy and~の形をとっていますが、邦題では必ずしもそれが踏襲されてはいません。また「猫の目」は日本語版EQMM64年5月号に掲載されましたし、多くの資料にそう記載されていますが、当該誌の目次に載っていません。実際には51ページから掲載されていますから、注意を要します。このころのミステリマガジンには、こういうミスはけっこうあって、ラニアンの「ブッチの子守唄」なんかも、同じ目にあっています。
「クランシーと飛びこみ自殺者」は52分署に異動して早々のクランシーのもとに、地下鉄への飛びこみの報が入ります。急行すると、死んだのは警察が恐喝犯とマークしていたタクシーの運転手と分かります。パラグラフの冒頭に時刻を表記し、クランシーが部下の刑事たちをてきぱきと差配する。きびきびとした警察小説ではありますが、すでに60年代に入っています。新味はありません。同じことは64年に書かれた「猫の目」にも言えて、自分の車で人を轢いてしまったという通報が入ります。長さが短かいこともあって、刑事たちの動きを追うだけで話が終わってしまいます。
 それに比べれば「クランシーと数字の鍵」は、喧嘩の仲裁に入った刑事が、逆にその三人組に襲われ、拳銃を奪われたものの、そのうちのひとりを捕まえて帰署したところという、派手な冒頭です。捕らえられた男は完全黙秘のうえに、所持品から衣類に到るまで、身元を示す手がかりがことごとく消されている。どうやらプロの犯罪者らしいのです。所持金と一緒に持っていた紙片の数字に、クランシーは着目し、彼らの犯行を未然に防ぎますが、数字の鍵のアイデア一発といえば、それまでの話でした。結局、4話の中で一番読ませるのは「靴みがきの少年」でしたが、長さがあって、ふたつ(つまり複数の)事件を盛り込むという警察小説の王道だったことと、上手な人情噺に仕上がったことが大きいように思います。
 60年代のフィッシュには、もうひとりシリーズ・キャラクターがいます。密輸のプロフェッショナル、ケック・ハウゲンスです。おもにスリックマガジンに掲載された、短かい作品から成るもので、短編集にまとめられ、日本でも『密輸人ケックの華麗な手口』の題名で訳書が出ています。ただし、フィッシュはシュロック・ホームズの作者として、まず認められたため、長編の『亡命者』こそ、比較的早く訳出されましたが、その他の部分では紹介が遅れたことは否めなくて、ケック・ハウゲンスも、ほぼ十年遅れの翻訳となりました。オットー・ペンズラーが一冊にまとめるまで、気づかなかったのかもしれません。
 ケック・ハウゲンスは、ポーランドに生まれ、オランダ人の名前とアメリカ合衆国のパスポートを持つという、気がいいけれど、多分に胡散臭い、経済的にも浮沈の激しい男として描かれています。なじみの記者が聞き出す手柄話という形式ということもあって、ジェラルド・カーシュのカームジンを思わせないでもありません。カームジンほどエキセントリックではありませんが、それでも、「欧州情勢は複雑怪奇」を個人が体現したようなところがあります。
 密輸や詐欺に関するワンアイデアで書かれたものが大半で、それも自身の語りですから、ハウダニットというよりは、アイデアストーリイに近い印象を与えます。外貨持ち出し(第二次大戦直後の規制の多い時代が背景です)の陰謀が、連鎖反応を起こしていく第一作めの「ふりだしに戻る」、賭けを表向きにした密輸の依頼をうまくサゲに使った「一万対一の賭け」、そしてケックの出自が事件に大きく関わる「ホフマンの細密画」といった作品が愉快でした。ただし、どれも作品の軽さは否定できません。

