江戸時代の名局の一つに「耳赤の一局」というのがある。ある程度の棋力のある人なら「耳赤の妙手」として知っている方も多いと思う。これは後に棋聖といわれた本因坊秀策(18歳)が当時準名人(八段、49歳)として名をはせた十一世因碩(幻庵因碩)と大阪で対局したときのもので、少し劣勢だった秀策が127手目を打ち、その時観戦していた医師が秀策の勝利を予想した。理由を尋ねると「この一手が打たれると、因碩師の耳が赤くなった。」といったという。この予想通りに形勢は逆転し、秀策が勝利した。

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 この一手は、大局観に裏打ちされた、将に一石四鳥の一手であった。こんな手はめったに打てるものではないが、囲碁を嗜んでいるからには、一度は打ってみたいものである。

 さて本書は、プロ同士の対局で実際にあった逆転の一手を集めたものである。プロ同士の対局では、「ここはこうなる」という風に読みが入っているため、めったに違えることはないのだが、それでも絶対とは言えない。一瞬の形のスキに乗じられることがある。打たれたら耳赤どころではないはずだ。息を呑むような、そんな瞬間の一手を問題形式にした。
 
 囲碁には三つの楽しみがあると言う。実戦で碁敵に勝ったり負けたりしているのは何よりのものであるが、他人の打つ碁をああでもないこうでもないと批評するのも楽しい。そして昔の名人たちの棋譜を並べてみるのも楽しい。プロたちの棋譜を並べて、一手がどんな意味を持っているのかとか、どんな構想を描いて打っているのかが分かるようになってくると、囲碁のレベルも違ってくる。強くなるのは当然だし、見方そのものが変わってくる。昨日の自分より強くなっているのを自覚できるのは楽しい。