昨今、女性への抑圧はさまざまな形でクローズアップされているが、男性への呪縛に着目して出色なのが白岩玄の新作たてがみを捨てたライオンたち(集英社 1600円+税)だ。
 主要人物は三人いる。出版社に勤務する直樹は、共働きで妊娠中の妻がいるが、会社で仕事で評価を得られずにいる。もともと家事をよくこなしていることもあってか、働く意欲の強い妻に「専業主夫にならないか」と提案されて戸惑う。彼は「男は仕事で認められるべき」という価値観にとらわれているのだ。広告代理店に勤める慎一には離婚歴がある。人と人とは分かり合えないと嘯(うそぶ)いて適当に女遊びするものの、心は満たされない。役所勤務の幸太郎は気の弱い性格で、アイドルオタクであることを職場には隠している。一度だけ恋人ができたことがあるが、彼女の心ない言葉が理由で別れ、まだその傷を引きずっている。

 三人がとらわれているのは〈男らしさ〉。仕事ができてモテてこそ男だというような価値観を引きずり、自分の本音と向き合えない。それは彼ら自身の内面の問題というわけではなく、それらを押し付けてくる家庭環境や社会があるからこそ。

 ただ、外部が押し付けてくる価値観に苦しむ彼らだが、周囲の人間も同様の苦しみを持っていることに気づいていない。時には彼らも、大切なはずの相手に身勝手な女性像、人間像を押し付けていることだってある。苦しいのは自分だけではない、と気づく時に、彼らはようやく心の自由をつかむ糸口を見つけるのだ。

〈男らしさ〉〈女らしさ〉〈恋人らしさ〉〈夫らしさ〉〈妻らしさ〉……そんな〈らしさ〉を自分にも他人にも課すことをやめて、本音で向き合えた時、人と人はようやく分かりあえるのではないか(もちろん、〈らしさ〉にのっかって生きたい、というのが本音である人間が駄目なわけではない)。「男だってつらいんだよ」と不満を吐露するのではなく、人間同士がどうしたら分かり合えるのか、歩み寄りの方法を模索しているところが本書の美点。

 共通するテーマを感じるのは伊藤朱里緑の花と赤い芝生(中央公論新社 1600円+税)。こちらは二人の女性が主要人物である。
 結婚し、家庭的な良き妻になろうと望む杏梨は夫と二人暮らし。だが、とある事情で一時的に義理の妹、志穂子が同居することに。彼女は杏梨とは対照的に、理系出身で食品開発の仕事にいそしみ、女っぽさは希薄だ。ともに二十七歳の二人だが、一緒に暮らすことで互いとの考え方の違いが浮き上がってくる。

 対照的な二人を並べているものの、どちらも決して極端なステレオタイプに描いていないところがよい。たとえば現状に満足しているように見える杏梨はパート先で自分が“取り換え可能”な存在であるという寂しさをふと漏らすし、仕事一筋で恋愛に興味なさそうに見える志穂子も、キャリアに悩んでいるし、恋の古傷も持っている。

 タイプの異なる女性同士というと対立するイメージを持たれがちだが、たてがみを捨てたライオンたちと同様、自分たちが向き合わねばならないのは価値観の異なる相手ではなく、既存のイメージを押し付けてくる社会なのだ、と気づかせる。また、どちらの作品も親との関係も描かれる点が特徴だ。世代間の価値観の違いとどう折り合いをつけるかという課題を、若い書き手たちが真摯(しんし)に意識していると感じた。