といっても、続編や模作(パスティーシュ)の形で、なつかしのヒーローがよみがえったわけではない。基本的な設定はそのままに、細部を現代風にアレンジして、物語を一から再起動する手法――ハリウッド映画やアメコミではすっかりおなじみになった“リブート”――を用いた作品が書かれたのだ。したがって、正確にいえば、二十一世紀にふさわしい新たなキャプテン・フューチャーが誕生したのである。
しかも、作者はリアルな宇宙開発ものを本領としながら、キャプテン・フューチャーを愛するあまり、オマージュ作品「キャプテン・フューチャーの死」(本物のキャプテン・フューチャーは出てこない)をものしたアレン・スティール。とすれば、期待するなというほうがどうかしている。
じっさい、原書を読んだときには、原典の要素を巧みにとり入れながら、自分の得意分野である宇宙開発ものに作品世界を引き寄せ、波乱万丈のストーリーを紡ぎだした作者の手腕にうなったものだ。登場人物はもちろんのこと、ちょっとした固有名詞にも由来があって、いちいちうなずいたり、ニヤニヤしたり……。
おっと、つい話が先走った。あらためて、原典となった《キャプテン・フューチャー》シリーズについて説明しておこう。
話は八十年ほど前にさかのぼる。当時アメリカではパルプ雑誌と呼ばれる大衆娯楽メディアが全盛を誇っていた(粗悪な紙に印刷することで大幅に値段を下げたので、この名前がある)。そのなかにヒーロー・パルプというジャンルがあった。正義のヒーローの名前を冠した雑誌を発刊し、その活躍を毎号読み切りの長編の形で載せるというものだ。
じつは《キャプテン・フューチャー》は、そのSF版として出版社が企画したものだった。作者として白羽の矢が立ったのが、宇宙活劇(スペース・オペラ)の大家として名を馳せていたエドモンド・ハミルトンだが、ハミルトンは出版社の用意した荒唐無稽な設定をよしとせず、自分なりに作り替えたうえで執筆に臨んだ。
こうして生まれたのが、キャプテン・フューチャーの異名で知られる若き天才科学者にして冒険家のカーティス・ニュートンと、数奇な運命で彼の育ての親となったフューチャーメン、つまり、高名な科学者の頭脳だけが箱にはいって生きているサイボーグのサイモン・ライト(通称〈生きている脳〉)、ゴムのような肉体を利して自在に姿形を変えられる人造人間(アンドロイド)のオットー、怪力無双の鋼鉄巨人であるロボットのグラッグだ。この四人が太陽系の危機を救うため、惑星パトロールのエズラ・ガーニー老司令や、惑星警察機構の腕利き女性諜報員ジョオン・ランドールとともに時空を股にかけて冒険をくり広げるというのがシリーズの骨子。
魅力的なキャラクター、奔放なストーリー、奇想天外なアイデアと三拍子そろったこのシリーズは、たいへんな人気を博して一世を風靡した。一九四〇年から四四年にかけて〈キャプテン・フューチャー〉誌に長編十七作が発表され(うち二作はジョゼフ・サマクスンが執筆)、第二次世界大戦による紙不足のため同誌が休刊してからは、発表舞台を同じ出版社から出ていたSF誌〈スタートリング・ストーリーズ〉に移して、四五年から五一年にかけて長編三作(うち一作はマンリー・W・ウェルマンが執筆)、短編七作が発表された。これらは、〈キャプテン・フューチャー〉の誌面をにぎわせたコラムと合わせて、全十一巻の《キャプテン・フューチャー全集》(二〇〇四~〇七/本文庫)にまとまっているので、未読の方はもちろんのこと、むかし読んだきりという方も、ぜひともお読みいただきたい。
一九六〇年代後半にパルプ時代の小説が見直されたとき、《キャプテン・フューチャー》シリーズも部分的に復活した。だが、版元のポピュラー・ライブラリが弱小だったうえに、時系列がバラバラで、あまり重要でないエピソードから刊行されたのが仇(あだ)となったのか、十三冊で打ち切りとなった。SFは洗練をとげ、ついには旧来のSFを徹底批判する〈新しい波(ニュー・ウェーヴ)〉運動が起きていたころ。《キャプテン・フューチャー》は時代遅れの骨董品とみなされたようだ。
しかし、わが国では事情がちがっていた。現代SFが失ってしまった原初の力をスペース・オペラに見いだし、その魅力の啓蒙に務めた野田昌宏がいたからだ。数あるスペース・オペラのなかでもとりわけ《キャプテン・フューチャー》を愛した野田は、ことあるごとにその魅力を喧伝し、みずから翻訳の筆をとって紹介に邁進した。最初の邦訳書はハヤカワ・SF・シリーズの一冊として出た『太陽系七つの秘宝』(一九六六)。つづいて『謎の宇宙船強奪団』(同前)と『時のロスト・ワールド』(一九六七)が同じ叢書から出た。発表順では第五、第六、第八作に当たる。とすれば、いちばん面白いものから出していこうという意図があったのだと推測される。だが、これらは抽象画を表紙にした高踏な装いの新書版であり、スペース・オペラの容れ物として、ふさわしいとはいえなかった。
