ただ、(前回の『大統領失踪』のように)合衆国大統領がいくら頑張っても、アメリカ社会の闇が全て払拭できるわけではない。その一つ、人種差別を、地に足を付けて哀切に描き出すのが、アッティカ・ロックブルーバード、ブルーバード (高山真由美訳 ハヤカワ・ミステリ 1800円+税)だ。テキサス州の田舎(いなか)町で都会から来た黒人男性弁護士の死体が見つかり、そのすぐ後に今度は地元の白人女性が殺害される。停職処分中の黒人テキサス・レンジャー、ダレンは、FBIの友人から調査を依頼され、現地に向かう。


 調査過程で、田舎での根深い人種差別がじわじわ燻(いぶ)り出されてくる。本書が描く差別は、最終的に殺人に繋(つな)がっているとはいっても、たとえばむやみなリンチなどの、物語的に見栄えがするものではない。むしろコミュニティの陰に隠れ、愛憎すら半ばする、より複雑なものだ。加害者を一方的に非難すれば解決するようなものでもない。

 つまり、もっと性質が悪く、地域社会に文化として根付いてすらいる差別が扱われている。また、都会出身の主要人物も配することで、都市と田舎の温度差も鋭く描き出している。上手(うま)い。実に上手い。アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長篇賞、英国推理作家協会スティール・ダガー賞、アンソニー賞最優秀長篇賞の三冠に輝いたのも納得の素晴らしさだ。

 アレン・エスケンス『償(つぐな)いの雪が降る』(務台夏子訳 創元推理文庫 1180円+税)も素晴らしかった。母子家庭で育った大学生のジョーは、年長者の伝記を書くことが課題となったため、少女暴行殺人犯として有罪となった老人カール・アイヴァソン(末期癌(がん)のため仮釈放されホスピスに入所中)の話を聞くことにした。やがて、ジョーはカールの無罪を信じるようになる。


 派手で立派なレポートになると軽く考えて殺人犯(しかも末期癌の病人)に接触するのは、明らかに浅薄である。しかし、そのジョーは、最後に「僕は十二月の寒気を吸い込んでじっと立ち、自分を取り巻く世界の感触、音、においを味わった。カール・アイヴァソンに出会わなかったら、見過ごしていたであろうすべてを」と、実に素敵な二文で物語を締めるに至る。

 その変化の過程をじっくり味わってほしい。彼自身の生活描写にかなりページが割(さ)かれているのも特徴だ。自分勝手な母に振り回されつつ、自閉症の弟を守り、隣室の女性との嬉し恥ずかし恋愛模様を繰り広げて、読者の感情移入を誘ってくる。訳がいいことも相俟(あいま)って、語り口の威力が半端ではない。

 語り口と言えば、フリン・ベリー『レイチェルが死んでから』(田口俊樹訳 ハヤカワ文庫HM 1020円+税)も凄い。姉レイチェルの家を訪れたノーラは、姉と飼い犬の惨殺死体を発見する。喪失感に苛まれたノーラは、警察とは別に個人的に犯人探しを始め、15年前に姉が襲われた事件との関連を疑うようになる。
 主人公ノーラの語り口が唯一無二、オリジナリティたっぷりである。何せ彼女は、ほとんど常に、様々なよしなしごと(とまで書くと不正確だが)を脳裏に浮かべており、目の前の現実――姉の死という巨大で過酷で圧倒的なそれ――に集中できているのかどうか、心もとない。精神状態が不安定なのは明らかで、死んだ姉をまるで生きているかのように思い浮かべすらする。

 地の文は、語り手ノーラが現在進行形で目にしているはずの事物から遊離して、過去の想起や妄想への耽溺(たんでき)が頻出する。この状態があまりにも続くので、読者はやがて、語り手ノーラこそが怪しい、犯人ではないか、さもなくば何かとんでもないことを隠しているのではないか、と疑い始めるはずだ。この小説は、読者にそう思わせてからが本番である。その後の意外な展開を、たっぷり楽しんでいただきたい。