まずは翻訳から。イアン・バンクス『蜂工場』(野村芳夫訳 Pヴァイン 2200円+税)は初刊の集英社文庫版から30年余りを経ての単行本での復刊で、原書の改訂が反映された完全版になります。
 出生届を出されず小さな島でひっそり父親と暮らす戸籍のない16歳の「おれ」フランクは、小動物を儀式的に殺すことを日課のようにすごし、人知れず三人の子どもをも殺していました。ある日、精神病院に収容されていた兄から、病院を脱走したという電話がかかってきて……。

 作中でも触れられる、ドイツ現代文学の代表的な作家ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』を意識したという、ミステリともホラーともSFとも分類しがたい後味の悪いカルト小説で、いわゆる「魔少年」ものといいますか、悪い子どもの一人称で犯罪の記録が語られます。少女を殺したあとに茫然自失を装って切り抜けるくだりなど、不快極まりなくてすばらしい。ただ最も記憶に残るのは結局のところ、フランクが屋根裏に設(しつら)えた〈蜂工場〉になるでしょうか。ミステリ読みにも琴線(きんせん)に触れる方がいるだろう面白い小説なのでおすすめします。

 A・A・ミルン『赤い館の秘密』(山田順子訳 創元推理文庫 940円+税)は〈名作ミステリ新訳プロジェクト〉からの一冊で、『くまのプーさん』で知られるミルンの長篇ミステリです。


〈赤い館〉と呼ばれるお屋敷に、遺産で悠悠自適に暮らす青年ギリンガムが、屋敷に滞在する友人ビルをたずねてきます。すると館の管理人が玄関で喚いていました。話を聞くと、館の主人マークの兄で一族の厄介者(やっかいもの)ロバートが外国から帰ってきた矢先、部屋の中から銃声が轟(とどろ)いたのだといいます。密室状態の部屋では男が射殺されていて、ギリンガムは素人(しろうと)探偵としてビルと共に事件の捜査をはじめて……。

 探偵小説の黄金時代の〈礎(いしずえ)〉となる、館ものと素人探偵という様式の模範となるような古典の名作です。ですからミステリとしては現代の視点では物足りないでしょうが、そう感じるのは本作を真似た後継作をたくさん読まれているからでしょう。国内のミステリへの影響は大きく、乱歩が〈黄金時代のベスト・テン〉に挙げているほか、横溝正史は『本陣殺人事件』のなかで金田一耕助のことを「アントニー・ギリンガム君に似ていはしまいか」と描写し素人探偵の範としています。

 ミルンのミステリとして読める小説・戯曲は、他にも『四日間の不思議』『パーフェクト・アリバイ』と訳書が出ていますのでおすすめします。《ハヤカワ・ミステリマガジン》に訳載された短篇群も、本にまとまってくれると嬉しいのですけれど。

〈論創海外ミステリ〉からは戦前に紹介された作品の新訳・復刊が続いています。まずピエール・ヴェリー『絶版殺人事件』(佐藤絵里訳 論創社 2200円+税)は、フランスの第一回犯罪小説大賞(冒険小説大賞)を受賞した長篇です。


 クルーザー〈アルデバラン号〉で、船員がみな何らかの薬を盛られて眠りこむという事件が起きました。地元の警察署長が様子をうかがいに行くと、乗客が毒殺される別の事件が起きていて、船上は騒然とします。そして捜査をまかされたビッグス警部らの前に、謎のフランス人トランキル氏があらわれ鋭い推理をみせて……。

 ビブリオ・ミステリを思わせる心躍る訳題とは裏腹に、物語の大半は毒殺をめぐるハウダニットとフーダニットが占めます。後半で事件の鍵を握る絶版書探しのくだりはあるものの、とってつけたようでいささかちぐはぐです。ただこれを強引に解決篇でまとめあげてしまう手腕はお見事で、代表作『サンタクロース殺人事件』のシリーズ探偵ものなどはもう少し紹介されてほしいですね。