翻訳のほうでは、ヴァレンタイン・ウィリアムズ月光殺人事件(福井久美子訳 論創社2400円+税)は戦前の抄訳版から80年余り経ての新訳版です。トレヴァー・ディーン刑事を探偵役とするシリーズの一冊ですが、ウィリアムズにはディーンの上役のマンダートン警部を探偵役とした作もあり、同じ話に二人ともが出ている場合があってシリーズの区分けは文献によってばらつきが見受けられます。
 劇作家の「ぼく」は、ニューヨーク州アディロンダック山地の風光明媚(ふうこうめいび)な湖で知られるキャンプ場の小屋を借りて、戯曲の執筆に取り組んでいました。同地を避暑に訪れていた何人かと顔見知りにもなり、行動を共にもするようになっていましたが、その中のひとりの資産家が、ある月光の美しい夜に山小屋の中で拳銃自殺のような状況で見つかり……。

 ディーンが刑事ながら異国の旅先で事件に遭うため、推理に長(た)けた名探偵として無理なく立ち振る舞うことができるようになっているのが面白い工夫で、ディーンと語り手が初めて出会う際のホームズとワトスンの邂逅(かいこう)を彷彿(ほうふつ)とさせる会話などにその効果が出ています。物語は細かい場面転換の引きが巧(うま)くて、娯楽小説としてはとてもよくできていますし、本格ミステリとみたときの伏線の配置も満足のいくものです。ただ解説で指摘されるように、解決篇のご都合主義なところは否(いな)めず、同じ黄金時代の大家の作品と比べてしまうと小粒に感じられるでしょうか。面白い小説なのは確かで、ウィリアムズ作品はもう少し訳されることを期待します。

《論創海外ミステリ》からもう一冊、モーリス・ルブラン名探偵ルパン(保篠龍緒(ほしのたつお)訳 論創社 2800円+税)は、いささかわけありの内容です。


 訳者の保篠はルパンを日本に紹介し広めた立役者で、戦前の全集からその翻訳を一手に引き受けていました。その保篠が、ルパンの登場しないルブラン作品を訳すにあたって勝手にルパンを登場させた、いわば翻訳の途中から贋作(がんさく)にしてしまった作を集めたものです。例えば巻頭の「赤い蜘蛛(くも)」(現行題は『赤い数珠(じゅず)』)は、原作はルースラン予審判事を探偵役としたルパン非登場作ですが、これにルパンが私立探偵に変装した設定で書かれた短篇集『バーネット探偵社』の探偵バーネット、つまりルパンを探偵役として登場させてしまいます。

 ルパンの翻訳では他にも、ポプラ社版の怪盗ルパン全集収録の『ピラミッドの秘密』で南洋一郎が大半を創作した例があります。ただこういった訳業を、ルパン研究者があえて翻訳史として紹介していくという今回の企画は意義あるものでしょう。

 国内でまず目をひく戸川昌子緋の堕胎(日下三蔵編 ちくま文庫 800円+税)は、表題短篇集に『ブラック・ハネムーン』からの3篇を増補した復刊です。


 副題に「ミステリ短篇傑作選」とはあるものの、収録作は性愛をテーマとすることだけが共通したジャンル分け不能の作品ばかりです。表題作はまだしもスリラーとして読めるでしょうが、「降霊のとき」あたりでは幻想小説集だろうかと思い始め、傑作「塩の羊」では「確かにミステリだけれど、これをミステリと言ってよいのだろうか」という境地に至るはず。

 読んで呆気にとられた方は、親本の二冊と同時期の文庫版短篇集『嬬恋木乃伊(つまごいミイラ)』『霊色』『静かな哄笑(こうしょう)』あたりは、どういう発想から書かれたのか常人には理解できない傑作ばかりが楽しめますからぜひとも探してみてください。惜しむらくは入手し易(やす)い短篇集に作品の重複が多いので、体系的な復刊につながってほしいものです。

 光文社文庫から新たな企画《昭和ミステリールネサンス》がはじまりました。復刊を企図した《ミステリー・レガシー》とは別に、短篇傑作選を編む企画です。同文庫では近年は日下圭介や夏樹静子の短篇集が編まれていますが、あらためて企画名を冠したというところでしょうか。その企画の一冊目は結城昌治通り魔(山前譲編 光文社文庫 740円+税)です。


 デビュー作の「寒中水泳」を巻頭に据え、機知に富んだ初期作品が並んでいます。昨年あるフィルムの背景の復刊を紹介したときにも感じられた、ブラック・ユーモア趣味といいますか、悲惨すぎて笑ってしまうしかない筋が揃っていて嬉しくなってしまいます。