彼らは幸せで、怯えていて、救われない。

暴力と欲望に満ちたさまざまな時代と場所で、夢も希望もなく血まみれで生きる人々の一瞬の美しさを切り取った、全10編収録の珠玉の短編集『おれの眼を撃った男は死んだ』
今回は特別に、O・ヘンリー賞受賞の冒頭の一編「よくある西部の物語」全文を先行公開します!

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よくある西部の物語

West of the Known


 兄はあたしを迎えにきた最初の男だった。酒をしこたま飲んで、ニューメキシコの売春宿の外で、 素っ裸の姿をあたしの目のまえにさらした最初の男でもあった。約束をしたら、それを守るだろうとあてにできる最初の男でもあった。許すべきことなど何もない。暴力的な歓喜のなかで、改めて献身を誓おうなどとは望まないだろう。しかし、それがどうしたというのだ? 誓いが文字どおり果たされることなどあるのか? やつらが殺しにきたって、あたしたちは終わらない。この世を超越した熱狂のなかで生きつづける。
 ここまでおまえを迎えにきた、と兄がポーチからいった。もっと何かいったかもしれないが、ビルおじさんとジョシーおばさんが出ていってドアをしめたので、聞こえなかった。あたしはキッチンでトマトを缶に詰めていた。広口瓶の並ぶまえに立って、両手から赤い汁をぽたぽた垂らしていると、バックスキンのロングコートを着た男が入ってきた。
 おれはおまえの兄、ジャクソンだ、といって男は微笑み、手を差しだした。
 男のことは知らなかった。とくに顔が似ているわけでもなかった。
 あたしはラヴィーニア、といって、手を拭けるエプロンを大慌てで探した。
 知ってる、と男はいった。
 あたしはあきらめて両手を挙げた。
 かまわないさ、家族なんだから、と男はいい、自分も手首から赤い汁を滴らせた。
 男は太陽を背にして、影のなかに立った。その姿は地上を支配するためにやってきた黙示録の四騎士のひとり、白い馬の騎士のようで、あたしはそのときに自分の心臓をえぐりだし、差しだしたのかもしれなかった。
 ジャクソンはコンロのほうへ歩き、フックからエプロンをおろしてこちらへ渡しながら、おれたちは目の色がおなじだな、だがおまえの体型は母親似だ、といった。
 行かない、なんてことはできなかった。ビルおじさんとジョシーおばさんは食べるものの面倒は見てくれたけど、決して大事にしてくれたわけじゃなかった。ふたりのことは怖くなかったが、息子のサイは怖かった。
 暗くなるとやってくるものは?
 星。
 ひんやりした空気。
 犬の遠吠え。
 サイ。
 ドアのまえにサイの足音が聞こえるといつも、通り過ぎるだけじゃないときは区別がついた。いとこが入ってきた瞬間から出ていく瞬間まで、サイに寝間着をおろされてから、われに返って首もとのクリーム色の蝶結びがどんなに下手くそか気づくまで、あたしはいつも動こうとしなかった。
 朝になって、サイが馬で町へ向かおうとし、あたしが鶏たちに餌をやっているようなときには、あたしたちは冗談をいったりおしゃべりをしたりした。すくなくともそういう努力をした。あたしは物心ついてからずっとサイを知っていた。あたしたちのあいだには、一緒に使える、家族という名のタペストリーがあった。
 ジャクソンがあたしを迎えにきた夜、サイの足音が聞こえた。まだ荷物を詰め終えていないカーペットバッグが手から落ちた。あたりの空気がシッといった、まるで暗がりから伸びてきて口をふさぐ手のように。サイは寝室に入ってきて窓辺に向かい、両の拳をポケットに入れたまま、ベルをつけた雄牛が牧草地をぶらつくのを見た。酔っていた。どうやって酔ったのかはわからなかった。夕食の席で酒を飲んだのはジャクソンだけだったから。ジャクソンはボトルを持参し、これが人生最後の食事といわんばかりにがつがつ食べた。
 あいつと行くつもりなのか、ええ? サイは歯の隙間からしゃべった。昔、炭鉱夫に顎を折られたことがあった。
 あの人は兄さんだから、とあたしはいった。
 血のつながりは半分だけだろ、とサイはいい、あたしのほうを向いた。
 年上だから、いうこと聞いたほうがいいと思って、とあたしはいった。一家がどうにかしてあたしを行かせないつもりじゃないかと、突然ひどく怖くなった。
 ジャクソンとおれは同い年だ。どっちも五〇年生まれ。あいつがここに住んでいたときのことを覚えてるか? おまえと、ジャクソンと、おまえの母親がいた。
 母さんのこともジャクソンのことも覚えてない、とあたしはいった。
 ほんとに大騒ぎだったーーおまえの父親が南軍で戦うってんで、おれたちのところに子供とインディアン女を置いてった。だが、あいつは問題なかった、あのインディアン女は。で、あいつら、南軍は負けた。サイはあたしの手首をつかんでベッドに座らせた。それから両手であたしの肩を締めつけ、うしろへ押し倒した。ジャクソンがどういう男か知ってるか? サイがそう尋ねるのが聞こえた。最低の馬泥棒だった。ジョン・コクランのじいさんがやつを見逃したのは、おれの親父のおかげだよ。
 準備は済んだか? ジャクソンが、木の棒をナイフで削りながらドア口にもたれていた。
 あたしは弾かれたように立ちあがった。ごめん、まだはじめたばっかり、といって、カーペットバッグを拾おうと膝をついた。
 急げよ、とジャクソンはいい、部屋に入ってきた。
 サイはすれちがいざまにジャクソンに肩をぶつけて出ていった。
 ジャクソンは笑みを浮かべた。あのな、水を差すつもりはないんだが、それを全部一頭の馬に積めると思うか?
 ごめん。多すぎる? あたしは囁(ささや)くようにいい、手を止めた。
 なぜそんなに小さな声で話す? ジャクソンは尋ねた。
 あたしたちがここで何か悪いことしてるって、あの人たちに思ってほしくないから、とあたしはいい、ベッドの下のトランクを持ちあげてひらいた。
 いいか、おまえはおれと、おれの親友、コルト・ウォレスと一緒にニューメキシコで暮らすことになるんだ。それからサル・アダムスもだ、もしやつが見つかればな。だから荷物はできるだけすくなくしてくれ。
 ジャクソンはベッドに腰かけるようなそぶりを見せたが、そうはせずにキルトの上の腰当て(バッスル)を拾いあげた。こういうものを女たちがどうやって身につけるのかぜんぜんわからん、とジャクソンはいった。
 それは持っていかなくてもいい、とあたしはいった。
 いいか、ラヴィーニア、何も怖がらなくていい。おれがここにいたとき、おまえはほんのちっちゃな子供だった。ジャクソンはバッスルをくるくる回しながら投げあげ、受けとめた。
 思いだせない、とあたしはいった。
 ジャクソンはナイフの先を自分の下唇に当てながらこちらを見て、また木を削りはじめた。おれと一緒にいれば、誰にも手出しはさせないよ。わかるだろ? ジャクソンはキッチンへ向かいながら、ふり返っていった。

