本書の著者であるジャーナリストのシェーン・バウアーが潜入取材のため、ルイジアナ州ウィンフィールドのウィン矯正センターで刑務官として働きだして二週間後、ひとりの受刑者が有刺鉄線のフェンスを乗り越えて外の森に逃げこんだ。だが、その姿は誰にも見とがめられることがなかった。監視塔に見張りがおらず、無人だったからだ。というのも、州からこの刑務所の運営を委託された会社コレクションズ・コーポレーション・オブ・アメリカ(CCA)は、人員削減のため、ずいぶん前からこの監視塔に人を配置するのをやめていたのである。コントロール室では敷地境界のフェンスに取りつけられた警報が鳴った。それは誰かが脱走した可能性を示していたが、監視カメラのモニター係は映像を巻きもどしてたしかめることもなく、ただ手を伸ばして警報を切った。刑務所側が脱走に気づいたのは、それから数時間もたってからだった──
アメリカの服役囚のおよそ一割弱が収容されている民営刑務所。その実態を明らかにすべく、ジャーナリストである著者は潜入取材を試みた。その四カ月間のルポが本書の中心となっている。
著者のバウアーは、シリアのダマスカスを拠点にフリーの記者として活動していた二〇〇九年に、友人らとイラクのクルド人自治区の観光地へハイキングに出かけた。その途中で、誤ってイランとの国境に近づいてしまったため、イランの国境警備隊に逮捕され、スパイ容疑をかけられてイランの刑務所に二年以上にわたって収監されることになった。長い独房生活を含むこの経験によって、釈放後PTSDに苦しめられた彼は、自らの体験に整理をつける意味もあってアメリカの刑務所問題に関心を向けるようになる。そして、公営刑務所とくらべても情報公開の度合いが低く、とくに秘密主義で隠された部分の多い民営刑務所の実情に迫りたいと考えるにいたった。
かくしてバウアーは社会派の雑誌マザー・ジョーンズ誌の潜入記者として、大手の民営刑務所運営会社CCAの運営する複数の刑務所の求人に応募し、採用された中からルイジアナ州のウィン矯正センターを選んで、二〇一四年十二月から働きはじめる。
そこからの彼の体験は、衝撃と驚愕のオンパレードだ。まず、刑務官という危険で精神的負荷の大きい仕事にもかかわらず、時給がわずか九ドルというところに驚かされる。さらに、大半の一般囚が寝起きする雑居房が四十四人もの大部屋であることや、その大部屋が計八室あるひとつの棟につき、受刑者を直接監視する刑務官がたったふたりしか配置されていない(ひとりにつき受刑者百七十六人!)時間が多いことにも驚くしかない。しかも、一般の刑務官は、銃はおろか警棒も催涙スプレーも携帯していない。奪われる危険があるからということだが、これでは受刑者どうしのトラブルなど止めようもなく、仮に暴動でも起きたら刑務官がどうなるのかは考えるだに恐ろしい。
バウアーが刑務官として働いたわずか四カ月のあいだに、ウィン矯正センターでは映画やドラマのようにさまざまな事件やトラブルが続発する。前述の脱走事件に受刑者の自殺、たび重なる受刑者どうしの手製刃物を使った喧嘩や(手製でない)本物のナイフの発見……あまりに状況が悪化したことから、刑務所全体に無期限のロックダウンが敷かれたうえ、州矯正局の職員やCCAの精鋭チームが応援と監視のために送りこまれる事態にまでいたる。この時期のウィン矯正センターは末期的な混乱状態にあり、バウアーはちょうどそのさまを目撃することになったのだ。
なぜそうなってしまったのか、その理由は本書を読みすすめるうちにはっきりわかってくる。最大の問題は人手不足と刑務官たちの士気の低さであり、それはひとえに、会社が少しでも刑務所の運営コストをさげようとしているためだ。
民営刑務所は、運営を委託された州や連邦政府から受刑者ひとりあたり一日いくらという形で運営費を受けとっている。バウアーが勤務していた当時のウィン矯正センターでは、ひとりにつき一日三十四ドルだった。これで受刑者の衣食から医療費、更生プログラムの費用までをまかなわなければならない。ちなみにルイジアナ州の公営刑務所では、受刑者ひとりあたりにかかる一日のコストは同時期で五十二ドルだった。ただでさえ公営刑務所よりも大幅に少ないこの金額の中から、民営刑務所は利益を出さなければならない。当然、コストをできるかぎり抑えようとするインセンティブが働く。そしてコストの中で最大の部分を占めるのが人件費であり、次が医療費だ。ウィン矯正センターでは、監査のとき以外はほぼつねにスタッフが定員を満たしていない状態で運営されており、人が足りないために大運動場も図書館もろくに使えず、更生のための教育や職業訓練のプログラムももはやほとんどおこなわれていない。
