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【東京創元社編集部より】
小森収先生の連載「短編ミステリ読みかえ史」は、創元推理文庫から好評発売中のアンソロジー『短編ミステリの二百年1』の書名に合わせ、前回(2019年10月更新分)より「短編ミステリの二百年」と改題いたしました。引きつづきご愛読たまわればさいわいです。



 前回マイケル・ギルバートの短編スパイ小説を読みました。マイケル・ギルバートは短編の邦訳作品が多く、その傾向も多岐にわたっています。スパイ小説以外のものも、ここで少し読んでおくことにしましょう。
 マイケル・ギルバートにはヘイズルリッグ、ペトレラという、ふたりの警察官が、シリーズキャラクターとして活躍しますが、このふたりの登場する、わりと短い推理パズルふうの作品が、まず、日本語版EQMMで紹介されました。
「手口がわかれば」は、通勤列車で同乗する三人の中のひとりが死んでしまうという事件ですが、題名とおりのハウダニットで、専門的な職業を利用して詐術をしかけるというカラクリを、ヘイズルリッグが解き明かします。「見えざる掠奪者」は、ペトレラが故買の巧妙な隠れ蓑を見破る話でした。この手の長さの推理パズルのような短編は、マイケル・イネスやエドマンド・クリスピンのところでも出て来ました。雑誌に比べて新聞初出が多い、イギリスのミステリ事情の反映でしょうか。どちらも、ハウダニットでしたが、そういうふうにやりましたという以上の、なにか感銘を与えてくれることはありませんでした。
 マイケル・ギルバートがパズルストーリイ作家としての力を、遺憾なく発揮してみせたのは「五年後に帰る」でしょう。偽札づくりの犯人を追うペトレラは、逮捕に向けて包囲網をしきますが、その目の前で男は「五年後に帰る」という張り紙を玄関扉に残したまま、消え失せてしまいます。ちょっとの間留守にするときの張り紙に使われる文面「五分後に帰る」のもじりです。消えた男の行方がつかめぬまま五年目を迎えようとするとき、その隣人が、夜中に奇妙な音が隣家からするとペトレラに訴えてきます。律儀な職人でもあった犯人は、その律義さゆえにぴったり五年経ったら戻ってくるのではないか? そんな、ありそうにもない可能性が頭に浮かぶのを、ペトレラも読者も、どうすることも出来ません。じりじり五年間、捜査の進まなさを感じさせるのは、ある意味警察小説のひとつの手法ですが、「五年後に帰る」という言葉が、暗示となっているので、サスペンスも高まります。このサスペンスは、パズルストーリイならではのサスペンスで、ちょっとしたものだぞと思っていると、虚をつくかのように、犯人消失の謎をペトレラが解き明かすのです。やはり、ハウダニットなのですが、手がかりとその解決にスマートさがあって、面白いパズルストーリイになっていました。ただし、犯人がなぜ「五年後に帰る」と書いたのか不明なのが、瑕瑾でした。
 もう一編、ペトレラもので、パズルストーリイの渋い佳作なのが「第二の皮膚」です。独り暮らしの女性が殺され、物取りを見つかっての犯行と見られます。現場に残されたコートから、牡蠣の殻の粉砕した粉や特殊な油が検出され、犯行の手口から、過去の犯罪者のリストが洗われるといった展開は、警察小説作家ギルバートの面目躍如です。もっとも、ヘイズルリッグものの短編「手口」では、こうした科学捜査や過去の犯行手口からの推理は、皮肉な目でとらえられていて、ギルバートが、警察小説をどう見ていて、どのように書こうとしていたかが、分かります。「手口」そのものは、平凡な作品でしたが。ともあれ、類似した手口の犯行の被害者に、ペトレラが面談していくと、犯人の顔を見たという老軍人に出会います。侵入した賊と鉢合わせして、特徴的な目を覚えているというのです。一方、被害者の友人の証言から、ボーイフレンドとその候補者のリストが作られ、様々な濃淡で生前の被害者と接点のあった人々と、ペトレラは会っていきます。落ちついて考えると、どうやったら、こんなリストが作れるのか、少々不思議なのですが、そこに目を瞑れば、このふたつの手がかりから、ペトレラが、たくさんのボーイフレンドのリストから、目指す犯人を絞り込む推論は、凡手ではありません。なかなか、チャーミングな推理でした。