     *

 ジャクソンはあたしを馬上へ放りあげながら、こういった。おれが戻るまでここにいろ。何があっても馬を降りるな。約束してくれ。
 イエッサー、約束する。首もとの蚊を払いながら、あたしはいった。母さんの墓にかけて誓う。
 それはなしだ、とジャクソンはいった。
 なんで? あたしは尋ねた。
 おふくろはクリスチャンじゃなかったから。
 待って。
 なんだ?
 なんでもない。
 テキサスの平原の闇は実体があるかのように固く、青黒い塵みたいにあたしの顔のまわりに集まってきた。平原とあたしが長引く静寂のなかで待っていると、最初の銃声、そう、銃声が聞こえ、次いでいびつな叫びが家の裏からこぼれ落ちた。鶏がちりぢりに逃げた。すべてを圧するわめき声が引きずるようなすすり泣きへと崩れ、犬の遠吠えや星やひんやりした空気に染みこんでいった。
 ジャクソンがドアをあけると、あたしの下で馬が身じろぎをした。
 教えて、何をしたの? あたしは尋ねた。
 ジャクソンは、木を削ってつくった、血のついた杭を茂みへ放り、拳銃をホルスターにしまった。あの臆病な腰抜けを殺してやった、とジャクソンはいい、あたしの馬を自分の馬と並ぶようにぐいと引いた。
 それで、ほかの人たちは? あたしは尋ねた。
 あいつらが知っていたってのはおまえにもわかってる、だろう?  ジョシーおばさんとビルおじさんのことだ。ジャクソンはあたしの馬を放し、すこし先へ出て止まった。あいつらはサイがやってることを知っていた。これでもうわかっただろう、とジャクソンはいった。
 闇のなかを、あたしはジャクソンについていった。