風向きが変わったのは一九七〇年。見開きのカラー口絵に加え、多数の白黒イラストを配したハヤカワSF文庫(現在の名称はハヤカワ文庫SF)が創刊されたのだ。当初は娯楽路線をとっており、《キャプテン・フューチャー》の器としてはうってつけだった。水野良太郎の描くアメコミ・タッチのイラストを得て、七〇年十二月に出た『透明惑星危機一髪!』(発表順では第七作)を皮切りにシリーズの刊行がはじまった。
こちらも時系列はバラバラだったが、そんなことはおかまいなしに爆発的な人気を呼んだ。訳者の野田が多数の人気シリーズをかかえていたうえに、TVディレクターという本業のほうでも多忙をきわめたので、訳出には時間がかかったが、一九八二年六月に第二十巻『ラジウム怪盗団現わる!』が出て完結した。翌年には〈SFマガジン〉七月臨時増刊号という形で『キャプテン・フューチャー・ハンドブック』が刊行され、未訳だった短編も邦訳されて、シリーズの全訳が成った。ちなみに、同誌には野田昌宏の手になるパスティーシュ長編『風前の灯(ともしび)! 冥王星ドーム都市』(二〇〇八/本文庫《キャプテン・フューチャー全集》別巻)も一挙掲載されていた。
この間に多かれ少なかれ改変をほどこしたジュヴナイル版が数多く出た。『宇宙FBI』(一九六八/偕成社)や『宇宙怪人ザロ博士の秘密』(一九七三/あかね書房)といった題名を忘れられない人も多いだろう。ジュヴナイル版に関しては詳細に踏みこんでいる余裕がないので、全集第十一巻に付された伊藤民雄氏作成のハミルトン作品リストを参照していただきたい。
いっぽう《キャプテン・フューチャー》シリーズは、NHKと東映動画の制作でアニメ化された。全五十二話で、放映は一九七八年十一月から七九年十二月。映画《スター・ウォーズ》の大ヒットがもたらしたSFブームのころで、宇宙船のデザインをはじめとして、現代風にアップデートされていた。このアニメは多くの外国でも放映され、とりわけヨーロッパとサウジアラビアで人気が高いと聞く。現在では東映ビデオの販売する全二巻のBlu-ray ボックス(二〇一六)が手にはいる。
この後、一九九五年にハヤカワ文庫SFから五作の新装版が出たあと、前述のとおり、今世紀にはいって版元を東京創元社に移し、全集としてまとめられた。
本国では小出版社の雄ハフナー・プレスから豪華なハードカヴァー版の全集が刊行中であり、アドヴェンチャー・ハウスからはパルプ誌掲載版を復刻したトレード・ペーパーバックが出ているほか、電子書籍やオーディオ・ブックにもなっている。洋の東西を問わず、《キャプテン・フューチャー》は、いまも根強い人気を誇っているのだ。
本書の成り立ちについては著者の「あとがき」にくわしいし、下手に内容に踏みこむと、読者の楽しみを奪いかねないので、いくつか補足をするにとどめたい。
まずカーティス・ニュートンの偽名ラブ・ケインだが、これはシリーズ第十八作『危機を呼ぶ赤い太陽』でカーティスが扮する宇宙ゴロツキの名前。
カーティスたちが乗る惑星間フェリーの船名は、ハミルトン夫人だったSF作家リイ・ブラケットにちなむ。
第四部第六章でカーティスが口ずさむ歌は、注釈にもあるとおり、ハミルトンの作である。最初のふたつは《キャプテン・フューチャー》シリーズに出てくるので、野田昌宏氏の訳をお借りした。この場を借りて感謝する。三つ目は同時期に書かれたスペース・オペラ“The Three Planeteers”(1940) から引いたもの。この作品では、宇宙の無法者に身をやつした内惑星同盟の潜入捜査員三名が、宇宙海賊や外惑星連合の大軍を相手に大立ち回りを演じる。
訳語は野田訳を踏襲するように心がけたが、あえて変えたところもある。その最たる例がカーティスの母親の名前だ。綴りは Elaine であり、フランス人というわけでもないので「エレーヌ」ではなく「エレイン」とした。違和感をおぼえる方もいるだろうが、新たなキャプテン・フューチャーの物語ということでご了承いただきたい。
遅くなったが、作者の紹介をしておこう。
