――パルタージュ partage とはフランス語で「分割」「共有」「分有」の意。
 小林秀雄は〈美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない〉と書いたが、想像力というようなものはなく、あるのはただ、個々の想像だけだとも思う。
 それでもなお、想像力(を分有すること)をこの文章の目的に置いて、インタビューを含む取材を始めたい。予定しているインタビュイーはそれぞれの領域の最前線におられる方たちであり、そこはまさに想像と想像力の境界線なのだから。そしてこれまで同様、これからのSFの言葉もまた、その線の上に存在するに違いない。

『想像力のパルタージュ 新しいSFの言葉をさがして』
最終回(第26回)
 翼ある声――花澤香菜さん
高島 雄哉 yuya TAKASHIMA(カット=meta-a)

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 最終回を迎えるにあたって、花澤香菜さんにお話をうかがえたのは本当に幸いだった。
 もちろん花澤さんは当代きっての声優であり、お忙しいなかでお時間をいただけたのは僥倖に他ならない。加えて、新しいSFの言葉をさがしているぼくたちにとって、〈声〉こそは最も考察すべき対象なのだ。
 なぜ声なのか。
 近年、人間の発話を解析するAIがいくつも開発され、それらを搭載したスマホやスピーカーなどの電子機器が普及し始めている。それは入力方法として、声が有力な候補と考えられるようになったからだ。単純な話、歩きながらキーボードは使えない。
 声は、ぼくたちの身体のみで発することができる、原初の表現と言って良い。ぼくたちは生まれた瞬間に産声(うぶごえ)をあげる。
 そして身近だからこそ、少し朗読をしただけで、あるいは少し歌っただけで、声についての巧拙はただちに明らかになる。

 これまでの連載でいくつもの新しいSFの言葉(の候補)に触れてきたわけだけれど、結局のところ、新しいSFの言葉をさがすというのは――たとえば「ぴこまむ」みたいな聞いたことのない言葉をひねり出すことではなく――きっと〈ランドスケープ(風景landscape)〉といった、既にある概念を表す言葉に、新しい意味を付加することであるように思われる。もちろん、その新しい意味に対して、新しい名称を与えてもいい。たとえば〈VR〉みたいに。
 VRの意味は2016年のVR元年から三年たった今も変わり続けている。
 2016年前後のVRは「仮想現実」だったように思われる。ヘッドマウントディスプレイをかぶって一定時間体験する「仮想の現実」だ。
 しかし今やそういう意味はかなり薄まっているだろう。実際、「仮想現実」という言葉よりも「VR」という言葉のほうが最近は多用されている。VRのほうがしっくり来るからだ。
 もはやヘッドマウントディスプレイは必須ではない。VR体験と一言でいっても、VR内のキャラクターと握手する感触を体験するなど、一気に多様になって、「仮想現実」というものがどこかにあるというかつてのイメージは失われてしまった。そう、VRは本来的な語義、「仮想的に作られた現実感」を取り戻したのだ。
 VRではおよそ想像しうるかぎりの現実感を体験できるようになる。仔猫にも宇宙全体にもなれるし、一秒を千億年にも感じられる。ぼくたちはVRで、文字通りの「想像力のパルタージュ(分有)」をすることになるわけだ。本連載でおなじみの〈AI〉たちは、ぼくたちの想像力を刺激し、世界の可能性を〈マイニング(採掘)〉してくれることだろう。
 活性化するVRのなかで重要になるのは、アイデアを、つまりは言葉を発することだ。

 前回、中学校の同級生だった中野くんに〈持続可能性〉や〈人新世(じんしんせいAnthropocene(アントロポセン))〉について話を聞いてから、少し時間が経ってしまった。〈人新世〉とは、農耕や核兵器実験など、人間の活動が地質的な影響を与えるに至った時点を指し示す地質学上の用語で、現在国際学会で審議が進んでいる。
 現実世界はますます〈持続可能性〉を失いつつあるように思われる。北極海の海氷面積は1979年から観測されており、今年2019年の夏の海氷面積は、2012年の夏に次ぐ過去2番目の小ささ(415万平方キロ)だった。1980年代の夏の平均である750万平方キロと比べると、6割弱まで減ったことになる。
 VRとは現実感であって、それは様々な技術と同様に、ぼくたちの現実を拡張してくれるものではある。現実のVR化は――温暖化と同様に――急速に進んでいると言っていい。VRのなかでは氷河期だって実現されるだろう。しかしながらVRは現実の代替物にはなってくれない。現実世界がまずあって、そのうえでVRもその他の技術もなんとか成立しているのだ。

