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 MWA(アメリカ探偵作家クラブ)賞は、別名エドガー賞として著名で、その最優秀短編賞は『エドガー賞全集』と題するアンソロジーにまとめられています。まず1980年のクラーク・ハワード「ホーン・マン」までが、上下2巻の『エドガー賞全集』として一冊になり、その後の受賞作も、2007年までが二冊の短編集にまとめられています。最初の『エドガー賞全集』上下2巻は、ビル・プロンジーニ編となってはいますが、日本語版作成にあたって獅子奮迅の活躍をしたのが、ここでも小鷹信光でした。詳しくは下巻に付された解説を読んでいただくとして、その上巻は、1962年のデイヴィッド・イーリイ「ヨット・クラブ」と、同年に特別賞を受賞した、パトリック・クェンティンの「不運な男」が最後に並び、下巻に続くという構成でした。「ヨット・クラブ」については、イーリイのところで読みました。クェンティンの「不運な男」は、同じ年に特別賞を得た短編集『金庫と老婆』から、一編選ばれたものです。失敗に失敗を重ねる妻殺しのクライムストーリイですが、クェンティンの中では、むしろ凡作の部類でしょう。
 そして下巻のトップバッターが、64年のローレンス・トリート「殺人のH」です。ローレンス・トリートは第二次大戦後に、アメリカミステリの主流のひとつとなる、警察小説をリードした作家ですが、短編に手を染めたのはこの作品からだったことは、以前、トリートについて書いたところでも触れました。第二次大戦後のアメリカミステリを主導したのが、長編小説だったことが、警察小説への短編賞授賞が遅れた一因と言えるでしょう。
 お気づきのように、62年の「ヨット・クラブ」と64年の「殺人のH」の間の、63年が飛ばされています。この年は受賞作がないわけではなくて、レスリー・アン・ブラウンリッグのMan Gehorchtという作品に与えられています。しかし、この作品は、1983年に『エドガー賞全集』上下2巻を出すときに、小鷹信光が掲載誌やコピーを入手できなくて、収録を断念したのでした。プロンジーニ編の本国版にも、入っていなかったのでしょう。以後、邦訳されることも、内容を紹介されることもなく、忘れ去られるようにして、現在に到っています。
Man GehorchtはStory Magazineが初出で、著者のレスリー・アン・ブラウンリッグは、1942年ワシントンDC生まれと言いますから、当時21歳の若い作家です。短編賞を受賞した初の女性作家でした。題名はドイツ語で、直訳すると「人は服従する」となります。「私はどうもそのドイツ人を愛し始めていたにちがいない」と小説は始まります。語り手の女性は、父親がフランスの将校で、仏領アルジェリアのある村で、一帯を統治している。植民地の武官ということになるのでしょう。ナチスドイツによるフランスの占領と、傀儡のヴィシー政権の発足も、アルジェリアのフランス娘には、いささか遠い話であった――そうしたニュースよりもファッション記事を読むのに熱心だった――ものの、父が再度軍役に復帰し生死や消息さえ不明になると、自然と、父の代理のような存在になってしまう。そんなところへ、ナチから派遣されたドイツ兵がやって来て、いきなり、自分が彼の捕虜になったと宣言されてしまいます。このドイツ人青年が、恐ろしい存在ではなく、愚直な学生だったために、かえって教条的というのが、凡手ではありません。そもそも、アルジェリアで主人公親娘が統治していた現地人は、イスラム教徒なので、女性の言うことに従うのには抵抗がある。といったふうに、二重になった統治―服従の関係には、巧みな綾がつけてある。おまけに、彼女が恋におちたのは、彼の外見が彼女同様ヨーロッパ的であったためだと、率直に語られる一方で、彼女を支えるアルジェリアのムスリムは、まったくの醜男です。にもかかわらず……。短い作品で、一気に事件が起こり、結末になだれ込みますが、最後に示される語り手の後年になっての感慨――服従は愛情よりも複雑な変化に富む――の示し方が、しゃれていました。ドイツ語の題名は、はったりではなかったのです。