 ロバート・L・フィッシュは「月下の庭師」で、MWA賞の短編賞を得ました。ひねりの効いたクライムストーリイで、シュロック・ホームズの作家だと思っていたため、こういう短編を書いたこと自体が、意外ではありました。『亡命者』は読んでいたので、間口の広さは知っていたつもりですけれど。「月下の庭師」は佳作ではありますが、60年代後半の受賞作や、相前後して訳された、やはりMWA賞受賞作のジョイス・ハリントン「紫色の屍衣」に比べれば、アイデアストーリイの上出来なものにすぎないという感想を、十代の私は持っていました。
 もっとも、シュロック・ホームズの陰に隠れて、フィッシュのクライムストーリイは、あまり人の口の端にのぼりませんが、そう捨てたものでもありません。
「地下室の死体」は、ミステリマガジンの20周年記念号に掲載されました。死体を埋めているらしいという意味では「月下の庭師」と一対を成す発想といえるかもしれません。しかし、プロットは別物です。どうやら作業中であるらしい主人公のアンジーに、招かざる客がやって来ます。昔のムショ仲間なのですが、追い返したいけれど、彼は居座ろうとする。どうも、匿ってほしいようなのです。話が進むうちに、口やかましい妻にはかつての経歴を隠している(刑務所ではなくヴェトナムに行っていたことになっているらしい)。客人がそのことに気づくとともに、読者にもそのことが知られていき、客人の要求は脅しまがいのものになる。肩透かしの展開からユーモラスなサゲがきまりました。
「複式簿記」は、殺し屋の話ですが、標的が女だということで、主人公は難色を示している。標的は有名な女優で、かつ、場所がいかがわしいホテルに泊まっているところ。時間も指定されている。本業のかたわらのサイドビジネスながら、主人公の殺し屋としての腕前は一流ですが、その時間にその場所にいるには、職場や妻に口実が要るというのが、フィッシュらしいユーモアでしょう。
 ユーモアという点が、さらに前面に出ているのが「ラッキー・ナンバー」です。見るからに怪しげな占いともつかない予言をする老婆がいて、ときに当たりを予言することもあるらしい。まあ、たいていの人はまぐれ当たりと済ませているようですが、主人公は、それを本気にしている少数派です。彼は、じきに失業保険の切れる煉瓦職人で、職にありつける目途もたたない。藁にもすがる思いで、その老婆に相談すると「おまえさんとこのおっかさんだけど、いくつになったい?」と問われます。彼は義母と同居していて、彼女は74歳になるのでした。それだけの会話から、唆されるように、眠っている義母の顔に枕を押し当てて殺してしまう。そこから始まるのが、主人公の苦難の道のりで、やることなすこと金にならない(義母殺しは露見しないのに!)。有り金残らず工面して博打につぎこめば(賭場はホテルの74号室)、スってしまう。しまいにはナンバーズ賭博の740(74歳で殺して0になったから!)につぎこむのですが、そこで待っていたものは……という話。ここでもサゲが、少々脱力もののユーモアでした。
 ユーモラスな展開が眼目の「ラッキー・ナンバー」は例外でしょうが、フィッシュのクライムストーリイの多くは、結末のアイデアに向けて仕組まれたものが多く、その骨格が露わなものが多いのも事実です。そうしたものに比べると少々味わいが異なるのが「ジョニーのアリバイ」という一編です。主人公は弁護士の女性です。未成年のジョニーが起こした強盗事件の国選弁護人として知り合ったのですが、当時三十代半ばの彼女はジョニーと関係を持ったばかりか、その関係を続けてしまったのでした。その後、彼女の弁護もむなしく、銀行強盗で三年の刑期をつとめたジョニーには、若い「売春婦かなんかみたいな女」が出来ていて、保護観察官からそのことを知らされるところから、小説は始まります。彼女のもとへやって来たジョニーは、アリバイの偽証を彼女に求めます。次の犯罪を計画中なのでした。断ると、未成年だった彼を誘惑し関係を迫ったと暴露するというのです。
 ディレンマに陥った彼女のところへ、当日、刑事が彼のアリバイの確認にやって来る。その時間には自分の事務所に、ジョニーはやって来たというしか、選択肢はないように思えます。そして、もちろん、そこには一編の結末に値するオチが用意されています。しかし、それは単なる意外性というだけではない、彼女の不安定で破滅的な将来を暗示するようなものでした。二十歳近く年下の犯罪常習者によって身体の喜びを知った女性の哀しさといじましさを、それはこの上なく示してもいました。私には「月下の庭師」よりも「ジョニーのアリバイ」の方が、秀れているように思えます。


※ EQMMコンテストの受賞作リスト(最終更新:2014年11月5日)



短編ミステリの二百年1 (創元推理文庫)
モーム、フォークナーほか
東京創元社
2019-10-24


短編ミステリの二百年2 (創元推理文庫)
チャンドラー、アリンガム他
東京創元社
2020-03-19