細かな点に目を向けさせず力業で押し切ってしまうものもダイナミックな魅力で捨てがたいが、やはりミステリの仕掛けは、丁寧(ていねい)に施され、精度が高く、驚きの威力が抜群であるものが理想的といえる。

 道尾秀介『いけない』(文藝春秋 1500円+税)は、まさにその好例というべき、練りに練られたアイデアといくつもの技巧の冴えが存分に味わえる作品だ。物語は、白沢市と蝦蟇倉(がまくら)市というふたつの街を舞台に、四つの章から成り立っている。


 その道を南下するとき左手に見える「弓投げの崖」を見てはいけない――といわれるいわくつきの道路で起きた痛ましい事件の容疑者が、後日、同じ場所で何者かに撲殺される、第一章「弓投げの崖を見てはいけない」

 5歳のとき中国から家族とともに日本にやって来た孤独な少年が文具店で目撃してしまった衝撃的な出来事、そして白い袖を揺らしながら現れる“あいつ”が迫る、第二章「その話を聞かせてはいけない」

 自宅マンションで死亡していた、宗教団体の幹部女性。ベテランの刑事は、自殺と考える捜査方針にひとり疑義を唱える新米刑事と調べを進めるが、ある手帳に記された絵と文字が思わぬ結末へとつながる、第三章「絵の謎に気づいてはいけない」

 各章のラストには一枚の写真が用意され、それを目にすることで読者は本文を読んでも気づかなかった真相と物語の全容を理解し、あっと声を上げることになる。道尾秀介といえば、これまで仕掛けの鮮(あざ)やかな手際によって物語を様々に輝かせ(ときには黒々と染め変え)てきたが、その巧者が活字のみならずヴィジュアルをも駆使してこれでもかと驚きを演出し、読み手を手玉に取ろうとするのだから、たまらない。

 ところが、である。最終章「街の平和を信じてはいけない」において、読者はさらなる驚きと本作に秘められた真の狙いに舌を巻くことになる。あのラストシーンも、たとえば登場人物たちが背負ったもの、これから続く人生を考えてみると、たちまち色合いが変わってくる。二読、三読することで、さらに新たな発見がありそうな奥の深さを備えた充実の一冊である。

 今年3月に青春本格ミステリ『教室が、ひとりになるまで』(KADOKAWA)を上梓(じょうし)し、好評の浅倉秋成。早くも届けられた最新作『九度目の十八歳を迎えた君と』(東京創元社 1700円+税)は、不思議なタイトルのとおり目を疑うような光景から幕が上がる長編作品だ。
 残暑厳しいある朝、印刷会社の営業マンである間瀬が電車を待っていると、向かいのプラットホームに二和美咲(ふたわみさき)を見つけて混乱する。高校の二年、三年のときのクラスメイトだった彼女は、なんと当時と同じく制服姿で18歳のときのままだった。後日、母校の前で再会した彼女は、やはり十八歳のまま高校生を繰り返している、あの――間瀬が想いを寄せていた二和美咲だった。本当なら自分たちは間もなく30歳を迎える年齢なのに、なぜ彼女だけ18歳を繰り返しているのか。それが自らの意思であるなら、その理由はいったいなにか。最初の三年生のときに原因があるに違いないと考えた間瀬は、かつてのクラスメイトや恩師を訪ね、真相を探り始める。

 大人の視点から10代を振り返る青春小説はとくに珍しいものでもなく、ミステリとしても謎と構成だけ見ればいたってシンプルといえる。しかし一読するや、これがもう大変に素晴らしく、感激してしまった。シンプルさのなかに現代と過去のエピソードが交互に連なり、それらが重なることで新たな読みどころが増えていくストーリーテリングの妙。魅力的な登場人物の造形(とくに主人公を“サニー”と呼ぶ教頭が秀逸)。「ミステリ」をこのような形で仕立てるのかという文芸センス。そして先の先まで考え抜いて巧みに配置する手際のみならず、あからさまに見せるからこその効果まで熟知した伏線の扱い方には大いに目を見張った。

 間瀬が二和美咲にまつわる謎の真相を見抜いたあとの展開は、とくに大人の胸を痛烈に射貫(いぬ)くものだ。ひとには、大人になることでようやく気づけることがいくつもある。けれど、呑み込み、受け入れなければならないことも出てくる。年齢を重ねることに背を向けようとする者に、前に進む人生の意義を、果たしてどのように示すのか。思わず心が奮い立つ力強いラストを見届けていただきたい。