 ローレンス・トリートをはさんで、64年に受賞したのは、シャーリイ・ジャクスンの「悪の可能性」でした。この作品もジャクスンのところで読みました。彼女の死後、サタデイ・イヴニング・ポストに発表され、MWA賞を与えられたものです。「くじ」のセンセーショナルな作家として以外に、正当に遇されることのなかったジャクスンに対する手向けだったのかもしれません。街じゅうから一目置かれている老女が、その独善性ゆえに、悪辣な匿名の手紙を街じゅうの人たちに送りつけている。ウィリアム・オファレルの「その向こうは――闇」を評して、私は「一九四〇年代のEQMMコンテストが見出した、新しいクライムストーリイやサスペンスストーリイのひとつの完成した形」と書きましたが、Man Gehorcht「悪の可能性」は、登場人物の造形と事件の描き出すものが、さらに洗練の度合いを増しているように思えます。「その向こうは――闇」のヒロインは、その向こうの闇の中で、おそらくは死んでいきますが、「悪の可能性」のヒロインは、自らに巡ってきた悪意に、静かに泣きくずれるばかりです。にもかかわらず、その悲劇性とやるせなさは、「悪の可能性」の方が強烈なのでした。「その向こうは――闇」を、MWA賞受賞作の中でも上位に位置する傑作と断言するのに躊躇しない私でも、そう感じます。

「悪の可能性」の翌年、1966年のMWA賞を得たのは、リース・デイヴィスの「選ばれたもの」でした。リース・デイヴィスについては、都会小説のところで触れましたが、「選ばれたもの」は、「ヨット・クラブ」に続く、MWA賞のターニングポイントとなりました。
「虎よ」「ヨット・クラブ」Man Gehorcht「悪の可能性」といった、一般誌に発表された、必ずしもミステリプロパーとは言えない作家の短編に、MWA賞が贈られるようになりましたが、それでも、これらの作品は、たとえばEQMMにクライムストーリイとして掲載されても、違和感はなかったでしょう。しかし「選ばれたもの」の難解さ、被害者の老嬢の行動の不可解さは、通常のミステリの範疇を、クライムストーリイの範疇を逸脱しています。正直に言うと、私は「選ばれたもの」を正確に読み取れている気がしません。リース・デイヴィスについて、小鷹信光は「ロンドンでお買物」をむしろ買っていることと、私が「キャサリン・フクシアのジレンマ」という作品を推奨していることは、以前書きました。
 にもかかわらず、やはり「選ばれたもの」を、ひとつのエポックと私が考えるのは、こうした一連のスリックマガジン掲載作による、従来のミステリ観から逸脱=拡張し、洗練していくという行き方が、ミステリ専門誌掲載の受賞作にも影響を与えたと考えるからです。
 リース・デイヴィスの翌年は、エドワード・D・ホックの「長方形の部屋」でした。初出はEQMMではなく、セイントだそうですが、EQMMがフランチャイズの作家と言っていいと思います。日本では数多くのシリーズキャラクターを駆使する、謎解きものの作家と認識されているでしょう。この「長方形の部屋」も、ホックのシリーズキャラクターの中でも一、二を争うレオポルド警部のシリーズでした。そういう作家のそういうシリーズであるために、この短編も、パズルストーリイとして読まれているようです。なにより、都筑道夫が『黄色い部屋はいかに改装されたか?』で、わざわざ一章を割いて、これとジャック・リッチーの「子供のお手柄」を比較して(どちらも、当時は未訳でした)、前者を今日の本格、後者を昨日の本格と評したのでした。都筑道夫は、犯人の弄するトリックが存在しないホックと、犯人の弄するトリックに不自然さの残るリッチーの違いを、指摘したかっただけかもしれません。また、その都筑の連載に反応して、ホックは謎解きものの作家だが、リッチーはスレッサーふうのオチが身上の作家なので、同列に論じるのはおかしいのではないかという意見を、大学ミステリ研だかの記事で読んだ記憶もあります。実際には、どちらも探偵が事件を解決するという意味で、ディテクションの小説なのですが、そうは見えないところに問題の所在がある。