     *

 何回か朝を迎えたあと、雑貨屋と、酒場が二軒と、貸し馬車屋くらいしかない町に乗りいれた。一方の酒場の裏にまわって、馬をつないだ。ジャクソンが樽の下から鍵を取りだし、あたしたちは脇のドアから入った。ジャクソンは空っぽのカウンターの向こうへ行き、傷のついたグラスをふたつ置いた。
 もっと元気がよかったはずだろう、とジャクソンはいった。心を痛めることなどない。目には目を、と聖書にも書いてある。
 聖書に書いてあることはいっぱいある。汝殺すなかれっていうのもそのひとつ、とあたしはいい、スツールに腰をおろした。
 ああ、聖書ってのは複雑な代物だな、とジャクソンは笑みを浮かべていった。で、おまえとおれは旧約聖書の時代を生きている。ジャクソンはあたしのためにライウイスキーをダブルで注いだ。おれは侵入者にやさしい言葉で警告したりできない。あいつが二度と向かってこられないようにああしなきゃならなかったが、おまえはお行儀ばっかり気にしてそれを心から喜べない。ノー、マーム、おれは自分が害されたら復讐しなきゃならないんです。しかしこうはいえる、おれは気まぐれに人を殺したりはしない。
 で、あたしはお酒を飲まない。そういって、夜から濡れたままになっているカウンターの上でグラスを押しやった。
 ほんとのところ、おまえを置いていくべきじゃなかった。ジャクソンはそういってグラスをカチリと合わせた。おれが逃げだしたときの話だが。おまえは女の子だったし、ひどくちっちゃくて、 赤ん坊みたいなもんだったから、ビルとジョシーは自分たちの子供みたいにおまえに夢中になると思ったんだよ、とくにおまえの母親とおれたちの父親が出ていったり死んだりしたあとには。だが、 あいつらは正しいことをしなかった。まったく正しいことをしなかった。その点についちゃ、おれたちは同意見だ、そうじゃないか?
 そういえるかどうかはよくわからない、とあたしはいった。鼠が足の下を駆け抜けた。
 あいつらは、おれが戻るとは思ってなかった。しかしおれがそばにいるからには誰もおまえを傷つけたりしない――それは約束する。
 あたしはグラスを手に取った。ここに来る途中で食べ物が足りなくなって、きのうの朝テントをたたんでいるときに、ジャクソンは朝食代わりに煙草を巻いてくれた。
 だけど、兄さんがどうするつもりだったのか、あたしは知らなかった。そういって、灰の味がする口のなかで舌を走らせた。
 ほんとか? ちょっと聖書を探してみるよ、おまえが手を置いて誓えるように。
 そもそも、兄さんは字が読めるの? 不自由しない程度には。つづりは苦手だがね。ジャクソンはまたあたしのグラスに酒を注いだ。
 なあ、この世界が女のためにできてないのは、何もおまえのせいじゃない。
 でもあたしたち女もそのなかにいる、とあたしはいった。
 もう一杯飲め、とジャクソンはいった。くよくよ考えるな。
 腕をむきだしにした女が姿を見せた。リボンのついたシフトドレスを着て、雌鶏みたいに胸を張っている。女はジャクソンのほうへ行き、スペイン語で何かいった。ジャクソンは笑みを浮かべ、女をぎゅっと抱きしめた。さあ、行くんだ、とジャクソンはあたしにいった。ローザと一緒に行け、この女が面倒を見てくれる。おれはひげ剃りと散髪をしてもらいにいく。口ひげにワックスをつけて、くるんと巻くべきかな?
 あたしは思わず笑った。娼婦が手を差しだした。ついておいで、ラビーニャ。
 階上(うえ)で、女は洗面台に水を注いだ。水はいくらか脇からこぼれ落ち、床に散った。女は微笑み、 あたしがひどい染みのついた服を脱ぐのを手伝った。女の鼻は折れたことがあるようだったし、上 の歯が二本欠けていた。女が赤ん坊にするみたいにあたしの体を洗っているあいだ、あたしはそこに立っていた。男たちにこういうことをするのかな、とあたしは思った。葉っぱを取り去った場所にずっと手を置いて。お金のために。
 服を脱がされたままベッドに横たわると、自分の身に次に何が起こるかなんてどうでもよくなった。シーツがなくて、あるのはブランケットだけだった。チクチクするそれを頭までかぶって泣いた。あたしが泣いたのは、サイがいなくなってまちがいなくうれしかったからだし、ジャクソンに 最初に手を取られたとき、兄はいい人間じゃない、悪い人間だとわかったからだし、自分はそれまでいい人間だったけど、目をとじたとたんにこれから悪い人間になることがわかったからだった。
 娼婦はまだ部屋にいた。けれどもあたしが静かになると、ドアがしまる音がした。足音は聞こえなかった、その娼婦は靴を履いていなかったから。

