まずは翻訳から、ジャック・フットレル『思考機械【完全版】第1巻』(平山雄一訳 作品社 6800円+税)は日本屈指のシャーロキアン・平山による〈ホームズのライヴァルたち〉の新たな復刊企画で、同社で手がけた『隅の老人』と同様に、完全版と銘打つ徹底した内容です。日本では既刊短篇集に未収録の作品がシリーズ全体の四割程度ありましたが、これをすべて収録するというだけでなく、そもそもの書誌の整理や、初出誌と単行本との異同をまとめるたいへんな労作です。全二巻が予定されています。


 例えば巻頭の第一作にして代表作「十三号独房の問題」から、ヴァン・ドゥーゼン教授が〈思考機械〉と称されるようになったチェス世界チャンピオンとの対戦のエピソードが初出時は別物だったことや、フットレルの死後《EQMM》本国版に再録された際に独自の改稿がなされていたことが明らかにされています。訳者解説の「おそらく、英米で出回っている思考機械の書籍よりも詳しい内容だろう」という言葉からその深い見識と自信がうかがえます。

〈名作ミステリ新訳プロジェクト〉企画のダシール・ハメット『血の収穫』(田口俊樹訳 創元推理文庫 960円+税)は、ハードボイルドという様式の嚆矢(こうし)と位置づけられるハメットの処女長篇です。


 鉱山町の新聞社社長からの依頼で町を訪れた探偵の〈私〉は、到着早々にその依頼主の暗殺事件に遭遇します。依頼内容もわからないまま、〈私〉は依頼主の父親である権力者の老人に町の浄化を約束しました。この老人は町に混沌をもたらした張本人でもあって……。

 一人称で視点人物の感情描写を廃した文体は後世に大きな影響を残しています。コンティネンタル探偵社の探偵だという設定以外は名前も不明という〈私〉の造形は、作家になる以前のハメットが実際に探偵として働き、そこで客観的な調査を求められていたことが基礎になっているといわれていて、本作は作中で言及される〈アナコンダの銅の精錬所〉で起きた事件でのハメットの実体験が反映されているそうです。コンティネンタル・オプと通称される〈私〉のシリーズが新刊で出るのはたいへん久しぶりで、いま新刊で読めない短篇群の新訳・復刊の契機となってほしいですね。

 国内のほうでは、まず《論創ミステリ叢書》の新刊が二冊続けて出ています。『鮎川哲也探偵小説選Ⅱ』(日下三蔵編 論創社 4000円+税)は、扉に〈鮎川哲也少年小説コレクション〉と銘打たれた、鮎川の少年向け小説を二巻本で集成する一冊目です。同社から山田風太郎・仁木悦子と少年少女向けの小説をまとめていた企画が《論創ミステリ叢書》に組み入れられたということで、元の企画にならって初出誌の挿絵が豊富に収録されているのはこの叢書では珍しくて、とてもありがたい。
 収録作は鮎川らしい面白いトリックを子ども向けにわかりやすくさばいていて、大人が読んでも面白いものではないでしょうか。連載長篇の「冷凍人間」「透明人間」はけれん味たっぷりで乱歩の少年探偵団ものを思わせ、鮎川がこういう筋も得手だったのかと驚かされるでしょう。中でも目玉は鮎川が手がけた最初の少年向けミステリとみられる「魔人鋼鉄仮面」で、掲載誌の休刊間際の未完の作品ということもあって、好事家の間でも長らく未見の資料として知られていたものです。