 都筑道夫自身、前記の文章の中で、「長方形の部屋」について、こう書いています。「枚数が少ないせいで、警部の推理の展開がなく、いきなり説明でおわっていますが、論理性はじゅうぶんあります」と。しかし、具体的に展開されない推理や論理に、推理する魅力や論理の魅力を感じることが出来るでしょうか。あるいは、そこになにがしかの魅力があったとして、それは、果たして推理や論理の魅力なのでしょうか。ハリイ・ケメルマンのニッキイ・ウェルトもののうち「九マイルは遠すぎる」と他の作品を分かつのは、執拗な推論の積み重ねと、それが推論者の意図と反して、実際の事件を解決してしまうというアイロニーにありました。先の反論に即して言えば、リッチーよりもホックの短編の方が、より、スレッサーふうのオチに近い。なぜなら、リッチーが描くのは連続殺人で、それが起こる間に、自然と推論は進むからです。だから、いきなり解決が来るという感じを与えません。
 今回私が「長方形の部屋」を読み返して想起したのは、ロード・ダンセイニの「二壜のソース」でした。解決部分の論理を極端に省くことで、解決された真相そのものの異常性を際立たせる。その奇妙な味を際立たせると言いかえてもいいです。「長方形の部屋」「二壜のソース」に共通するのは、そこではないでしょうか。そして、ホックのような謎とその解決をシリーズキャラクターにあてはめて量産するタイプの作家でさえ、「長方形の部屋」のようなものを書いてしまう。そこには1960年代後半という、社会の姿が刻印されています。と同時に、ミステリが描きだす一連の事件の背後には、描かれたものよりも、さらに大きな厚みが存在し、その厚みを感じさせるものが秀れた短編ミステリであるという、このころのMWA賞が無言のうちに志向していたものが、影を落としているのではないでしょうか?
 翌68年のウォーナー・ロウ「世界を騙った男」は、そういう意味ではこのころの受賞作としては例外というか異端です。この作家は次回に回しますが、次の69年ジョー・ゴアズの「さらば故郷」にも、洗練という言葉が当てはまります。ジョー・ゴアズは、自身の私立探偵の経歴を生かした作家ですが、この受賞作は、脱獄した囚人が死期の迫った父親のもとへ帰ってくるというだけの話です。父は高名な判事で兄は銀行家。おそらくは一族の中で、ただひとり家名に泥を塗っているのが主人公です。一連の事件はもっとも起こりそうな出来事が起こり、登場人物の言動行動には意外なところがひとつもありません。しかし、終わってみれば、死んだ父親が持っていながら、犯罪者にしかなれなかった息子にだけ受け継がれたものが確かにあり、他の一族はそのことにまったく気づいていない。そして、最後の投降シーンにおいて、主人公が父親から受け継いでいたものの、なにが主人公を逸脱させたのかを、象徴的に描き出してみせる。ミステリマガジンに訳出されたとき、各務三郎は「こうした、タネもシカケもないクライムストーリイが短編賞に選ばれることは、かつてはなかったことです。ⅯWA賞の選考委員の、ミステリ観がいつの間にか、ここまで進歩してきた」と書きました。その「進歩」という言葉に着目して、この発言を「解説を越えた主張と批評」と評したのが小鷹信光なのでした。

 エドガー賞短編賞が示す洗練への志向は、実はそのころの候補作にも、読み取ることが出来ます。