     *

 まだ子供と大人のあいだだったので、兄はあたしに男の子の格好をさせた。バンダナさえあればよかった。あたしは年齢にしては背が高くてひょろりとしていたから、喉ぼとけが出ていないのを隠せばいいだけだった。もし兄と働くつもりなら。もし売春宿で働かないつもりなら。あたしはそこそこきれいだったけど、兄はそれを喜ばなかった、母親に似すぎているからだ(と兄はいった、あたしは母さんの顔を覚えていなかった)。
 酒場の裏でジャクソンが結んでくれたバンダナは、うなじの髪を巻きこんでいた。おやおや、ここ何カ月かで三センチくらい背が伸びたな、とジャクソンはいって、あたしの顎を自分のほうへ向けた。どうしてそんなふうに顔をしかめているんだ? だって髪が引きつれてるから、とあたしはホルスターをいじりながらいった。ジャクソンが装備一式をそろえてくれた。六連発の拳銃に、ベルトに、カートリッジも。
 ああ、なぜそういわなかった? もっと短くしなきゃな。兄はシュッとバンダナをほどいていった。なあ、ローザ、もう一度ハサミを取ってくれ。やめて、お願い(ノ・ポル・ファボール)とはどういうこった? ふん、 きれいな髪なのにもったいないとさ、ラヴィーニア。ローザ、ちょっとは役に立ってくれ。ホテルでコーヒーを買って――アーバックル・コーヒーだ、あればなーー帰り際にあのバーテンダーから もう一杯ウイスキーをもらってきてくれ。ラヴィーニア、もしおまえがよければ、髪を全部切っちまおうと思うんだが。
 どうでもいいというように肩をすくめたところで、コルト・ウォレスがサル・アダムスと一緒に酒場に入ってきた。コルトはホワイトブロンドの髪をしていて、オランダ語が話せて、フィドルが弾ける。サルはいつも大きな黒い帽子をかぶっていて、賭けトランプのスリーカード・モンテを教えてくれたとき、おれの父親には肺がひとつしかなくて食べるものといったら蕪(かぶ)だけだったといっていた。
 よう、おまえら、あしたのブタ狩りの準備はいいか? ハニー、おまえはここに座るんだ。ほらな、ローザ、ラヴィーニアは気にしないってさ! ジャクソンは、化粧をして安物の宝石を身につけた娼婦が夜気のなかへと出ていって通りを渡ろうとするところへ、大声で呼びかけた。
 ジャクソン、とコルトがいい、賭けゲームから離れてあたしたちのテーブルに椅子を引きずってきた。美しきラヴィーニア・ベルをどうしようってんだ?
 春をひさぐ生活から遠ざけようとしてるのさ、もっと利益を生む生活をはじめられるように、とジャクソンはいい、黒い髪があたしのまわりに落ちた。サル、こいつの帽子を取ってくれ。ラヴィーニア、立て。そうだ。そこに。まえよりよっぽど男の子らしく見えるだろう?
 サルは笑みを浮かべていった。女の心を持った少年ってわけか。
 コルトは古いスタイルのコマンチ族の雄叫びをあげ、それからこういった。もちろん男の子みたいに見えるさ、それだけアイロン台みたいに平らな――
 ジャクソンは両手でコルトの喉を絞めた。テーブルが傾き、サルがふたりのあいだに割って入ってテーブルを支えた。さがれ、ジャクソン、とサルはいった。ちょっとした失言だよ、そうだろう? コルト、そういう言葉が人の気分を害するのはわかってるだろうに。
 息を詰まらせながら、コルトはうなずこうとした。
 お願い、やめて、ジャクソン! あたしはなんとも思ってないから、ほんとに。胸なんかほしいとも思ってないし。
 なんでだ? ジャクソンはふり向いてあたしを見た。
 よくわかんないけど――銃を撃つとき邪魔になりそうだから?
 ジャクソンは声をたてて笑い、コルトを放した。
 もちろんだ、サル、とコルトは咳きこみながらいった。とくに意味はなかったんだよ、ジャクソン。みんな目を覗きこまないかぎりラヴィーニアを男の子だと思うだろうっていおうとしただけだ。
 で、それはいったいどういう意味だ? ジャクソンはコルトに向きなおって尋ねた。
 ラヴィーニアは長い睫毛(まつげ)をしてるってことだろ。サルは娼婦たちのひとりから飲み物を受けとりながらいった。
 なんだよ、ジャクソン、おれたちは友達じゃないのかよ? ほら、といってコルトが乾杯の声をかけた。いいウイスキーと、悪い女たちに!

