杉田七重 nanae SUGITA



 英国王室の王冠に飾られているコ・イ・ヌールは、“光の山”という名に恥じぬ世界最大のダイヤモンドとして、遠い昔から数々の権力者に崇められてきた。しかし多大な富と力と、子孫繁栄をもたらすと信じられながら、それを巡る凄惨な歴史を鑑みて、現女王は身につけることを拒否している。
 現在ロンドン塔に所蔵されているコ・イ・ヌールは、数々の逸話を有しているが、それらは事実なのだろうか? その真相を突きとめるために、ふたりの著者が立ち上がった。これまで翻訳もされずに埋もれていたペルシャやアフガニスタンの神話や歴史書をはじめ、数々の資料にあたりつつ、現代科学の粋を集めることで、謎のダイヤモンドを覆ってきた迷信と虚妄の分厚い霧を晴らす渾身のノンフィクションが本作である。
 読みはじめたら、まず途中で本を置くことはできないから覚悟して欲しい。数百万年前のインドを出発点に、謎めいたダイヤモンドに導かれるまま時空を越えて、中央アジア、イラン、アフガニスタン、パキスタン、イギリス……と世界じゅうを回り、現代にもどってくるまで、文字通り寝食を忘れて読みふけること請け合いだ。

 恐ろしい毒が密かに盛られたとしても、ダイヤモンドを身につけた人間には効き目がなく、火で焼かれようと水責めにされようと、なんの被害もない。顔色は艶めき、仕事はことごとく成功して繁栄する。ヘビ、虎、盗賊も、このようなダイヤモンドを身につけた者からは飛んで逃げる(『ガルーダ・プラーナ』紀元十世紀頃)

 かようにヒンドゥー教の経典にはダイヤモンドの持つ霊験がまことしやかに語られている。ゆえに人々は太古の昔からダイヤモンドを求めてやまず、なかでも当初、小ぶりの鶏卵大という破格の大きさを誇っていたコ・イ・ヌールは、強大な権力の象徴と見なされて、野心に満ちる者たちの間で垂涎の的だった。しかし、ようやくそれを手にした暁に、みなことごとく凄惨な不運に見舞われるのはどうしたことか。
「盲目になる者がいれば、遅効性の毒を盛られたり、拷問で死んだり、油で焼かれたり、溺れさせると脅されたり、熱して溶かした鉛を頭に注がれたり、自身の係累や護衛によって暗殺されたり、王国を失って赤貧のうちに死んだりする目に遭っている。被害を受けるのは人間に限らない。コ・イ・ヌールを輸送していた軍艦メディアの船内ではコレラが蔓延し、そのうえ嵐で沈没しかけ」るのである。
 王位に就いてコ・イ・ヌールの所有者となってまもなく、顔が腐りはじめる者もいる。「軍隊は十二万の規模にまで成長し、帝国はぐんぐん広がっていったが、腫瘍もそれと同じで、彼の脳を食い尽くして喉や胸まで広がっていき、手足の自由を奪った……腐った鼻の上部から蛆虫がこぼれおち、口のなかや食べている料理のなかに入った」というのである。
 事実であるとは俄には信じがたい凄絶な歴史が生々しい描写で綴られていくが、そこに創作は一切なく、膨大な資料を丹念に渉猟して得た成果を目の覚めるような一大絵巻に仕立てている。つまり本書は、一個の希有な鉱物を軸に、大昔から現在に至るまで戦いに明け暮れて殺し合い、奪い奪われる、人間の歴史を描いているのである。
 よって宝石に興味があろうとなかろうと、およそ人間の歴史に関心がある読者は、ひとたび読み出したが最後、心を鷲づかみにされ、徹夜覚悟の一気読みを敢行することになる。本書の原書を初めて読んだとき、訳者は無類の面白さとはこのことかと、途中何度も大きくうなずき、膝を打ち、息を吞み、悲憤慷慨した。そして読了後に本書を胸に抱き、「ああ、なぜあのとき、ロンドン塔に入らなかったのか!」と、激しい後悔にさいなまれた。
 じつは以前、ひとり旅でロンドンを訪れた際、一度はロンドン塔の前まで来たものの、貧乏旅行ゆえに入場料の高さにひるみ、外から見るだけで終わったのである。
 とはいえ、そのときもし入場していても、コ・イ・ヌールに見蕩れてその前に立ち尽くしたとは考えられない。「今日の観光客は、ロンドン塔に飾られているそれを見て、あまりの小ささに驚くことだろう。同じショーケースのなかにはそれよりずっと大きなカリナン・ダイヤモンドがふたつ飾られている。現在のところコ・イ・ヌールの大きさは世界第十九位でしかない」というのだから。
 ということは、本書を読む前にそのダイヤモンドを目にしたところで、おそらく普通の人は、これといった感興も湧かず、早々にほかの展示物へ移動することだろう。美しい輝きを放つ宝物は、ほかにいくらでもあるのだから。
 まさに〝豚に真珠〟ならぬ、〝歴史を知らぬ者にコ・イ・ヌール〟である。
 しかし本書を読んだあとで、ロンドン塔に立ち寄ってコ・イ・ヌールの実物を目にするなら、事情はがらりと変わるはずだ。一個のダイヤモンドを巡る長くも凄惨な歴史が頭のなかに鮮やかに再現され、それに翻弄されてきた人間たちの歓喜や苦悶の表情が次々と浮かび、満足のため息や悲痛なあえぎ声が聞こえてくる。一種陶然となってコ・イ・ヌールを見つめ、気がつけば数時間が経っていたということになるかもしれない。
 はじめから終わりまで歴史の面白さが凝縮された本書ではあるが、圧巻はなんといっても、五歳でコ・イ・ヌールを腕に帯びて王座につき、シク戦争でイギリスに敗れ十歳で退位させられた、シク王国のラストエンペラー、ドゥリープ・シングを巡る物語だろう。イギリスに渡った少年時代、ヴィクトリア女王を慈母のように慕っていた彼だが、長らく引き離されていた実母と再会したことで認識が変わり、イギリスが自分から奪ったものを取り返そうとして身を滅ぼしていく。口絵の肖像画からもわかるように、目の覚めるようにハンサムなドゥリープは、ヴィクトリア女王の血友病の息子をつねに気遣う、素直で心優しい少年だったが、ままならぬ人生に絶望して酒食に溺れ、紅顔の美少年の面影はどこへやら、胸に憎悪を飼い慣らす、禿頭で腹の突き出た中年男になっていくのである。
 コ・イ・ヌールを所有して栄華を極めた者も、不運に泣いた者も、みな人間であるがゆえに、最後はことごとくこの世を去っていく。しかし、コ・イ・ヌールはそうではない。数百万年も昔、火山爆発によって母岩から吐き出され、川の流れに乗ってどこまでも運ばれていき、水が尽きたところで柔らかい砂のなかに埋もれた。安らかに眠っていたところを人間に起こされてからというもの、その一個のダイヤモンドは、野心や欲望や虚栄心を露わに次々と滅んでいく人間たちを目の当たりにしながら、永遠の命を長らえている。

