あの芥川賞受賞から15年。と、しみじみ思うのは金原ひとみ、綿矢りさ両氏の新作を立て続けに読んだから。金原ひとみ『アタラクシア』(集英社 1600円+税)は、現在の結婚生活にアタラクシア(=心の平穏)を見出せない人々の物語。


 フランス語の翻訳者、由依は既婚者だがシェフと恋愛中。だが、愛人に将来的な何かを望むわけでもなく、漠然とした虚無感が彼女を覆っている。由依の友人でもある編集者の真奈美も既婚だが身体だけの関係だと割り切る愛人がいる。また、パティシエの英美には浮気中の夫をはじめ理解者がおらず、心に怒りが渦巻く彼女の精神はもはや崩壊寸前だ。

 この三人の女性に由依の妹や夫、恋人の視点が加わり、さまざまな角度から人間関係の難しさが克明に掘り下げられていく。どんな人間同士でも、相容れない部分はきっとある。その時に相手に何かを望んで絶望することもあれば、相手に何も望めないからこその絶望もある。それを抱えながら生きていく逞(たくま)しさに触れた時、読者の心にアタラクシアが芽生えるかも。

 綿矢りさ『生(き)のみ生(き)のままで』(上下巻、集英社 各1300円+税)は、女性同士の恋愛を、長い時間の流れの中で描く長篇。


 25歳の時に出会った逢衣(あい)と彩夏(さいか)。無愛想な彩夏に対する逢衣の第一印象は最悪だったが、やがて交流は深まり、彩夏は逢衣に告げる。実は最初から彼女に恋していたのだと。拒絶する逢衣だったが、次第に彼女に惹かれている自分に気づき……。

 女性同士であることに加え、彩夏は人気急上昇中の芸能人であり、二人が関係を育(はぐく)むにはさまざまなハードルがある。次々と何かが起こって先を読ませるページターナーであると同時に、心情の揺れも細部まで丁寧(ていねい)に描写され、また、著者らしい鮮烈な比喩や表現が多々現れてじっくり読ませる。

 やがて二人が辿り着いた結論も、非常になっとくいくものだった。昨今はLGBTQを扱ったフィクションも多いが、勢いでカミングアウトして、ゴタゴタを乗り越えてみなに祝福されるというパターンは想像しやすい。だが、彼女たちが下す決断は、今の社会においてはこれがいちばんリアリティのあるものだなと思わせる。ここまで描き切るなんてさすが、である。

 最後に注目の新人の一冊を。砥上裕將(とがみひろまさ)のメフィスト賞を受賞したデビュー作『線は、僕を描く』(講談社 1500円+税)のモチーフは水墨画だ。聞けば著者自身、水墨画家なのだとか。

 大学生の青山は、両親を亡くした孤独な身。ある日友人に頼まれ展覧会の設営のアルバイトに赴いたところ、来場した水墨画の巨匠、篠田湖山(しのだこざん)になぜか気に入られ、内弟子となることに。それが気に食わない湖山の孫の千瑛(ちあき)は、青山に勝負を申し出る。

 青山の修業を通して水墨画の基本知識やトリビア、千瑛や他の弟子の画法を通して、正確な写実画と心模様を反映した抽象画のどちらを良しとするかといった芸術論が分かりやすく展開する。各登場人物も個性がはっきりと書き分けられるなかでそれぞれの成長があり、エンタメ性も抜群。水墨画エンタメというジャンルがあってもいいんじゃないか、とすら思えたのだった。