     *

 馬で一日の移動だった。サルは広場に残って、銃を持った自警団が来ないか見張り、コルトとあたしはジャクソンと一緒に銀行に入った。不安がおなかにずっしりとこたえた。店内の客はひとりだけ、眼鏡をかけた丸っこい男がいただけで、コルトはこの男に突進していき、手をあげろ、といってどっと笑いだした。そのあいだにジャクソンとあたしはカウンターを乗り越え、六連発の拳銃を出して、出納係ふたりに向かって、ひざまずけ、と叫んだ。
 その金庫をあけろ、とジャクソンがいった。
 それはできません、サー、と年上の出納係がいった。鍵を持っているのは支店長だけです。きょうはここにいません。
 さっさと金を取ってこい。あんたが鍵を持ってることは、この町の誰もが知っている。
 サー、できることならそうしますが――
 こんなことをしている時間があると思うか? ジャクソンは年上の出納係の顔を拳銃でたたきのめし、出納係は両手で鼻を押さえてのたうちまわった。出納係が床に横たわると、ジャクソンは上にまたがり、さあ、いますぐその金庫をあけろ、といった。
 年上の出納係は血に濡れた両手の下からジャクソンを見あげていった。いやです。断固として……
 ジャクソンは右手に持った拳銃の銃床で年上の出納係の頭を強打し、出納係の頭からは脳みそが漏れだした。出納係がカーペットに染みを広げていくさまを見ていると、鼻の奥がツンと痛くなった。そのときまで、血が絵本の赤とおなじだなんて知らなかった。ジャクソンは年下の出納係のほうを向き、年下の出納係は必死になってあたしを見た。
 おまえ、死にたくないだろ? ジャクソンは尋ねた。
 あたしはなんとかして出納係をうなずかせた。
 ジャクソンはあたしに身振りで合図しながらいった。この坊やに、債権も紙幣も硬貨も全部袋に詰めさせろ。
 おい、急げ! 客を無理やり膝立ちにさせ、正面ドアの外を覗きながら、コルトが大声でわめいた。なんかあったみたいだ! サルが馬を引いてる!
 あたしと年下の出納係は、ジャクソンが撃鉄を起こして出納係に狙いを定めたまま窓口をうしろ向きに乗りこえるあいだも、黄麻布の大袋をいっぱいにしていた。もう充分だ、今度は膝立ちになれ、とジャクソンがいった。
 ひとつめの袋をジャクソンに向かって放っていると、年下の出納係が立ちあがってうしろからあたしを捕まえ、銃を引ったくって、その銃をあたしたちに向けて振りたてながら叫んだ。卑劣な盗人め、丸腰の人間を襲いやがって! このポン引き野郎――こいつは女だ!
 ジャクソンは窓口から身を乗りだして年下の出納係の胸を撃ち、あたしの銃を取り戻すと、その銃をあたしのおなかにたたきつけるようにしていった。こいつを撃て。
 誰を? やだ。あたしは銃を押しやった。
 おい! コルトが怒鳴った。何やってんだ? 銃声を聞かれてるだろうが!
 血だまりのなかで後ずさりする年下の出納係に目を向け、あたしはいった。お願い、ジャクソン、こんなことさせないで。
 惨めな状態を終わらせてやるんだ。こいつはどのみち死ぬ。
 あたしは銃を持ちあげ、すぐにおろした。できない、とあたしはいった。
 おまえはおれたちの仲間だろ? ジャクソンはあたしの背後に立っていた。ジャクソンの手の温かみが背中の肉に伝わってきた。いずれにせよ、ラヴィーニア、おまえはこいつにおれの名前をしゃべっちまった。
 コルトが銃を二発撃ったのが、入口のほうから聞こえてきた。
 それで、あたしは年下の出納係の目を撃ちぬいて死なせ、それを最後に銀行から明るい外へ出て、馬に乗った。