また、所内の医務室には医師こそいるものの、受刑者が外部の医療機関で診療を受けたり入院したりした場合の費用はCCAが負担する契約となっているため、極力外部の病院へ連れていくことが控えられている。そのためにかなり重い症状が放置されるのも日常茶飯事であることがうかがえる。
刑務官の収入が低いことをよく知っている受刑者たちが、賄賂を使ってドラッグや携帯電話などを持ちこませようとすることもあとを絶たない。公営刑務所とくらべて低賃金なうえに、人手不足でより仕事がきついウィンのような民営刑務所では、刑務官の士気もモラルも低い。他方で、受刑者はより劣悪で危険な環境に置かれ、人権も守られていない。
このどこを見ても地獄のような制度がなぜ存在するのか、それは犯罪者に多くの税金を使いたくないという人々の意識があるからだ。本書では潜入ルポと並行して、南部の州などが刑務所の運営費削減と営利目的でおこなってきた囚人貸し出し制度や刑務所農園等での受刑者の強制労働の歴史がつづられている。そこでは黒人を中心とした囚人たちが、奴隷時代と寸分変わらない人権無視の折檻を受けながら働かされていた事実が克明に描写されているのだが、それらの記述を通じて一貫して感じられるのはその意識である。本書は、アメリカの刑務所ビジネスの闇の奥から、犯罪をおかした者への社会や市民の冷酷さというさらに深い闇をあぶりだしているように思えてならない。
バウアーは二〇一五年三月にウィン矯正センターを辞めたのち、さらなる事後取材を重ね、満を持して二〇一六年六月にマザー・ジョーンズ誌に長編の潜入ルポを発表する。知られざる民営刑務所の実態を白日のもとにさらしたこの記事は、全米から大反響をもって迎えられ、同誌創刊以来もっとも読まれた特集記事になるとともに、二〇一七年の全米雑誌賞を受賞した。
同時に、この記事によって、CCAにも民営刑務所そのものにも厳しい世間の目が向けられるようになった。そのハイライトは、当時のオバマ政権下の司法省から、バウアーのもとに民営刑務所の問題について話を聞かせてほしいと連絡が入ったことだ。バウアーはこれに応じ、ほどなくして司法省は連邦刑務所の民間委託を取りやめるとの方針を発表した。バウアーの記事が国を動かしたのであり、どれだけの社会的インパクトをもたらした記事だったかがうかがえるだろう。なお、悪評と大幅な株価下落に見舞われたCCAは社名を変えることまでしている。もっとも皮肉なことに、トランプ政権になってその決定は覆され、CCA改めコアシビック社は連邦移民収容センターの運営などで業績を盛りかえすことになったのだが……
このマザー・ジョーンズ誌に発表された特集記事をベースに、南部で奴隷制廃止以後、一九七〇年代まで連綿とおこなわれてきた囚人の強制労働の歴史について探ったパートを加えて書かれたのが本書である。二〇一八年に刊行されると、雑誌記事掲載時に劣らぬ大きな話題を呼び、二〇一八年のニューヨークタイムズ紙テン・ベスト・ブックスの一冊に選ばれたほか、バラク・オバマ前大統領も二〇一八年のお気に入りの本のひとつに挙げるなど各方面で高く評価された。さらに、J・アンソニー・ルーカス図書賞、ヘレン・バーンスタイン・ジャーナリズム優秀図書賞、ロバート・F・ケネディ図書ジャーナリズム賞など数々の賞にも輝いた。
本書の書評の一部を紹介しよう。
〝『アメリカン・プリズン』はページを繰る手の止まらない(マザー・ジョーンズ誌の)記事の書籍化であり、CCAの裏の歴史に光をあてるのみならず、利潤追求の手段としての刑務所の歴史を暴いた〟──ニューヨークタイムズ紙
〝バウアーはウィン矯正センターの空気に毒されて自分自身が権威主義に取りこまれていくさまを生々しく描きだした〟──パブリッシャーズ・ウィークリー誌
〝ショッキングな非人道的行為の例が毎ページのように出てきて(中略)人口に占める収監者の割合が世界一高い国アメリカの刑務所の強烈な一側面を突きつけられる〟──カーカス・レビュー誌
民営刑務所というシステムにするどくメスを入れただけでなく、犯罪の再生産を生む刑罰制度、人種差別、さらには力や権威を手にすることが人間の心におよぼす悪魔的作用まで、さまざまなことについて考えさせてくれる本書は、多くの問題提起を含んだ必読の一冊である。
満園真木(みつぞの・まき)
満園真木(みつぞの・まき)
東京都生まれ。青山学院大学国際政治経済学部卒業。翻訳家。主な訳書に、ヴィンセント・ディ・マイオとロン・フランセルの共著『死体は嘘をつかない――全米トップ検死医が語る死と真実』、バリー・ライガ『さよなら、シリアルキラー』、アレックス・リーヴ『ハーフムーン街の殺人』、リサ・ガードナー『無痛の子』などがある。