創元推理文庫の、文庫創刊60周年を記念した企画の一環《名作ミステリ新訳プロジェクト》。同企画の第2弾はF・W・クロフツ『クロイドン発12時30分』(霜島義明訳 創元推理文庫 1000円+税)です。倒叙ミステリの里程標(りていひょう)的作品として知られ、早川書房版の新訳が出たのもついこのあいだのような気がしますが、新刊で入手できない状況が久しかったのですね。


 父親の跡を継いで電動機製造会社を経営するチャールズは、世界恐慌の影響下で資金繰りに苦しみ、資産家の叔父アンドルーに支援を求めるものの色好い返事をえられずにいました。チャールズは会社と従業員を救うために、叔父を殺して遺産で補填するしかないと考えて、殺害計画を練り始めます。はたして、クロイドン発十二時三〇分の飛行機でパリに向かったアンドルーは機上で謎の死を遂げ……。

 作中でふれられるようにフリーマンの倒叙ものの構成をねらっていて、物語の殆(ほとん)どはチャールズの視点から、殺害計画をたててから法廷でフレンチ警視と対峙(たいじ)するに至るまでが語られます。ただ初めて手がけた設定のためでもあるのでしょうが、解決篇に残る謎がフレンチ警視の推測だけで済まされてしまうなど、いささか消化不良に感じられるところもあります。クロフツは本書のあとも何作か倒叙ミステリを手がけていて、いずれも工夫をみせています。例えば次の長篇『サウサンプトンの殺人』は語り手の犯人にとって意想外の事件も起きる面白さがあって、本書からの発展を楽しんでいただきたいです。

 国内では野村胡堂『櫛の文字 銭形平次ミステリ傑作選』(末國善己編 創元推理文庫 1300円+税)が嬉しい復刊。胡堂の著作はパブリックドメインになっていて、既に多くの安価・無償の電子書籍が出ている状況ですが、本書はミステリ読みへの手引きとしては格好の一冊でしょう。快刀乱麻を断つ平次の推理で詭計(きけい)が小気味よく解かれる作品群は時代ミステリとして質が高く、ほかの短篇にも手をのばしてみたくなるはずです。


 収録作以外では、例えば解説でも引かれている「密室」のほか「雪の足跡」「人違い殺人」など、タイトルから趣向をわかりやすく宣言している作品は読みやすいでしょう。トリックに凝ったものでは「花見の留守」をおすすめしておきたい。筆者の個人的な思い入れでいうと、本書収録の「風呂場の秘密」で登場するモチーフが「矢取娘」「御時計師」などで幾度か使われていますが、中でも抜群の活かし方をされた「二人娘」をおすすめしたいですね。子どもの頃に読んで、こういうミステリもあるのかと衝撃を受けた一篇です。

 銭形平次ものは短篇のほかにも中長篇が40篇弱あります。こちらは多くが新聞連載だったこともあり展開が目まぐるしく、伝奇小説として楽しむべきものかなと思います。代表作は『怪盗系図』『江戸の恋人達』など初期作になるでしょうが、後期の「幽霊大名」「水車の音」あたりのケレン味たっぷりの筆運びも無闇に面白いです。

 近年順調な復刊が続く小泉喜美子『殺人は女の仕事』(光文社文庫 840円+税)は女性の視点を謎の軸に据えた作品をまとめる短篇集。親本に単行本未収録作が一篇増補されています。得意の洒落(しゃれ)たサスペンスが楽しめる内容で、例えば収録の「万引き女のセレナーデ」などはトリックだけ抜き出すと、ある有名本格ミステリ短篇を想起するでしょうが、小泉ならではの料理で、歌舞伎(かぶき)趣味とからめた意外な決着をみせています。