ガストン・ルルーの『黄色い部屋の謎』を読んでいないミステリ・ファンは、「ミステリ・ファン」を名乗れないのではないでしょうか?
 それほど、このタイトルはミステリ史上に燦然と輝いています。
 たとえば、1995年刊の瀬戸川猛資編『ミステリ絶対名作201』(新書館〉では、「本格」、「ハードボイルド&警察」、「サスペンス&スパイ」、「その他」と分けて、それぞれの絶対名作の作品解説をしていますが、その「本格」部門で取り上げられた『黄色い部屋の謎』について松坂健氏は「そのトリックのナチュラルさから言っても、密室ものの古典たる位置は揺るぎないように思える」と書いていらっしゃいます。そして「今は『オペラ座の怪人』の原作者として知られるルルーだが、我々にはいつまでも『黄色い部屋…』のルルーであろう」とも。ただ、残念ながら、瀬戸川氏は、フランス・ミステリには厳しい方だったので、ルルーも『オペラ座の怪人』のほうに軍配を上げ、それでもミステリ的興奮とはちがう、と『夜明けの睡魔』(創元ライブラリ)では述べておられました。
 
 2013年の週刊文春臨時増刊『東西ミステリー ベスト100』の海外編を見ると、『黄色い部屋の謎』は28位にランクインしています。ちなみに『シャーロック・ホームズの冒険』(1892年)が3位、ポオの『モルグ街の殺人』(1841年)は34位、『バスカヴィル家の犬』(1902年)が47位でした。

 しかし、そんなことより、かのジョン・ディクスン・カーが『三つの棺』の密室講義中で、本書を、史上最高のミステリと称えているのです。S・S・ヴァンダインも傑作長編推理小説7作を選んでいますが、その一冊に『黄色い部屋』を挙げていますし、江戸川乱歩も両大戦間のミステリ・ベスト10では2位の座を与えています。

 フランス人の本格マニア(仏人としては極めてめずらしい) ロラン・ラクルブ Roland Lacourbe は、『密室ミステリ99 99 Chambres closes(ENCRAGE 1991)で、イズレイル・ザングウィルの『ビッグ・ボウの殺人』から現代のポール・アルテ『第四の扉』までの99作品の中に、アガサ・クリスティ『ポワロのクリスマス』、エラリイ・クイーン『チャイナ橙の謎』、ジョナサン・ラティマー『処刑六日前』、F・W・クロフツ『二つの密室』、ピーター・アントニイ『衣裳戸棚の女』、アイザック・アシモフ『鋼鉄都市』等々とともに、本書を挙げています。ちなみに同書の表紙には、Editions Pierre Lafitte 版の『黄色い部屋の謎』の表紙があしらわれています。

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 なんといっても〈密室〉と〈人間消失〉というふたつの要素が、ミステリ・ファンの心を鷲掴みにするのだと思います。
                      
 この絶対的必読書の新訳版には旧訳版にはなかった、ジャン・コクトーによる「序」も収録されています。
 コクトーはかつて、フレイドン・ホヴェイダの『推理小説史』(1960東京創元社 福永武彦訳、81年三輪秀彦訳『推理小説の歴史はアルキメデスに始まる』と改題 キイ・ライブラリ)にも序文を寄せていますから、ミステリというジャンルに強い共感を抱いていたのだと思います。
 同書の序文中で「私は推理小説のなかに別のものを、現代の小説家(1955年の時点での――筆者)の製作するものをはるかに上回る、内的な力とスタイルとを(つまりは魂の認識を)見つけ出します」と書き、そしバリンジャーやアイリッシュやスピレーンの名を挙げて、彼らの作品では「全体の動きにも細部の描写にも、一種の天才が閃き出ているのに、それが通俗小説の分野に属するからといって、馬鹿にする人があるとは驚いたものです」(三輪秀彦訳)と述べていました。
 本書『黄色い部屋の謎』の「序」では「ファントマのマントに包まれて小さな世界で活躍する作家たちを心ゆくまで愛そうではないか。わたしが《愛する》という言葉を使ったのは、それが知識人たちに見すごされがちだからである。しかし、真の賞賛とは愛の一形態、つまりは身を焦がす性的な欲望にほかならない。(……)そうした欲望のありかたこそ、精神が作品にもたらす賞賛を皮相な芸術趣味(ディレッタンティスム)から画するための徴(しるし)なのだ」と述べています。
 なるほど、詩、小説、評論、戯曲、映画、絵画など幅広い創作活動をしたコクトーならではの見識と愛だと思えます。
『深夜の散歩』(創元推理文庫)でミステリ・ファンにも知られる作家中村真一郎の『読書日記』(1988.1.1 ふらんす堂)には十二月三十一日の日付で、「コリンズの競争者だった、フランスのガストン・ルルーを、まず『黄色の部屋』から覗いてみる。ジャン・コクトーの序、才気縦横。ルルーの文体の平易で、現実を落ちついて突き抜けて行く力、上等の娯楽小説」とあります。
「娯楽小説」の言葉はありますが、コクトーの序に胸を躍らせ、ルルーの力を認めているのは明らかですから、ジャンルへの愛が伝わってきます。

 というわけで(?)これだけ長い間、多くのミステリ・ファンを魅了しつづけてきた『黄色い部屋の謎』を名手の新訳で是非お楽しみください。

 カバーは、クラフト・エヴィング商會にお願いしました。かつての創元推理文庫を御存じの皆様なら、懐かしさを覚えるにちがいない、それでいて、まさしくクラフト・エヴィング商會デザイン以外の何物でもない、垢ぬけて洒落たカバーになりました。これほどのオマージュ作品はないと言っても過言ではありません。ありがとうございました。(編集部M.I)