     *

 部屋で娼婦とふたりきりになると――それらしいしるしは何もなかったけれど、そのときにはもうここが彼女の部屋だと見当がついていた――娼婦はあたしの指のあいだにウイスキーを押しこんだ。
あの人はあんなことをするべきじゃなかった(エル・ノ・デベリア・アベール・エチョ・エスト)、といいながら、娼婦はドアに鍵をかけ、あたしのバンダナをゆるめた。
 されるがままになりながら鏡を覗きこんだ。酔わせて、とあたしはいった。酒の苦みがほしいの。
 飲みなよ。娼婦はグラスをあたしの唇に当て、それから引っこめて、またいっぱいに酒を注ぎながら尋ねた。あんた、いくつ?
 十五。六月には十六になる、とあたしはいった。ウイスキーは線を引くようにして腹部をくだり、温かさが染みわたった。ちょっと待って。英語がしゃべれるなら、どうしてしゃべらないの?
 娼婦は肩をすくめ、いっぱいになったグラスをまたくれた。男にはしゃべれないと思わせといたほうが楽。
 で、あたしは男じゃないからいいってわけ。
 娼婦はうなずいた。兄さんはなぜ、あんたに男みたいな格好をさせる?
 馬で出かけるとき、男がちょっかいを出してこないように。それと、あたしが面倒に巻きこまれないように。ねえ、娼……籠(かご)の鳥になるのってたいへん? あたしは一口酒を飲んだ。ガンマンになるのはえらくたいへんだよ。
 娼婦がにっこりすると、歯が何本か欠けているのが見えた。女はあたしの上着とシャツを脱がせ、ひだ飾りのあるふくらんだスカートを広げて座った。あたしはあんたの年で夫を亡くした、と娼婦はいった。ここでけっこうなお金を稼いでる。
 お金……あたしはそうくり返し、女の机からウイスキーを取った。ウイスキーの横にはナイフと、七面鳥印のアヘンチンキが置いてあった。あたしもいまいくらか持ってる、といって、何ドルか置いた。これもらってもいい? とあたしはいい、アヘンチンキを自分のウイスキーに垂らした。これで麻痺(まひ)したみたいになれればいいんだけど。あたしはそれを飲んで、またベッドに倒れこんだ。
 あんたの母さんはどこ?
 死んだ。あたしが三つのとき。父さんの妹が面倒を見てくれた。ジョシーおばさん。
 父さんは?
 あたしは首を横に振っていった。戦争で死んだ。
 身内はジャクソンだけなのね、と娼婦はいった。
 ねえ、ローザ、あたしのせいで何か悪いことが起きたらどうしたらいい?
 ドアハンドルがまわり、次いでノックの音がして、兄の声が聞こえてきた――おい、ローザ、入れてくれ。そいつに話があるんだ。ラヴィーニア?
 あたしは慌てて起きあがった。
 ローザは人差し指を唇に当てていった。ラヴィーニアはここにいない。
 いるはずだ――おい、ラヴィーニア、ラヴィーニア! 頼むよ。出てきてくれ、ちょっと話をさせてくれ。
 あたしはアヘンチンキ・ウイスキーをもう一口飲んだ。それから空いてるほうの手を差しだして小声でいった。お願い、ローザ。
 ジャクソン、いまは駄目、とローザがあたしの気持ちを汲んでいった。
 そんなつもりはなかったのに、悪いことをしちゃったら? だってどっちみちあの人は死にそうだった。あたしはローザの頭が自分の顎の下に来るまで引っぱってつづけた。だけどあの人は生きていて、次の瞬間には死んだ。それをあたしがやったの。あたしがやった。
 ジャクソンが悪いね。
 うん、悪い、とあたしはいった。
 お金あるんでしょ? それを持って逃げな。遠くへ。
 だけどあたしも悪いんだ。
 くそ、ドアをあけるんだ! ジャクソンがドンドンとドアをたたいた。いいか、ローザ、おまえの体にはそこまで価値があるわけじゃない、おれがおまえを殴らないと思ったら大まちがいだぞ。
 静かにして! とあたしは怒鳴った。黙ってよ! ドアの揺れがやんだ。兄さんの顔なんか見たくない、とあたしはいった。
 ラヴィーニア。ジャクソンがドアにもたれてすべり落ちる音がした。なあ、そんなこというなよ。
 あたしは前腕と頭をドアにもたせかけた。なんで? とあたしは尋ねた。
 かわいい妹、怒らないでくれ、とジャクソンはいった。おれに腹を立てないでくれ。耐えられない。
 だったらなんであんなことさせたの? あたしは尋ねた。
 あいつらはおれたちの顔を見た。おれたちがやったのは、身を守るためにしなきゃならないことだった。正当防衛だ。確かに、きつい教訓ではあった、それを偽るつもりはないよ。
 だけどあたしも悪者になっちゃった。体が温かい波に吞みこまれたみたいになり、ドアをすべり落ちた。
 ジャクソンが立ちあがるのが聞こえた。なあ、そっちへ入れてくれ。
 鍵に置いたあたしの手に、ローザが手を重ねた。ローザの目がいわんとしていることが、あたしにはわかった。ドアをあけるとすぐにジャクソンが倒れこんできて、ローザを追いまわした。
 ジャクソン、やめて。兄がローザの首をつかむと、あたしは兄の肘をぐいと引いた。ねえ――ローザはあたしが頼んだことをしただけだから!
 ジャクソンはあたしを振り払ったけれど、ローザのことも放した。行けよ、出てけ、とジャクソンはいって乱暴にドアをしめ、それからあたしをベッドに運ぶと、うしろから組みついてきて、涙が出るほど締めつけた。あたしは起きあがって逃れようとはせず、そのままでいた。広い広い世界のなかで、ここだけが自分の居場所のような気がしたから。ジャクソンはあたしの髪のなかに言葉を吹きこんだ。おれたちは仲間だ。
 ジャクソン、痛い、とあたしは鼻をすすりながらいって、踵のうしろで兄のすねを蹴った。
 ジャクソンは息を吐いて力をゆるめた。 階下(した)で連中が寂しがってるぞ。
 そんなことないでしょ。
 ベル家の美人(ベル)がいなけりゃ祝いができない、といっている。
 あたしはごろりと寝返りを打ってジャクソンと向きあい、無精ひげの生えた顎を額で押した。どうしてあたしを兄さんみたいにさせたいの?
 罪の落とし子でいるほうがいいのか?
 もうとっくにそうなってる。
 いってる意味はわかるだろう。つまり……ジャクソンは頭のなかで言葉を探ってからつづけた。ひよわな妹ってことだ。
 あたしは思わず声をたてて笑った。ジャクソンはあたしのパンチをひょいひょいとかわしながら雄叫びをあげ、あたしをベッドから突き落とした。鼻血が出た。痛むか? ジャクソンはベッドの縁から身を乗りだして尋ねた。
 うーん、わかんない、とあたしはいって、どさりと落ちた床の上で肩をすくめた。心地よい眠けはあったけれど、目は覚めていた。なんにも感じない、体のなかが昼さがりみたい、とあたしはいった。
 ジャクソンはアヘンチンキの壜をちらりと見やり、冷ややかに、痛烈にあたしを手の甲で殴った。二度とそんな真似はするな、わかったか?
 鼻血は倍になったけど、あたしはジャクソンの両手を顔からはがそうとしながらいった。ぜんぜん痛くない。ねえ、ほんとに、ほんとに痛くない!
 あたしは笑い、ジャクソンも笑い、ふたりで階下の酒場に降りて吐くまで酒を飲んだ。吐いて胃も頭も空っぽになるまで。

