この世で一番怖いものは何でしょう?
 姿の見えない連続殺人鬼? 本書で主人公ハナ・デンプシーと相棒のレオン・バレンズが追っているのがまさにそれ、正体不明の殺人者です。現場は逃れることのできない閉鎖空間、世代宇宙船の中。被害者はまるでひき肉のようにバラバラになった姿で発見されます。しかし大多数の一般乗員は事件のことを知りません。当局が関わっているとしか思えない徹底的な隠蔽工作で、目撃者も、場合によっては被害者の存在自体が消されてしまうからです。
 偶然、親しかった先輩のバラバラ死体を目撃したことから事件を追いはじめた警官レオンと、彼を手伝うハナの身辺にも、追跡者の魔手が迫ります。自分は事件があったことを知っている、けれどもだれにもそれを言えない――ただの連続殺人事件より、一段と怖いシチュエーションです。
 謎を追ううちに、事件の背後にはさらに恐ろしい秘密が隠されていることが徐々にあきらかになります。艦内の実権を握る情報保安局(アイセック)がいかなる手段を使っても隠しとおそうとする、その秘密とは? 二人はやがて究極の問いに直面します――社会を維持する(本書の場合、これは種としての人類の存続と同義です)ためには、一握りのエリートが情報統制をおこない、一般大衆から一部の事実を隠すのは必要な(または仕方がない)ことなのか?
 著者デイヴィッド・ラミレスの長編第一作『果てなき護り』(原題The Forever Watch)には、ほかにもさまざまなアイデアが詰まっています。主人公が作った、学習機能と自己書き換え機能付きのネット検索プログラムが、外部の異質なコンテンツに接触して予想外の進化を遂げた結果、生まれたものは? 地球はなぜ人の住めない死の世界と化したのか、また、その経緯はなぜ秘密にされているのか? 人類の生き残りを乗せて新天地へと旅する、巨大な世代宇宙船《ノア》の隔離された一画にあるものとは?
 そして何といっても一番の魅力は、圧倒的なまでに細部にわたって作りこまれた世界観です。《ノア》の乗員たちの特殊能力の描写、義務化された繁殖(ブリーディング)と専門職として子育てを行う〈保護者(キーパー)〉に支えられた、人類という種の維持の仕組み、試験結果ですべてが決まる、成績至上主義に基づく艦内の社会システム、どのように艦内の閉じた生態系が維持されているか、などなど。艦内居住区の美しい夜景の描写を読んでいると、この作品が映像化されたら圧巻だろうな、と思ってしまいます。検索ソフトのプログラミングのようすなど、根が文系の訳者は翻訳に苦しみましたが、そちらの分野にくわしい友人によるとかなりリアルに描写されているそうです。
 ていねいに張られたいくつもの伏線が回収され、ひとつの謎が解決されるとまた新しい謎が姿を現わします。そうして最後には、原題の「永遠に見守る、または監視する」というのが何を意味するのかがあきらかになります。
 ここでちょっと著者について紹介しましょう。デイヴィッド・ラミレスはフィリピンのマニラ生まれ。アメリカのカリフォルニア大学バークレー校で分子生物学を専攻し、ヒトゲノムプロジェクトに参加します。さらにフィリピンに帰国して大学院でコンピューターサイエンスを学んだのち、作家に転じ、二〇一四年に本書を発表。作中、魅力的な日本人(日系人?)のキャラクターが登場するので、お会いした折に「日本の文化に興味が?」とたずねたところ、中国という大きな文化圏のすぐそばに位置する少数派の文化で、かつ、(大戦という)カタストロフを生き延びた、という意味でフィリピンと似ており、親近感を感じる、と言っておられました。
 また、自他ともに認める日本アニメのファンで、特に「AKIRA」には大きな影響を受けたとのことです。ほかにも好きな作品として、「マクロス」シリーズ、「風の谷のナウシカ」、「ドラゴンボール」、「らんま1/2」などを挙げています。本書の主人公の名前も、本当は「バブルガム・クライシス」(一九八七年のOVAアニメ)からとったプリスとレオンになるはずだった(ちなみにさらにさかのぼるとこの二人の名前は映画「ブレードランナー」に出てくるレプリカント、プリスとリオンからとられています)のに、プリスという名前は古風すぎる、という編集者の意見でハナに変えたのだとか。何度か訪れた日本については、「(世界でも)東京ほどサイバーパンクな街はない」と評しています。
 著者は現在、次の作品Soul Sharkを執筆中です。「ニコラ・テスラが魂の電磁気的な周波数の同定に成功した」二十一世紀の世界を舞台にした、オルタナティブ・ヒストリーものだそうです。際限なく書きなおしが多い、という著者が、早く本書に負けないスリルと緻密な世界設定と科学考証に満ちた作品を世に送ってくれないかと、わたしも一読者として待ち遠しいです。
 最後にわたしのカメの歩みの翻訳につきあってくださった、編集者の石亀航さん、来日された折に東京創元社で気さくにお話を聞かせてくださった著者、そして理系音痴のわたしのとんちんかんな質問に根気強く答えてくれた工学部出身の夫に感謝をささげます。



中村仁美(なかむら・ひとみ)
東京大学文学部卒。英米文学翻訳家。訳書に、ケイジ・ベイカー『黒き計画、白き騎士』、デイヴィッド・ウェーバー『反逆者の月』、タニア・ハフ『栄光の〈連邦〉宙兵隊』、ガース・ニクス『銀河帝国を継ぐ者』など多数。