 同じペトレラが登場するといっても、警察小説ないしは、スリラー色が濃いものも、書かれています。
「ロンドン・マンハント」は、窃盗事件から派生して警官殺しが起こります。こちらは、アクション中心の捜査小説で、スリラー寄りの警察小説に主人公にロマンスの風味を与えてと、通俗的な興味を盛り込んでいます。この行き方を、さらに推し進めたのが、中編の「C12銀行強盗特別捜査班」です。小説の冒頭で銀行強盗の現場を描写し、一転、題名にもなっている特別捜査班が作られ、ペトレラが班長となります。大掛かりな銀行強盗事件が続発し、それに対処するための組織なのでした。対照的で特徴的な班のメンバーに加え、タイピストの女性がやって来ますが、本人は積極的に捜査に加わり、危機に陥る。1964年の作品のようですが、架空の組織といい、リアリティというものを蹴飛ばしたかのようなスリラーを伸び伸びと書いているところといい、当時のスパイアクション小説の警察版です。マイケル・ギルバートの書くスパイ小説よりも、60年代のスパイ小説やスパイ映画・テレビドラマに近いと言えるかもしれません。当然のように、ペトレラは、この女性と結ばれて終わります。
 ペトレラのシリーズを読むと、警察小説というものが、リアリティを重んじながら警察官(たち)の活躍を描くことで、様々なミステリのジャンルを包摂しうるものだということが、改めて、よく分かります。

 シリーズキャラクターの登場しない作品にも、目を向けてみましょう。
 奇妙な小品なのが、「月曜日の手紙」です。脅迫や恐喝をしているわけでないけれど、不気味で不快な手紙を月曜日ごとに受け取ると、女性が相談に現われます。探偵役のボーアンは、被害者の各年代にわたっている手紙の内容を、ひとりの人間が知りうるかを絞り込んでいき、解決に到ります。もっとも、犯人がなぜそんなことをしたのか「理由は、訊かないでほしい」というのですから、読者のフラストレイションは残ります。ただし、マイケル・ギルバートが、人間の心の内の闇の部分への関心をときおり見せることがある――その一例だということは憶えておきましょう。
「五年後に帰る」が、張り紙の奇妙な台詞というアイデアからサスペンスを発酵したように、暖炉用のコークスの山が減っていくという、単純な出来事から、サスペンスを醸し出したのが「コークスの山の下に」です。主人公たち夫婦の越してきた部屋数の多い家――古い牧師館なのです――の、その前の住人が去った経緯が、少々思わせぶりです。辺鄙で不便な家を嫌った奥さんの主張で、引っ越したのですが、先に奥さんがいなくなって、夫がひとりで家の始末をしたまま、奥さんを見た人がいないというのです。冬を迎えて、大量4トンのコークスを奥さんが買い込んで、地下室はそれでいっぱいです。毎日毎日コークスをすくっては運ぶのが、旦那さんの日課となります。やがて、減っていくコークスを見ながら、これがなくなったときに、何が出てくるのだろうかと考えるようになる。オチの部分よりも、シンプルで些細な出来事ひとつで、サスペンスを出すところに感心しました。
「スクイズ・プレイ」は、コントラクトブリッジにちなんだクライムストーリイでした。大金持ちの宝石商と、その娘に近づいて心を奪ってしまった金目当ての男の対決です。スクイズというのは、囲碁でいう「見合い」のような状態を作って、ふたつのスーツ(たとえばスペードとハート)の両方を、ひとりの人間が守らなければならない状況に追い込み、一方の守備を放棄せざるをえなくなったところで、そちらのスーツを攻めて、最後の一勝を搾り取る(だからスクイズです。野球のスクイズも1点をバントで搾り取りましたね)プレイテクニックです。確かに、スクイズにちなんだ展開と描写は出て来ますが、いささか、こじつけめく上に、犯行としての面白味もなく、思いつきに溺れた気配が濃厚でした。「スナップ・ショット」も、カメラが銃に改造できるというアイデアを、なんとか形にしただけという短編で、こうした作品を読むと、量産作家につきものの当たりはずれを感じます。