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 花澤香菜さんは現在人気絶頂の声優であり、俳優や歌手としても活躍している。
 今回は『エンタングル:ガール』の解説をお願いするタイミングで、お時間をいただいてインタビューさせていただいた。
 花澤さんにはまず、声優としての想像力についてうかがっていった。
 「たとえば、事件に巻き込まれていく人物のときは、結末がどうなるのかを知らないほうがいいこともあると思います。媒体によって色々違います。アニメーションは声で説明する部分はそんなにないんですよね。朗読では、朝起きたばかりの感じの声のトーン、〈時間〉と〈場所〉と〈話し相手〉と〈体勢〉を想像しながら演じます。アニメの場合は、キャラクターと二人三脚なので、どういう動きをしているかはわかりますから、〈その人が何を考えているか〉のほうに重点があるかもしれません。原作があるときは〈生い立ち〉や〈この人に話すときはこう〉〈どういう風な考え方をするか〉などは気にしますし、台本から読み取る部分もあります。台本から読み取れない範囲は自分で作っちゃいます」
 この〈台本から読み取れない範囲〉は自らで想像していくほかない。主人公やヒロインの場合──花澤さんはそうしたキャラクターを演じることが多いわけだけれど──描かれる部分が多いので想像しやすい面はある。
 「それ以外のキャラの場合、主人公を動かすような魂のあるセリフを言わなければいけないので色々考えます」
 逆に言えば、主人公はまわりから多くの影響を受ける。その影響の関係性については深く想像しなければならない。
 どれくらい前もって準備していくのだろうか。
 「アフレコのときの掛け合いで初めて発する言葉のほうが新鮮だし、お芝居のなかで出てくるものを大事にしたいので、主人公をするときは『こういう風にやろう』と決めないで行くことが多いです」
 アフレコの時点で──これから声や音をつけてさらに仕上げていくから──まだ作品は完成していない。
 そのなかで声優は、自分のキャラクターがどのような声なのかを想像してアフレコ現場に赴くことになる。掛け合いの相手が、必ずしも同じ解釈をしてくるとは限らない。
 もちろんそのためにリハーサルがあり、キャストとスタッフが解釈を持ち寄り、ある種の合意を形成していく。
 「新海誠監督は訊けばいっぱい答えてくれるのでいっぱい訊きました。ゲームの声の収録では、物語としての余白が全然違うと言いますか、アクションゲームだと決めゼリフが多くて、会話の掛け合いもできないことが多いです。なので、ゲームのお仕事が多くなると、わたしの場合はひとりよがりの演技になるかもしれません。人と掛け合って、そこから出てきたもののほうがわたしにとっては大切で、その点では『言の葉の庭』ではシーンごとに掛け合う人たちといっしょに録れて、しかも何日かに分けてできたので本当に集中できました」
 新海誠監督の『言の葉の庭』はぼくのだいすきな作品だ。
 花澤さんはヒロインの雪野先生。主人公の男子高校生を入野自由さんが演じている。
 新宿御苑と思しき都内の公園で、二人の対話が丁寧に積み重ねられていく。
 「入野自由くんが、本当にお芝居が素敵で。すごいひとは、そのキャラそのものがしゃべっている感じになるんです。そういうときは自分もキャラになって掛け合いができるように思います。最後に階段で抱き合うシーンがありますが、こんなにまっすぐに言われたらそりゃこっちも返さないと、という気持ちになりました」
 このときの話もあって、『エンタングル:ガール』第十章では、『言の葉の庭』の最後のシーンのセリフを引用させていただいた。
 続いて、オーディションのエピソードをうかがった。
 「『言の葉の庭』の雪野先生は27歳という設定で、オーディションも25歳以上の人が対象だったんですけど、無理を言って受けさせてもらいました。オーディション前には、舞台とされる新宿御苑を歩いて、セリフを反芻して。舞台があると、要素にしやすいんです。似たところでも良いんですけど。場所があって、実際に見ていると、想像できることが全然違います」
 雪野先生についてももちろん花澤さんは想像したに違いないのだけれど、想像のために新宿御苑を歩いたというのは非常に印象的だった。
 そのキャラクターそのものではなく、そのキャラクターが存在している場を歩いて、つまりはそのキャラクターがいる世界丸ごとを想像したということだ。
 さらに場所と声の関係性についてうかがった。
 新海監督の作品では絵ができている状態でアフレコできるため、キャラがどういう場所にいるのかがわかる。しかしTVシリーズではスケジュールの関係で、絵コンテの状態でプレスコ収録となることが多い。プレスコとはプレスコアリング、つまり映像よりも先(プレ)の収録のことだ。
 「そういうときは、自分で場所を考えます」
 花澤さんは2017年に『BLAME!』『GODZILLA』二つのアニメーション映画作品でヒロインを演じている。両作とも、今の日常からは大きく離れた設定のSF作品だ。
 「自分がどういう状況にいるのか掴みづらい場合もあります。SFだと食べるものも全然違うでしょうし、これは食べると口の中がもそもそするのかするっとしてるのか、匂いがどうなのかとか、そういうことを想像していきます」
 キャラクターそのものについてはどのように想像し、声として表現していったのだろうか。
 「『言の葉の庭』の雪野先生は、彼女自身が『うまく歩けなくなった』という言い方をしていますが、学校でうまく行かないことがあって、まだベテランの先生というわけでもないので、先生然というよりも、27歳の等身大の女性像を意識をしました。年上であるという点もです。わたしの声は油断していると幼く聞こえるので、喉の奥から声を出すようにといったことはしました」
 花澤さんは新海誠監督最新作『天気の子』において、小学生の女の子を演じている。
 幅広い年齢層をどのように演じ分けているのだろうか。
 「大人になると思考しながら話すので、もごもご話したりすると思うんですけど、幼いときは思ったことがふぁーっと出てくるのかなと想像して演じました。正解がないので、その役に対してこのときはこう、ということは言えないんですけど」
 キャラクターや性格といったキーワードで捉えるのではなく、実に細やかに想像されていることがわかる。
 そうでなければキャラクターが存在するようにならないのだ。
 とはいえ、アニメーションのキャラクターは、現実ではあまり出会わないような、いささか極端な人物も多い。なかなか想像できない場合もあるはずだ。
 「わたし、わりと共感しやすいタイプなんです。共感できる範疇を超えると、似てる人を想像することはあります。たとえば『ヒミズ』の二階堂ふみちゃんのあの感じは、あのキャラに合うよな、とか。すごい強いキャラを演じる前には『ワンダーウーマン』を見に行って参考にしています。《物語シリーズ》の千石撫子ちゃんは、わたしとそんなに離れていないんです。わたしも、色々思っていることがあっても伝えるまでに時間がかかるし。マネージャーに言いたいことがあるときはお手紙を書いたり。なので撫子ちゃんが言いたいことを言ってすっきりしちゃうところは共感できます」
 そしてインタビューの最後に、いつも心がけていることをうかがった。
 「とにかく健康じゃないとこのお仕事はできないので、体調管理には気をつけています。週に2、3回ピラティスに行って、食生活は大事にしてますし、マスクもして、風邪をひかないようにして。あとはそうですね、休日は映画見たり読書したりライブに出かけたり、〈探究心〉を忘れないようにしています」

