フレッド・ヴァルガス『ネプチューンの影』(田中千春訳 創元推理文庫 1400円+税)は、アダムスベルグ警視シリーズの長篇であり、CWAのインターナショナル・タガー賞と、813賞を受賞した。
 アダムスベルグ署長は、海神(ネプチューン)の三叉槍(トリダン)で刺されたような傷がある死体が連続して発見されたことに気が付く。その手口は、30年前に署長が弟を失うことになった未解決事件と同じだった。アダムスベルグは自身が犯人と目した人物との関連を疑い、警察内部の誰もが連続殺人に懐疑的な中、捜査に着手する。
 
 かくして、アダムスベルグ自身の事件、という性格が強まった矢先に、何とアダムスベルグたち捜査チームは、カナダのケベックに研修のため出張してしまうのだ。確かに冒頭でこの出張の話が出て来てはいましたよ? しかしいよいよ物語が本格始動するかというタイミングで、さらっと、予定どおり出張が挙行されるのには驚いた。しかも出張先での話が長い! 

 事件とは全く関係なさそうなエピソードが次々展開される。飛行機を怖がる部下、モントリオールの演奏会でヴィオラを弾くアダムスベルグの元恋人、自然の中に分け入っての研修用試料の採取、同地で出会った女性とのベッドインなどなど、いや読んでいて楽しいですけど何だこれ。おまけに出張先のケベック人(フランス語話者)の会話は、なぜか九州弁で翻訳されていて、雰囲気が独特。

 一向に帰国するエピソードに移りそうにもないし、先行きを不安だなあ……と読者が思い出した頃に、とんでもない事態が発生する。そこから先、物語は怒濤(どとう)のように進み始める。その先は実際に読んでくれとしか言いようがない。でもこの定石(じょうせき)の外し方、大好きです。

 最後は正統派の謎解きミステリ、アンソニー・ホロヴィッツ『メインテーマは殺人』(山田蘭訳 創元推理文庫 1100円+税)を紹介して締めよう。
『カササギ殺人事件』で大評判をとったホロヴィッツの新作は、現代を舞台にした新シリーズである。ワトソン役の登場人物はアンソニー・ホロヴィッツ本人で、元刑事の探偵ホーソーンから、ある殺人事件の捜査に同行してそれを本にまとめないかと提案される。被害者は資産家の老婦人であり、彼女は自らの葬儀の手配をした当日に殺害されたのだ。映画の仕事が反故(ほご)になった(スピルバーグが登場して台詞すら喋ったのは驚いた)こともあって、その話に乗ったホロヴィッツは、しかし癖の強いホーソーンと何度も衝突する。

 フェアプレイに徹した書き方が見事である。ヒントは全て明確に記載されており、真相が明かされた時、読者は膝を打って感心するか、額に手をやって気付かなかった自分を悔しがるだろう。また、謎解き特化型の小説が陥りがちな罠「中盤が退屈になりやすい」を回避している点も特筆したい。探偵役(ホーソーン)と助手役(ホロヴィッツ)の関係性がいいのだ。

 二人は共通点が少なく、人生その他に関するものの考え方も相違ばかりであり、喧嘩(けんか)が多い。人間関係としては紛れもなく対立的であるといえよう。しかし相互信頼がなくはない。プライベートを隠すホーソーンの人間としての顔が後半になるとはっきり見えても来て、これらが、本書に読み応えと味わいをもたらす。本格ミステリが読みたい、でも僅(わず)かでもかったるいのは嫌、という我儘(わがまま)な人にもおススメできる。