青山七恵『私の家』(集英社 1750円+税)は、日本の家と家族の変化を感じさせる一冊だ。ちなみに親戚同士の視点人物が複数いるため、途中で一度、家系図を書いてみたらすっきり把握できたのでおすすめ。
 祖母の法要で帰省したのをきっかけに、東京で恋人と別れた梓はそのまま実家(埼玉北部と思われる)に戻る。家はごく普通の一軒家で、姉の灯里は結婚して夫と娘と暮らしているため、実家にいるのは父と母。ここを中心に、姉の灯里の家や、大叔母の道世が住む北関東の家などが舞台となり、それぞれとの関係や日々の暮らしが綴(つづ)られていく。

 ちなみに道世は一人暮らしで、小さな家に住み、その一階で小さな商店を営み、二階は賃貸に出している。自分のパーソナルスペースをしっかり守っているところが非常に魅力的。彼女が姪の純子と一緒に旅行に出かける場面があったり、彼らが昔住んだ家の記憶が綴られる章があったりと、さまざまな角度から家や居場所についての光景が描かれていく。

 登場する家族たちが案外ばらばらという印象を持つ読者もいるだろうが、子育てを終えた共同体というのはこれくらいの距離感があるのが自然なのかもしれない。むしろ、家というものを描きながら、家族という集合体ではなく、個々の家族観、人生観を掘り下げて描いているからこそ、それらの時代による変化というものが浮かび上がってくる。読後、自分がこれまでに住んできた家について、ひとつひとつ思い出を振り返ることになった。

 家といえば、加藤千恵『私に似ていない彼女』(ポプラ社 1500円+税)にも展開に驚く一篇が。こちらは“女二人”をテーマにした短篇集。友達同士、姉妹、母と娘、元同僚同士など、さまざまな関係性が登場する。このなかの「切れなかったもの」という一篇が、実家に暮らす姉妹の話だ。両親がはやく亡くなったため、ずっと働かずに祖母の介護をしてきた妹。親の反対を押し切って東京の大学に進学したままだったが、ある日突然帰ってきた姉。互いのことを多くは語らない二人の日常が妹の視点で語られていくのだが、最後にびっくりする事実が……!
 どれもシチュエーションや展開に意外性があり、短篇らしい切れ味と想像を広げられる余白の与え方が絶妙。友人同士の会話のなかでふと抱いてしまう違和感など、身に覚えのある感覚を持たせるものから、語り手の予想外の行動に人間の衝動の不可解さを描くものまで、読み味もさまざまで美味しい一冊。

 版元に感謝したくなるのは多田尋子『体温 多田尋子小説集』(書肆汽水域(しょしきすいいき) 1800円+税)。著者は1932年生まれ、芥川賞に6回もノミネートされており、その作品にほれ込んだ書肆汽水域が、昨年、1990年前後に発表された3篇を集めた本作を上梓して、密(ひそ)かに話題となっている。
 これが、もう、面白いのだ。夫を早くに亡くし、夫と死別後娘と二人で暮らしてきたが、久々に訪れてきた夫の元仕事仲間たちの一人と二人きりで出かけた女性。仕事の同僚男性に恋する後輩の女性を、素直に応援しようとあれこれ奮闘したあげく、意外な事実を知る女性。ずっと介護してきた母を看取(みと)って一人暮らしとなり、暇を持て余して働き始めた骨董店の主人の世話を焼き始める女性。

 どれもなんとなく恋愛の匂いはするのだがありきたりの展開にはならない。というのも、彼女たちがみな、自分の人生観や恋愛観を持って相手と対峙(たいじ)しているから。その姿が愛しく、何か励まされるものがある。精神的に倹(つま)しい人たちの話であるが、書かれたのがバブル期だと思うと、著者の創作時の思いについて訊いてみたくなる。