本書『落下世界』は、
驚くべき風景を我々に見せてくれる、
まさに奇想SFの収穫なのだ。

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 男が目覚めたとき、自分が何者か、自分がいるのはどこなのか、ほとんどの記憶が消え去っていた。いや、記憶を失っていたのは彼だけではなかった。その場にいた誰もが記憶を失っていたのだ。
 そして、そんな彼らがいたのは、この上もなく不可思議な世界だった。それは虚空に浮かぶ小島なのだ。
 どこまでも続く青空の向こうには、きっと別の島がある。そう考えた男は、パラシュートを自作して小島から飛び降りていった……。

 SFの魅力の一つは、奇想天外な「もう一つの世界」を描いてみせることにある。それは、どこか他の太陽系の惑星だったり、多元宇宙内のどこか別の地球だったり、とにかく我々の見たことのない光景が広がった「どこか」だ。ただし、ファンタジーではなくSFである場合、それは常に「(疑似)科学的に説明がつく」世界でなくてはならない。想像力のままに不思議な世界を描いてみせることは禁じ手というわけだ。だが、そんな「縛り」があるからこそ、我々SFファンは作家たちが繰り出してくる驚異的な異世界の風景に魅せられるのであり、そこにこそセンス・オブ・ワンダーがあるのだ。
 例えばラリー・ニーヴンは宇宙のどこかに物理的には説明がつく異様な風景を作り出してみせることに長けている(リングワールドやスモーク・リングの壮大さを見よ)。クリストファー・プリーストは『逆転世界』の時間と空間の歪んだ世界を移動し続ける巨大な都市を描いてみせた。そして今話題の劉慈欣による中国SF『三体』にはあっと驚く未知の星系が登場する。
 本書『落下世界』は、そんな傑作の数々に引けを取らない驚くべき風景を我々に見せてくれる、まさに奇想SFの収穫なのだ。
 というか、本書で語られているのは、どこからこんなへんてこな世界を思いついたのか、作者に聞いてみたいくらいの奇景であり、ストーリー展開だ。世界がああなった原因は二つあるということが最後にわかるのだが、正直それはかなり強引かつアクロバティックだと思える。だが、そういう力業でこの「奇景」を描ききったところを買いたい。
 ストーリー展開のほうもエンタテインメントとして良く練られている。読み始めるとすぐ判明するのだが、この物語には二本のストーリーラインがある。一本は冒頭に書いたように、記憶喪失になりフォーラー(落下者)と名づけられた男の奇怪な世界での冒険譚なのだが、もう一本、世界大戦の瀬戸際に立っているアメリカで謎の研究を続けている理論物理学者の物語が並行して語られていくのだ。
 この、あまりにも風変わりかつ何がどうなっているのかわからない世界の謎と、一見何の関係もない二つの物語がどこでどんな形でつながるのかという謎の、二つの謎ときを強烈な「引き」として読者をグイグイと引っぱっていく構成は、娯楽小説の文法として大変良くできている。

 さて、では本作の作者、ウィル・マッキントッシュはどんな人なのだろう。
 彼は一九六二年ニューヨーク市生まれで、現在はヴァージニア州ウィリアムズバーグ在住のアメリカ人作家。一九九〇年、ジョージア大学で社会心理学の博士号を取得、以降はジョージアサザン大学で二二年間心理学を教えてきたが、妻がウィリアム&メアリー大で職を得たこともあって、大学を辞めて専業作家になった(心理学者として大学で研究していたのは、インターネットを使ったデートについてなんだとか)。
 作家になったきっかけは二〇〇三年にクラリオン・ワークショップに参加してSF創作を学んだことで、それ以降短編を発表し始め、今に至るまで毎年数本を発表し続けている。
 その中の一本、“Bridesicle”が二〇一〇年ヒューゴー賞短編部門を受賞、翌年、第一長編Soft Apocalypseを発表、以後、短編と並行してほぼ毎年新作長編を発表し続けており、それぞれ好評を博している。
 インターネットのサイトManik Creationsでの一八年五月のインタビュー記事によると、マッキントッシュはいつもまず最初にSF的なアイデアがあって、ストーリー展開やキャラクターはあとから考えるのだそう。そして、初稿はまずセリフと行動中心に短めのものを書き、後からストーリーを膨らませていくことにしているという。短編を量産しているのもアイデア優先だからかもしれない。書き始めたのは遅い(三十代後半)が、なんともSF愛に満ちた作家だと言っていいだろう。ちなみに、最も影響を受けた作家はスティーヴン・キングで、自分ではホラーを書く気はないが、キングの語り口を愛しているとのこと。

 ではここで、長編の著作リストを以下に挙げ、それぞれ簡単に紹介しておこう。

1. Soft Apocalypse(2011)
2. Hitchers(2012)
3. Love Minus Eighty(2013)
4. Defenders(2014)
5. Burning Midnight(2016)
6. Faller(2016) 本書
7. Unbreakable(2017)
8. Watchdog(2017)
9. The Future Will Be BS Free(2018)

 1は、遺伝子操作で改良された竹が異常繁殖し、交通を遮断、都市を破壊して、文明がゆるやかに滅びつつある近未来のアメリカを舞台にしたサバイバル劇。
 2は、突如死者たちが生者の身体を乗っ取り始めるという怪現象が発生、意識を乗っ取られまいと戦う主人公たちを描いたスリラー。
 3は、近未来を舞台にテクノロジーの発展によって様変わりした人々の恋愛模様を描く群像劇。
 4は、突然侵略してきた異星人に対抗するため、人類は遺伝子操作によって強靭な戦士種族を生み出すが、彼らもまた人類にとって危険な存在となり……、というミリタリーSF。
 5は、突如地上に出現した謎の光り輝く球体群を巡って、少年少女が邪悪な億万長者と戦うことになるというヤングアダルトSF。
 7は、ずっと塔の中に閉じ込められていた少女が未来世界の真実を知る旅に出るというディストピアもののヤングアダルトSF。
 8は、近未来を舞台に、双子の天才兄妹と彼らが作ったロボット犬がギャングたちを相手に活躍するアクションもののヤングアダルトSF。
 9は、実質的な専制政治が敷かれている近未来のアメリカを舞台に、完璧な噓発見器を発明した高校生たちが、それを使って社会を改革しようとするというハイテクものヤングアダルトSF。
 元々は短編の長編化(1、3、4、本書)が多かったが、ここ数作(本書以外)は若者を
主人公としたヤングアダルトものが多い。
 そして、作品によって設定やサブジャンルは様々だが、一貫してテクノロジーの進歩(もしくは退化)とそれに対する人間のサバイバルがテーマとなっているところが、この作者の最大の特徴だろう。
 さて、前掲のインタビューによると、今、右記8の作品Watchdogのテレビアニメ化が進行中で、マッキントッシュ本人も関わっているのだとか。今後、小説の世界のみならず、映像の世界でも彼の名前を聞く日は遠くないようだ。


■ 堺 三保(さかい・みつやす)
1963年大阪生まれ、関西大学卒。在学中はSF研究会に在籍。作家、翻訳家、評論家。SF、ミステリ、アメコミ、アメリカ映画、アメリカTVドラマの専門家。

落下世界 上 (創元SF文庫)
ウィル・マッキントッシュ
東京創元社
2019-08-29

落下世界 下 (創元SF文庫)
ウィル・マッキントッシュ
東京創元社
2019-08-29