     *

 次の夜、保安官助手がふたり酒場に入ってきて明かりを撃ちぬいた。暗がりにときおり光がちらつくなか、一組の手に押さえつけられた。ジャクソンが階上(うえ)でローザと一緒にいるあいだ、あたしは酒を飲んでいた。六連発の拳銃を取りだしたが、影の位置を見て狙いをつけるやり方を知らなかった。頭のそばで誰かがシーッというのが聞こえ、あたしはその男と一緒に裏口へ這っていった。
 酒場の混乱から抜けだすと、コルトは立ち、ひと息ついていった。ジャクソンとサルにしてやれることは何もない。もし刑務所に連れていかれたら、脱獄させる。さあ、行こう。
 駄目、とあたしはいって、立ちあがった。
 酒場をぽかんと眺めていた見物人たちが、いまはあたしたちに目を向けていた。
 ラヴィーニア、といってコルトはあたしの肩をきつくつかみ、酔っぱらいみたいによろよろしながらふたりで店と反対のほうへ向かった。ロウソクのともった家のそばを通りすぎると、ガラスで切ったコルトの手からあたしの腕に血が流れ落ちるのが見えた。
 路地の端まで行くと、コルトは三頭の馬がつないである横木のところへ向かった。ふたりそれぞれに身を屈めて馬の手綱を解いた。あたしが乗ろうとした馬はフンと鼻を鳴らしたけれど、盗まれることをいやがりはしなかった。けれども邪魔されずに町を出ていくことはできなかった。保安官とその助手が待ちうけていて、あたしたちを撃ってきた。大粒の散弾があたしの肩に当たった。コルトにも当たった。コルトは唾が流れるみたいにずるずると馬から落ち、仰向けに倒れて死んだ。