 そう考えると、“光の山”が放つ永遠の輝きは、限られた生のなかで必死にもがく人間たちを冷ややかに見守るまなざしのように感じられる。コ・イ・ヌールが今後どこにどのような形で存在しようと、同じ失敗を繰り返しながら少しも学ばず、敵から奪い、奪われることを繰り返す、愚かな人間の歴史を目撃し続けるのだろう。
 本書は、サンデータイムズ若手作家年間最優秀賞や、ヘミングウェイ賞など、数々の輝かしい賞を授与されているデリー在住のウィリアム・ダルリンプルと、ラジオやテレビのジャーナリストとして二十年以上活躍しているロンドン在住のアニタ・アナンドのふたりの共著である。
 本編第一部はダルリンプルが担当し、古代インドやペルシャの文献に丹念にあたりながら、遠い昔から人々を魅了してきたダイヤモンドを巡る伝説や迷信を紹介し、多くの権力者の手を渡ってきたコ・イ・ヌールが、インドのシク王国の君主ランジート・シングのもとに落ち着くまでを綴っていく。第二部はアナンドが担当し、ランジート・シングの死により一時この世から消えたと思われたコ・イ・ヌールが、再び姿を現し、さまざまな経緯によってロンドン塔に収蔵される現在までの歴史をひもといていく。

 とにかく面白いノンフィクションが読みたい。そう切望する読者のみなさんに、自信を持ってお薦めするこの一冊。世界一有名なダイヤモンドと時空を越える旅に出て、とびきり贅沢なひとときを存分にお楽しみいただきたい。

 最後になりましたが、訳稿をていねいに読みこんで貴重なアドバイスをくださった編集部の桑野崇さんと、人物名・固有名詞の表記確認や、ファクトチェックを綿密にしてくださった校正者の方々に心より感謝を申し上げます。