 声は声帯だけで作られるものではない。肺からの空気によって声帯が振動し、口腔や鼻腔によって音色が付与されて、まずは声となるわけだけれど、ここにさらに呼吸や姿勢の違い、そして感情や思考が乗せられて、一連の発声が行われることになる。声は全身から発せられるのであり、発声には作品全体あるいは世界全体の理解が伴っている。
 翻って、ぼくたち一般人は、日常生活において、自分の声を意識して発することはほとんどない。
 意識して発声するのは、たとえばマジメな場で発言する時だったり、あるいは場をなごませようと話す時だったりするだろう。つまりぼくたちは周囲との〈影響関係〉のなかで発話しているのだ。花澤さんの言葉をお借りすれば、ぼくたちはそういうとき、主人公として話しているということになる。
 主体的に話すためには世界を広く知っておく必要がある。〈探究心〉をもって世界を探索し、自分がどこに──どんな場所に──いるのかを知り、自らの存在を立ち上げていくのだ。
 存在について、存在のあり方について考える哲学を〈存在論〉という。存在論と認識論が哲学の二大分野で、認識論のほうは、認識あるいは知識について、その構造や成立条件などを追求する。
 存在論は、世界についての理解を追求する哲学だと言い換えてもいい。
 ぼくたちはおよそどのような形の椅子も、椅子だと判断することができる。それは椅子というもののあり方──存在論を理解しているからだ。AIは何万件もの椅子の画像を記憶しても、椅子を椅子として理解することが難しい。ぼくたち人間は、世界の成り立ちやあり方について、生まれてからずっと、身体を通して──AIよりも長く深く──学習しているのだ。
 AIと現実世界の関係は、人間とフィクションの関係に似ている。
 ぼくたちは現実世界を──おそらく結構それなりに──知っているけれど、フィクションの、虚構の世界のことはまるで知らない。そもそもまだ存在しないのだ。そしてアニメーションの登場人物は、映像と共に、声を与えられて初めて存在する。
 アメリカの哲学者ドナルド・デイヴィドソンは、どうして会話が成立するのかを考察した。すぐに思いつくのは、言語や常識といった社会的な約束事を共有しているから、という仮説だろう。しかしデイヴィドソンはその仮説では十分に説明しきれないこと──たとえば言い間違いをもぼくたちは理解できること──を分析したのち、言語のような共通の基盤というものは存在しないと主張した。
 ぼくたちは、あらかじめ存在するルールに従って会話しているのではなく、その場その場で、自分が持つ世界についての知識──〈事前理論prior theory〉から相手の言葉を解釈し、会話が進みゆくなかでその理論を変形させて、〈当座理論passing theory〉を作っていくというのだ。
 世界観は常に移り変わるため、その知識の総体は当座passingのものとなる。
 デイヴィドソンの主張は、会話のみならずアニメーションのアフレコ現場にも適用できるだろう。
 アフレコ現場において、柔軟に理論を変形させるためには、作品そのものの理解はもちろんのこと、作品を取り巻く無数の可能性をも把握しておく必要がある。監督や他の声優陣は、多様な作品解釈をしている可能性が高いからだ。
 それゆえ、想定しすぎても意味がない。解釈は多く、収録のその瞬間に生まれることだってある。演じてみて一回でオッケーが出ることもあるだろうし、何度も修正していくこともままあるだろう。
 これはもう、〈新しい言葉〉をさがしている過程だと言っていい。