     *

 なあ、そこの保安官助手、とジャクソンが格子の隙間からいった。そのペンとまっさらな紙はいくらだ?
 留置場の外にいる男たちの怒声が大きくなりはじめた。白髪頭の保安官は机に向かって座り、あたしたち全員を無視したまま、報告書を書いていた。
 これか? 助手が足を止めた。
 二十ドルまるごと払うよ、とジャクソンはいった。裁判まで生きていられたら驚きだからな、おれの最後の頼みくらい聞いてくれたっていいだろう。
 ときどき、ドアをドン、ドンと打つ音が聞こえた。
 あたしたち、裁判まで生きてられないの? とあたしは尋ねた。
 そうだな、外にいる暴徒は、おれが銀行の出納係と警官と賭けトランプのディーラーとあの男――誰だっけ?――を撃ったせいで激怒しているからな。ああ、あの男は神秘学者だった。
 あたしは声をたてて笑った。男たちがドアを蹴った。保安官はウィンチェスターライフルを確認した。
 ジャクソンは含み笑いをしていった。これを書くのは時間との闘いだな。鳥の群れが飛びこんできたかのように窓が砕けた。ジャクソンは書き物から顔をあげなかった。
 保安官、おれのちっちゃな妹を守ってくれるだろ? 最後の審判の日に立ちあうかのように、連中を説き伏せてくれないと。ここにいるこの少女は兄貴のうしろにくっついていただけだ、強力な家族の支配下にあったんだといってくれ。助手さんよ、これを妹に渡してもらえないか。
 保安官助手はその手紙を受けとった。
 保安官はいった。外には、おまえさんたちにひどく腹を立てている男が四十人くらいいる。法律によれば、おれたちふたりはおまえさんとその子を守らなきゃならない。おれたちもせいぜい死なないようにしないとな。

おまえの夢――
  ラヴィーニア、おまえと一緒にいる夢を見た、
  いとしいおまえの息がかかるほどそばにいた。
  おまえは誰ともちがっていた
  おまえがそばにいればいいのに。
  地上の天使も天上の天使も、
  おまえの心にはかなわない、
  死も距離もおれたちを引き裂くことはない。
  もし誰かがやってきて
  おまえを永遠に愛すといったとしても、
  おまえはやつらにいってやれ
  おれほどおまえを愛すやつはいないと。
  さらばだ! 妹にして友、
  そしてベル家の美人(ベル)

  心をこめて
  ジャクソン・ベル

 四十人が通りからあたしたちの監房に入ってきた。
 男たちはジャクソンとあたしを、犬の遠吠えと星とひんやりした空気と暗がりのほうへ引きずった。たくさんの手が髪をつかんできた。藪でこすれた両手を、梱包用のワイヤーでひとまとめに縛られた。
 留置場の裏のどこかにあった、使われていない馬小屋のなかで、男たちはジャクソンを木箱の上に立たせ、垂木から吊った縄をジャクソンの首にかけた。男たちは保安官と助手を押さえつけていた。ふたりは頭を殴られて血を流していたので、目がないみたいに見えた。
 ジャクソンのほうへ引きたてられていくと、兄の首にかけられた縄が新品でさえないのが目についた。
 やあ、と兄はいった。最後の望みでおまえを連れてきてもらったんだ。さて、どう思う? おれは約束を守ったと思わないか? おまえは大丈夫だ。サルが見つからなけりゃ、ローザが面倒を見てくれる。
 あたしはうなずき、兄から引き離された。
 なあ、泣いてないよな? ジャクソンが、苦しそうに唾を吞みこみながら呼びかけてきた。さあ、早く――最後におれにいうことはないのか?
 男たちはあたしを木箱のほうへ連れていき、首のまわりに縄を結んだ。
 おい、何をやってるんだ? ジャクソンがいった。
 公正な裁判もせずに女を殺すなんていけない、と保安官がいいだした。
 おい、あんたたち、話がちがうだろう。ここにいる保安官のいうことを聞け――ジャクソンがそういうと、男たちはジャクソンの腹を殴った。
 ラヴィーニア・ベル、おまえの最後の望みはなんだ? 男たちはあたしのまわりに群がって尋ねた。
 ときどき、自分がふつうの女の子だったらよかったのにと思う。娼婦でもなく、お尋ね者でもなく、男のふりをするのでもなく。父親は二年、母親は三年いたけれど、それがどんなふうだったかは思いだせない。よく面倒を見てくれたのか。怪我をしないように気遣ってくれたのか。どんな犠牲を払ってでも子供を手もとに置こうとしたのか。
 女が先だ、と男たちはいった。
 ぜんぜん怖くない、とあたしはいった。兄さんはちゃんと約束を守った。どうもありがとう。
 あんたたちにも妻が、姉妹が、娘がいるんだろう? 保安官が叫んだ。
 厚ぼったい手で胴体を持ちあげられた。
 待て! わからないのか? おれがいなけりゃそいつはなんにもしなかった、おれがいなければ――
 縄が締まった。
 保安官は大声でわめきながら、立ちあがろうともがいていた。この罪は魂に重くのしかかるぞ!
 おい、頼むから聞いてくれ――出納係を殺したのはそいつじゃない、おれだ――おれひとりでやったんだ!
 あたしは木箱の上にいて、日の出の直前の時間だったけど、新しい朝を迎えられそうなきざしはまったくなかった。あたしは夜が終わるのを待った。目のまえの平原の闇があたしを塵に返すのを待った。