「隠しポケット」は、完全犯罪を描いたクライムストーリイでした。それも、してやられた訴追側の人間が、振り返るという形です。悪徳弁護士が、悪事をゆすられていた相手を殺すのですが、一度逮捕されて裁判にかけられ、その過程で、アリバイの立証できる証拠が、被害者の持っていた特殊な財布――戦争中にスパイが使っていたもの――の隠しポケットから見つかるのです。それだけの話で、スパイ財布という小道具から思いついたであろう、平凡な作品で終わるところでした。しかし、手口は分かったものの、犯人がほくそ笑むのを指をくわえて見ているしかない語り手たちには、もうひとつ危惧していることがあったのでした。こちらの危惧は、暗示的なオチとなって一編を締めくくりますが、そのオチのつけ方に鋭さが欠けるのと、つけ足した感じが否めないのとで、いささか不発気味です。しかし「月曜日の手紙」のところで示しておいた、この作家の持つ、人間の持つ不可解さ不気味さへの関心が、前面に出た一編ではありました。

 こうして読んでいくと、マイケル・ギルバートは、警察・法律関係の専門的な知識やリアリティを背景に、様々な傾向のミステリを、達者に多作していった作家と分かります。
 そんなギルバートの短編の中から推奨するとしたら、傾向の異なるふたつの作品をあげることになるでしょう。
 ひとつは、ロバート・Ⅼ・フィッシュがアンソロジーに採った「ポートウェイ氏の商売」です。語り手がマイケル・ギルバートという名の事務弁護士というのが、まず愉快なのですが、国税庁の法務局に職を得て、IBAという、マルサのような仕事に就いています。この事件のターゲットは同業者、つまり、事務弁護士です。どう見ても、片手間で儲かっていそうにないのに、ワイン道楽で、優雅に生活している。潜入捜査よろしく、その弁護士の経理担当者として雇われます。実際に帳簿をつけてみる(!)と、赤字かせいぜいトントンで、個人の小切手で補填することもしばしばです。では、その金はどこから来るのか? 偽札でも作っているのかという疑問さえ出て来ます(そんな高度な印刷技術が、事務弁護士にあるはずがないのです)。というわけで、ハウダニットのコンゲームなのでした。アイデア一発といえば、それまでですが、着想そのものは、なかなか人をくっています(ただ、日本の事例で考えると、けっこう難しいような気もしますが、イギリスはそうではないのかもしれません)。なにより、事件の顛末を語ったあげくのオチが愉快で、語り手がマイケル・ギルバートというのが、効いていました。
 もう一編はペトレラものですが、ペトレラはあまり表に出て来ません。主役のキャラクターが脇に回るというのは、警察小説では時おりあるパターンで、そういうところにも、警察小説がヴァリエーションを持ちやすい理由があるのです。「とてもよい子」という一編です。
 グラント家は設計事務所に勤める父親が裕福で、ひとり息子のティモシーは教会の聖歌隊で歌う、真面目な子でした。父親は近隣の住人が「朝の五時には仕事に出かけ、晩はパブですごすがさつな連中」なので、転居を考えているのでした。そのティモシーが、二人組の同級生にカツアゲをくいます。とっさに、小遣いをもらうのが明日なので、明日だったらよかったのにと答え、かわりにゲームセンターのスロットマシーンがそろわないように調整されているのを逆手にとることで、逆に儲かるかもしれないと教えます。そして三人でゲームセンターに行くと、見事に儲けてしまうのでした。これがきっかけとなって、「とてもよい子」のティモシーが、父親が「がさつな連中」と考える家の子とつるんで、まず自動車泥棒を覚え(ティモシーは指先が器用なのでした)、あげくは、ギャングの使い走りのような仕事にも手を染めるようになるのです。
「ほんとうの友人というものをもったことのなかった」少年は、ふたりの友だちとのつきあいに「忙しい日々が続」くことになります。ふたりの少年の夢はオートバイを買うことで、それを知っているがために、ティモシーは、悪事で得た取り分をもらおうとしません。彼らの夢を早く実現させてやりたいのでした。一方で、ティモシーは聖歌隊を休むこともありません。忙しいわけです。
 一直線の不良少年の物語は、およそ、ありきたりな結末にたどり着きます。ペトレラが出てくるのは、悲劇的な結果を両親に伝えるという役割のためだけでした。よい子のままに不良少年となり、よい子のままに不良少年として死んだ男の子を描くことで、簡潔な中に、よい子と不良少年との両立を描いて、見事な短編小説でした。

※ EQMMコンテストの受賞作リスト(最終更新:2014年11月5日)