女性の生きづらさが様々な角度から主張され、検証されている昨今。長年女性が抱えてきた問題のひとつを、男性の立場から描き、性別問わずに見直すきっかけを与えてくれるのが山崎ナオコーラの『リボンの男』(河出書房新社 1350円+税)だ。


 小野常雄は、子どもが小さい頃だけでも育児をしたいと、自ら望んで専業主夫に。朝は書店員の妻や息子のタロウのお弁当を作り、片道一時間以上かけてタロウの幼稚園を送り迎えし、保護者たちとの雑談にも参加、そして家事にいそしむ日々。百円玉を川に落とし、拾おうとしたが諦めた常雄はふと、何の賃金も生み出していない自分のことを「賃金マイナスの男」と思うのだった。

 男性が女性の収入で生活していると「ヒモ」と呼ばれるのはどうしてだろう。お金を稼いでいないと、なんとなく立場が低く思われてしまうのはなぜ? 読みながら、ふと、小さい頃、将来なりたいものを聞かれると職業を答える風潮が不思議だったことを思い出した。旅人とか、日々寝そべって本を読む人とは答えにくかったなあ、と。

 ここまで働くことが第一義にとらえられているのはなぜなのか。やはり資本主義経済社会だからなのか……。心地のよい日常の光景や会話を読んでいるのに、いつのまにかもっと大きなところに自分の思考が広がっていた。そこに、著者がこの物語にこめた思いがあるからだろう。

 常識からの脱却といえば、紗倉まなの『春、死なん』(講談社 1400円+税)も非常に興味をかきたてられた。


 表題作の主人公は七十歳の富雄。夫婦で那須(なす)に隠居するつもりだったところ息子の提案で分離型の二世帯住宅を建て、住み慣れた町に留まったが、数年前に妻の喜美代が逝去。今はスーパーに行って食材を買い、コンビニによってアダルト雑誌を買って家で自慰にふける日々。そんなある日、学生時代に一度だけ関係を持った女性と再会。

 老人のイメージを覆(くつがえ)す生々しい姿が描かれる。老人は性欲が枯れ果てているもの、親は子供の側(そば)に住むのが幸せなはず、多くの人がそんなふうに思いがちだが、富雄はちょっと違う。だが、人は得てして敷衍(ふえん)するイメージにとらわれて、自分のことも人のことも傷つけている。

 息子の賢治が二世帯住宅を提案したのは、孝行息子を演じたかっただけ。富雄がそれに応じたのも、親とはそういうものだと思ったからなだけ。みな、世間のイメージに自分を合わせて、本音を見失っているところがある。賢治の妻の里香も良妻賢母であることを夫に押し付けられている節があるが、そんな里香と賢治が終盤で言葉をぶつけあう。立場や役割をこえたところで生(なま)の声を発することができた二人はきっと、今後今までとは違う関係が築けるだろう。

 併録される「ははばなれ」は、30歳目前、夫と二人暮らしのコヨミが視点人物だ。シングルマザーとして兄と自分を育ててくれた母が、還暦を迎え、あっけらかんと恋人の存在を明かす。そんな母を見ているうちに、子どもを欲しいと積極的には思わず、淡々と暮らしているコヨミの心も揺れる。どちらも、役割からの卒業というものを、丁寧(ていねい)な場面づくり、繊細な言葉選びで説得力を持って描きだしている。