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 本連載では、副題にあるように、ずっと〈新しい言葉〉を探してきた。
 お話をうかがった方たちはその分野の第一人者であり、最先端の事柄について、いつも丁寧に語っていただいた。
 花澤さんの言葉は、その声と共に、心の奥まで届くものだった。それはきっと、花澤さんがひとつひとつの言葉を──説明する意味を超えて──存在するように話していたからだ。
 思えば、これまでの連載でうかがってきた様々な言葉も、必ずしもその分野に詳しくないぼくたちに向けて、〈語り直し〉されたものだ。
 どんな新しい概念も、それだけが孤立していては存在できない。様々な文脈があり、多くの人々による研究があり、隣接する分野との共鳴があって、どこまでも遠く聞こえる〈翼ある声〉となる。声は場所あるいは空間性と不可分なのだ。
 だとすれば、〈新しい言葉〉のためには、豊穣な〈新しい場所〉が必要になる。その場所こそがきっと、探し求めていた〈新しい言葉〉に違いない。
 その場所はきっと、VRやARを含む任意の現実感〈xR〉にこそ立ち現れるだろう。新しい数学や新しい物理に基礎づけられた新しい技術によって、xRは実現され、拡張していく。
 xRの新しさの根幹は自由な拡張性にある。現実を丸ごと、物理法則すら無視して作れるのだから。
 その自由度、拡張性は、AIへの指示によって実現化していくことになる。もはやソフト操作に習熟する必要はない。ぼくたちと世界のあいだ、あるいはぼくたちとxRのあいだには、常にAIが介在して、ぼくたちに代わって世界を調整してくれるのだ。そして、AIへの指示は音声主体になるだろう。
 数年内にはARメガネが普及し、VRも定着していく。AIがスマホに搭載されて、そのAIを自分用に育てていく日もそう遠くない。
 こうして現実は新たな現実感となって、ぼくたちは〈新しい世界〉に生まれ直すことになる。ぼくたちが再びあげることになる〈産声〉を、初めて聞き取ってくれるのは個人用AIだろう。
 生まれ直したぼくたちの〈探究心〉は、世界のありかたそのもの──存在論へと向かうだろう。生まれたときから世界や言葉を獲得していく赤ちゃんのように。
 SFが世界についての言葉であるなら──ぼくはそう思っているのだけれど──SFは世界と共に更新されるのみならず、〈新しいSF〉こそが新しい世界を語るための〈新しい言葉〉となる。
 それは小説家が書いたSF小説だけに限定される事態ではない。これからぼくたちは誰しもが〈新しいSF〉を書き表し、〈新しい世界〉を形作っていくのだ。
 新しい言葉が新しい世界と共に次々と生まれていくその〈開闢(かいびゃく)のランドスケープ〉は、それ自体が〈新しい言葉〉であり、世界を切り開く〈翼ある〉言葉となって、ずっと遠くまで羽ばたいていくに違いない。

