初めて読んだセイヤーズ作品が『大忙しの蜜月旅行』で、まだ学生のころでした。三十数年前のことです。昭和33(1958)年刊のポケミス版(当時すでに刊行から30年ほど経っていたものを父の蔵書から発掘)で、タイトルは『忙しい蜜月旅行』となっていました。それから同じくポケミスで出ていた『毒』(創元推理文庫版のタイトルは『毒を食らわば』)を読み、その後創元推理文庫からピーター卿シリーズが出始めたので、次々に読んでいきました。


 先日、新訳の『大忙しの蜜月旅行』のゲラをちょっと覗く機会(残念ながら担当にならなかったので仕事で全部読むことはできなかったのです)がありました。そうそう、ピーターとハリエットの結婚予告から始まって……。何かと口出ししてくる兄嫁ヘレンと記事のネタを漁りにくる新聞記者たちを鮮やかにかわして結婚式を挙げ、蜜月旅行に出発、しかし……。

 学生のころ読んだ時には、主に筋立てのおもしろさに引っ張られて読んでいったように思いますが、今回新訳のゲラを拾い読みして、今まで気づかなかった新鮮なおもしろさを発見しました。

 ひとつは、笑えるポイントがあちこちに仕込んであること。〈トールボーイズ〉の隣人・ラドル夫人とピーター卿の従僕・バンターのやりとりなんて、相当おかしいです(私はポートワインをゆすってはいけないということをこの作品で覚えました)。担当K君が教えてくれたのですが、この作品はもともと戯曲として書かれたそうです。かけあいのおもしろさはそこに由来するのでしょうか。

 そして、セイヤーズの皮肉な視点が感じられること。これは、結婚予告のあとに置かれた6つの手紙からわかる、ヘレンのいかにもな嫌味な言動や、社交界の人々のこの結婚に対する見方などによく表れていると思います。ハリエットの恩師の手紙は、新婦にたいする愛情にあふれていますが、結びの「ディ・ヴァイン先生はどちらも知性が勝ちすぎているとお考えのようだけど――あまり何ごとにも悲観的になるのはどうかしら。わたしはどちらも知性が皆無なのに、ちっとも幸せでないカップルを山ほど知っています」の一文はかなりスパイシーです。

 ピーター卿の母・デンヴァー先代公妃はこれまでも大好きなキャラクターでした。ちょっと天然でよく言葉を思い違いしていたりしますが、実はとても賢く、『雲なす証言』でピーターの妹・メアリの仮病を見破った場面ではとてもかっこいいです。『蜜月旅行』では先述した6つの手紙のあとに先代公妃の日記の抜粋が引かれているところと、後半でピーターとハリエットが公妃のすまいを訪れる場面(この場面も好き)で登場しますが、ハリエットの立場と気持ちをよく察して思いやりぶかく接しているようすが、しみじみわかるようになりました。

 蜜月旅行ですが、甘い話ばかりではありません(死体が見つかってしまったこと以外にも)。この作品の時点でピーターは45歳ぐらいらしいですし、ハリエットもある程度の年齢になっているものと思われます(元彼が殺されたりなんだり、いろいろありましたからねえ)。それぞれ個性的ですし、ピーターには貴族としての立場があり、ハリエットには探偵小説家という仕事があります。お互い相手の個性を尊重し、プライドを傷つけたくないとも思っていますが、結婚生活となるとそうとばかりはいっていられない局面も出てくるわけで……。ふたりが、家族として暮らしていくためにどう折り合いをつけていくか、どのような関係性を築いていくか、その過程はとても興味深いです。

 筋立て以外のこまごました点に目が向くようになったのは、単純に再々々々読ぐらいになるのでということもあるでしょうが、そのほかに自分が三十数年分年を取ったということもあると思います。多少甲羅を経たことで、見えてきたものもあるのかなあと。作家として立派に自活してきたハリエットが、貴族の夫人としての体面を保つためにはピーターから財産分与を受けなければならないもやもやなどは、社会人生活を経験した今でこそわかるように思うのです。

 もちろん新訳版ですから、訳の違いも大きいです。以前読んだ時になんとなく腑に落ちなかった部分が、今回解決しました!

 デンヴァー先代公妃がハリエットに語ったピーターと従僕バンターのエピソード。ピーターのロンドンのフラットを、先代公妃が訪れたときのことです。ポケミス版の当該箇所を引用すると、
 「(前略)丁度バンターはピーターの朝御飯の世話をしていました……よく眠れないので朝も遅かつたのです……バンターは手にお皿を持つて部屋を出て来ましたが、わたしを見ると『ああ、奥様、御主人様はこんな卵はいやだ、向うへ片づけてソーセージを持つて来いとおつしやいました』というのです……バンターはすつかり参つてしまって、その熱い皿を居間のテーブルに置いたので、ニスがすつかりはげてしまいました(後略)」

 シリーズ読者の方はご存じのとおり、バンターは超優秀&忠実な従僕で、かゆいところに手が届くというか、かゆくなりそうなところに手が届くぐらいにピーターの身の回りの世話をしているうえに、探偵活動の助手も務めています。そんなバンターに対してピーターったらわがまま言ってだめじゃない、バンターがかわいそう、と思いつつ、なんとなく釈然としませんでした。

 それが今回の新訳ではこの場面の意味が百八十度変わり、バンターが大喜びしている感動の場面になっていたのです。

 ネット上に原文がみつかったので参照してみたところ、この訳の違いは“overcome”という語をどう訳すかによって生まれているようです。『ランダムハウス英和大辞典』の語釈には“overcome”の意味として「3 ⦅通例受身⦆ 〈人を〉(酒・薬物・疲労・感情などで)ぐったりさせる,無力にする,圧倒する」とありますから、ポケミス版の訳も成り立ちそうです。

 しかし、この時のピーターが第1次世界大戦に従軍したことによるシェルショックでひどい精神状態だったことを考えると、やはりこの場面のバンターの感情は喜びでしょう。シェルショックもPTSD(心的外傷後ストレス障害)の一種だと思います。PTSDについてよく知られるようになったのは、近年のことです。場面の意味合いが正反対になった背景には、60年前にはなかったPTSDについての知識があるといえるのではないでしょうか。

 平成17(2005)年刊行のハヤカワ文庫版(タイトルはポケミス版と同じく『忙しい蜜月旅行』)を確認してみたところ、“overcome”の訳語は「感動のあまり」になっていました。この時点で場面の解釈は変わっていたのですね。しかし、今回の新訳版では“overcome”のニュアンスを生かした、さらに場面によく合った訳語が選ばれていて、訳者さんのセンスが光ります。思わず膝を打つという感じです。

 30年後の『蜜月旅行』、新訳で読むのが楽しみです。(校正課K)