まず翻訳から。山口雅也製作総指揮と銘打たれた、山口が選(え)りすぐった海外作品の新訳・本邦初訳をおさめる新たな叢書《奇想天外の本棚》の刊行がはじまっています。クレイトン・ロースン『首のない女』(白須清美訳 原書房 2000円+税)はその第二回配本です。


 奇術師探偵マーリニが営むマジック・ショップに、演題〈首のない女〉の装置を買い求めようという女性がたずねてきました。急いでいるので金に糸目をつけず、見本でもいいから欲しいのだという女性のことをマーリニは気になります。その行き先だろうサーカスへ向かうと、はたして団長が不可解な状況で事故死したばかりで……。

 マーリニものの長篇第三作の新訳で、長らく復刊の機会にめぐまれず、これだけが読めずにいたという方が多そうです。ただロースンの短篇の本格ミステリとは違った作りで、〈首のない女〉という原書刊行前年に有名になった見世物を早速取り入れた通俗的な展開になっています。事件に首をつっこんだマーリニが行く先々で新たな火種を生む、スラップスティックというほうがしっくりくる内容ですが、そういう筋にどう騙(だま)しが仕掛けられるかを推理するのが楽しむ上での観点になるでしょう。

 創元推理文庫の〈名作ミステリ新訳プロジェクト〉は月一の刊行ペースが続いています。カーター・ディクスン『白い僧院の殺人』(高沢治訳 創元推理文庫 920円+税)はH・M卿ものの第二長篇です。


 外交官ベネットが義伯父のH・M卿のもとに、お騒がせのハリウッド女優テートに毒入りチョコレートが送られた事件の相談にたずねてきました。その騒ぎも解決しないまま、ベネットは〈白い僧院〉と呼ばれる歴史ある屋敷の別館で、テートの撲殺(ぼくさつ)死体の発見者のひとりとなってしまいます。現場の周囲は雪が降り積もっていましたが、犯人の足跡は一切残っておらず……。

 いわゆる雪の足跡トリックの古典です。そのトリックだけ抜き出すとどうということのない単純なものですが、推理合戦をさんざんえがいた上でこの結末に至る構成の巧さはお見事です。こういう長篇を手がけておきながら、後には『テニスコートの殺人』のような足跡トリックも書いてしまうのですからまったくカーはおそろしい。

 イアン・フレミング『007/カジノ・ロワイヤル』(白石朗訳 創元推理文庫 760円+税)はご存知007のシリーズ第一長篇。井上一夫が改訳も含め一手に翻訳を引き受けていたシリーズで、井上の没後はじめて新訳が出ることになります。


 フランスはアルザス地方の大物ル・シッフルはソ連のスパイで、活動費の使い込みで窮地に追い込まれていました。英国秘密情報部は、穴埋めにリゾート地ロワイヤルのカジノで一攫千金(いっかくせんきん)を狙おうという彼の目論見(もくろみ)を察知し、それを逆用して破産させる密命をジェームズ・ボンドにあたえ……。

 スパイ・スリラーの里程標(りていひょう)で、国内の創作物にも多大な影響をあたえたシリーズであるのは周知の事実ですが、若い方が今どれだけ原作を読まれているでしょうか。映画の印象どおりに、いわゆるボンド・ガールとともに各国の諜報部員と丁々発止(ちょうちょうはっし)と渡り合いますが、小説でえがかれるボンドの内面描写が意外と辛辣(しんらつ)なことには驚かれるのではないかと思います。軽快な娯楽小説で楽しめることは間違いないので、本書の登場人物の路線では『ロシアから愛をこめて』『ゴールドフィンガー』あたりに読み進めてみていただきたいです。