【終わり】

花澤香奈(はなざわ・かな)
声優、女優、歌手。東京都出身。幼稚園時代からバラエティ番組『やっぱりさんま大先生』やドラマ『ガッコの先生』等に出演。14歳でTVアニメーション『LAST EXILE』で初の声優。17歳のとき、『ゼーガペイン』のヒロイン、カミナギ・リョーコを演じる。以降《物語シリーズ》千石撫子、「MIX」大山春夏、「鬼滅の刃」甘露寺蜜璃、「HUMAN LOST 人間失格」柊美子、「PSYCHO-PASS サイコパス 3」常守朱など、声優として多くの作品に出演。2012年には「星空☆ディスティネーション」で歌手デビュー。最新アルバムは『ココベース』。サントリー「ザ・プレミアム・モルツ<香る>エール」のCMに出演。文化放送地上デジタル 超!A&G+にてラジオ番組「花澤香菜のひとりでできるかな?」を毎週木曜23時より放送中(番組Twitterアカウントは@hitokana_qr
花澤香菜さん公式Twitterアカウントは@hanazawa_staff

高島 雄哉 (たかしま・ゆうや)
1977年山口県宇部市生まれ。東京大学理学部物理学科卒、東京藝術大学美術学部芸術学科卒。2014年、第5回創元SF短編賞を「ランドスケープと夏の定理」で受賞(門田充宏「風牙」と同時受賞)、2018年に、これを長編化した初の著書『ランドスケープと夏の定理』を上梓。同書は新人作家の第一作ながら『SFが読みたい!』で国内編第5位となり、2019年の星雲賞日本長編部門の候補となるなど高い評価を得た。また、2016年の劇場用アニメーション『ゼーガペインADP』ではSF考証を担当、以降『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』『ブルバスター』など多くの作品に参加している。2019年8月末、第二長編『エンタングル:ガール』を上梓。高島雄哉Twitterアカウントは@7u7a_TAKASHIMA(イラスト担当meta-aインスタグラムアカウントは@meta_meta_a