アレン・スティールは、本名アレン・ミュールヘリン・スティール・ジュニア。デビュー当初はアレン・M・スティールを名乗っていたが、現在は真ん中のMがとれている。これは石森章太郎が石ノ森章太郎に変わったようなプチ改名であり、本人の意思を尊重した表記が望ましい。
一九五八年一月十九日、テネシー州ナッシュヴィル生まれ。八五年にミズーリ州立大学コロンビア校を卒業し、マサチューセッツ州ウスターに居を移して、地元の週刊誌の記者となった。幼いころからSFファンで、この時期にSFの執筆を本格的にはじめる。八七年に長編の出版契約を結ぶと、フリーのジャーナリストとなり、ニューハンプシャー州に移住した。
デビュー作は〈アシモフズ〉一九八八年十二月中旬号に掲載された短編「マース・ホテルから生中継で」(ハヤカワ文庫SF『80年代SF傑作選 上』所収)。これを機にフルタイムの作家となった。つづく八九年には第一長編Orbital Decayが刊行され、近未来の宇宙開発に従事する労働者の姿をリアルに描いた作風からハインラインの再来と評された。同書はローカス賞の第一長編部門の第一位に輝いている。
以後、ほぼ年に一作のペースで長編を上梓し、その数は二十一にのぼる。《近宇宙(ニア・スペース)》と《コヨーテ》の二大宇宙小説シリーズのほか、単発長編として改変歴史もののV-S Day(2014)と、数世代にわたる宇宙船建造の物語Arkwright(2016)を代表作としてあげておく。そのかたわら短編も精力的に書きつづけ、その多くはRude Astronauts(1992)をはじめとする七冊の短編集にまとまっている。
一九九五年に発表した長い中編(ノヴェラ)「キャプテン・フューチャーの死」は、翌年のヒューゴー賞と〈サイエンス・フィクション・ウィークリー〉読者賞を制した。わが国では本家の訳者、野田昌宏による翻訳が〈SFマガジン〉一九九七年一月号に掲載され、翌年の星雲賞を海外短編部門で射止めた。
一九九七年に発表したノヴェラ「ヒンデンブルク号、炎上せず」(〈SFマガジン〉一九九九年一月号所収)はヒューゴー賞、ローカス賞、〈アシモフズ〉読者賞、〈サイエンス・フィクション・クロニクル〉読者賞の四冠に輝き、二〇一〇年に発表した中編(ノヴェレット)「火星の皇帝」(〈SFマガジン〉二〇一二年三月号所収)は、ヒューゴー賞と〈アシモフズ〉読者賞の二冠を獲得した。二〇一三年には長年にわたる宇宙小説執筆の功績が認められ、ロバート・A・ハインライン賞を受けている。
現在はマサチューセッツ州西部で妻リンダと愛犬たちと暮らしているという。
このように人気と実力をかねそなえているわけだが、わが国では中短編が散発的に訳されるにとどまり、本書が初の長編にして単独著書ということになる。
原題はAvengers of the Moonで、二〇一七年にトー・ブックスから上梓された。当初は三部作になる予定だったが、刊行前に編集者のデイヴィッド・ハートウェルが亡くなり、後任の編集者が契約を破棄したため、シリーズはいったん頓挫する。
だが、捨てる神あれば拾う神あり。スティールの友人で、由緒あるSF誌〈アメージング・ストーリーズ〉の権利を買いとったスティーヴ・デイヴィッドスンの尽力で、復活した同誌を舞台に《新キャプテン・フューチャー》シリーズの再開が決まったのだ。仕切り直しの第一作“Captain Future in Love”は、同誌二〇一八年秋/ワールドコン号と同年冬号に二回分載されたあと、翌年イクスペリメント・パブリッシングからトレード・ペーパーバックで刊行された。
本書の数年後からはじまり、本書で言及されるカーティス・ニュートンの初恋が回想の形で描かれる。そして、かつての恋人が意外な形でキャプテン・フューチャーの前に姿をあらわし……といった内容だが、じつは全体の四分の一だという。スティールとデイヴィッドスンは、ノヴェラ四編を連続刊行して一冊の擬似長編にするつもりだというのだ。全体は The Return of Ul Quorn と題される予定であり、第二部は“Guns of Pluto”という題名で予告されている。
ともあれ、新たな《キャプテン・フューチャー》シリーズの門出だ。カーティス・ニュートンとフューチャーメンたちの活躍を末永く見まもりたい。
二〇二〇年四月
中村融 (ナカムラトオル )
1960年愛知県生まれ。中央大学卒業。SF・ファンタジイ翻訳家、研究家、アンソロジスト。主な訳書に、ウェルズ『宇宙戦争』『モロー博士の島』、ハワード《新訂版コナン・シリーズ》ほか多数。創元SF文庫での編著に『影が行く』『地球の静止する日』『時の娘』『時を生きる種族』『黒い破壊者』がある。