たとえば、「悪の可能性」と争った、シャーロット・アームストロングの「アリバイさがし」です。生活を変えるため、単身西海岸に越してきた主人公の老嬢は、ある日、突然警官に同道を求められます。洋品店の女性をホールドアップした犯人だと、被害者から名指しされたのでした。犯人は被害者を縛り上げ、店員を装って何人かの客と応対し、金を奪って逃げたのです。その間のアリバイが立証できれば、良いのですが、なにぶん、越してきたばかりで知り合いがいないのでした。警官は公平で、彼女に身の証をたてるチャンスをふんだんに与えてくれます。細かな可能性をひとつひとつあたっていって、最後にアリバイが成立するくだりは見事なものです。しかし、それだけならば、かつてのミステリの域を出ません。50年代60年代のミステリの開拓者アームストロングが、そこで留まるわけがないのです。潔白を証明する過程で、彼女は自分のことごとくが、他人にさらされていく感覚を経験したのでした。この感覚に踏み込めるのは、実は、生半可なことではありません。
 同じくアームストロングが、その翌年「選ばれたもの」と賞を争ったのが「月曜日突然に」でした。やはり老嬢が主人公で、わがままな姉が死んだばかりです。たまたま、その月曜日に姉のひとり息子の後妻(もとは被害者の看護婦だった)と外出していて、その間に亡くなったのでした。姉と違って、どんなに嫌なことでも、自分で知っておきたい彼女に対して、姉の息子家族や使用人が、何か彼女に隠している気配がある。彼女はこつこつと自分に隠されていることをこじ開け始めます。上手な伏線と巧みな構成のディテクションの小説の中に、アームストロングが閉じ込めたのは、自分に関わることは自分で知っておきたいという、彼女の強い意志でした。「アリバイさがし」ほどの発想の妙と洗練はありませんが、ここには、後期アームストロングの特徴が前面に出ていました。アームストロングは、この翌年、『始まりはギフトショップ』The Lemon in the Bascketの二編で、長編賞の候補にもなります。
「長方形の部屋」の年に候補作だったのが、ジョン・ル・カレの珍しい短編「ベンツに乗った商人」でした。この短編は60年代のスパイ小説の隆盛を、短編ミステリから眺めるところで、再度取り上げることになるでしょうが、東西ドイツに引き裂かれた家族――東側に残った父と娘、西側で商人として成功した息子――が、一計を案じて父親を西側に送り込む話です。自分の知らない間に計画に加担させられた、主人公の西側のベンツに乗った商人がとった行動を描くだけで、東西分断がもたらした埋めがたい溝の正体を暗示していました。
 ほかにも、このころの候補作には、一筋縄ではいかないものが、いくつもあります。「ヨット・クラブ」の年には、パトリシア・ハイスミスの「すっぽん」の名前が見えます。一見、平凡なアンファンテリブルものと見せて、そして、結末まで、そうとしか見えないにもかかわらず、最後のオチが意表をついた方向から現われる。ちょっと、サキのオチのつけ方を連想しました。あるいは「長方形の部屋」の年には、ロバート・マクニアの「サラダ料理」があります。サラダ作りに偏執狂的なこだわりを見せる息子が、実は定職にもつかない四十男という設定は、日本人には三十年早かったかもしれません。さらに、この年と翌年にかけては、クリスチアナ・ブランドの「婚姻飛翔」やP・D・ジェイムズの「処刑」の名も見えます。これらの作品は、のちにCWAコンテストとして、一括して読むことにしますが、イギリス勢の逆襲がこのころから始まったと見ていいでしょう。
 MWA賞短編賞は、小説としての洗練を求めて、先鋭化していくことで、さまざまな傑作秀作を集め、短編ミステリの黄金時代を創りだしました。その先鋭化の頂点が、1970年の受賞作、マージェリイ・フィン・ブラウンの「リガの森では、けものはひときわ荒々しい」であることは、動かしがたい事実でしょう。

※ EQMMコンテストの受賞作リスト(最終更新:2014年11月5日)