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 この連載も何度目かの新年を迎えることになりました。今年は連載の最初の部分をまとめることが出来そうです。また、今回から短編ミステリの黄金時代に入ります。いましばらく、おつきあいください。
 まず、簡単なおさらいから始めましょう。ヴァン・ダインが活躍し、エラリイ・クイーンの登場で幕を降ろすアメリカの1920年代は、同時にパルプマガジンの混沌の中から、まず、ダシール・ハメットが現われた時代でもありました。パルプマガジンからは、アール・スタンリイ・ガードナー、フランク・グルーバー、ブレット・ハリデイ、レイモンド・チャンドラーといった作家が、ハメットに続きます。20年代のスリックマガジンに、フィッツジェラルドの亜流として世に出て、成功しなかったコーネル・ウールリッチは、30年代を通じてパルプマガジンに短編のサスペンスミステリを量産することで、彼らとは異なった行き方で、ミステリシーンに居場所を見つけます。それでも、1933年にクイーンがミステリー・リーグを創刊した際に、イギリスに対するアメリカ製ミステリの後進性は明らかでした。少なくとも、平均的なレベルにおいては。一方で、スリックマガジンにも、犯罪を題材とした短編は書かれ、主にアンソロジーに再録されることで、改めてミステリとして認知されたり、歴史にくり込まれることになります。その代表例がジョン・コリアであり、もっとも成功した作家は、ロアルド・ダールでしょう。
 1941年にEQMMが創刊されます。旧作再録と新人発掘を両輪――ダネイが本領を発揮しました――として、EQMMは成功し、後者に大きく寄与したのがEQMM年次コンテストでした。ダイジェストサイズのパルプ雑誌というのは、SFにも波及したひとつのスタイルとなりました。1951年より、エドガー賞に短編部門が設けられ、当初は短編集に与えられていましたが、1954年のダール『あなたに似た人』を最後に、その年に発表された短編に授けられるように改められます。その第一回目は翌55年。受賞作はスタンリイ・エリンの「パーティーの夜」でした。以後、3年連続でEQMMに発表された短編が、エドガー賞を独占します。
 しかし、EQMMコンテストそのものは、その使命を終えようとしていました。ヒッチコック・マガジンやマンハントといった競合誌が現われる一方で、第二次大戦後のスリックマガジンが目をつけたのがミステリでした。それまで評価の対象になりえなかったパルプマガジンにしか載らないはずのミステリが、充分に商品になる。スリックマガジンの作家が、たまたま書いたクライム・ストーリイではなく、ミステリのプロパーの書いた作品が。編集者エラリイ・クイーンが――ロアルド・ダールが鼻で笑ったクイーンがです――念じ続けたことが実現したのでした。
 EQMMがエドガー賞を3年連続で独占した3年目の作品は、スタンリイ・エリン二度目の受賞となる「ブレッシントン計画」でした。その翌年の受賞作は、のちに帰化することになるイギリス人作家が、サタデー・イヴニング・ポストに発表したものでした。ジェラルド・カーシュの「壜の中の手記」(壜の中の謎の手記)。まず、この小説を読みかえすことにしましょう。

「壜の中の手記」は、その邦題通り、冒頭と最後の語り手による状況説明の文章に挟まれた形で、分量的には大半を占める、壜の中から発見された手記から成っています。そして、読み進むうちに、その手記の書き手が、アンブローズ・ビアスで、メキシコで行方不明になったのちのことを書き残したものと分かっていくという趣向です。ビアスについては、この連載の最初の方で、作品を読みかえしましたが、革命軍に従軍するために赴いたメキシコで、生死不明のまま消息を絶ったのは、有名な史実です。
手記の冒頭、持病の喘息に加えてリュウマチの悪化で、メキシコのビアスは不機嫌です。ひょんなことから、白いラバを手に入れ、山を登り、ジャングルを分け入っていく。道に迷い、死の寸前まで追い詰められた果てに、助けられたところは、ふんだんに黄金が使われた別世界でした。そこの主はいくつもの言語を流暢にあやつり、反射的に偽名を名乗ったビアスの正体を、すぐに見破ります。贅をつくした歓待に、ビアスは快い睡眠と英気を取り戻します。嘘か誠か、その主は、自分がアステカなど問題にならない、高度な社会を持った古代文明の末裔を名乗り、人には聞こえない音さえ操る振動の魔術とでも呼ぶべきもので、ビアスの喘息もリュウマチも治すことが出来るというのです。この苦しみから逃れられるならと、ビアスは喜んで施術を受けます。七人の女性による一糸乱れぬマッサージ、心地よい眠りに落ちたビアスは、気がつけば苦痛から解放されています。ただ、同時に、自分が陥った状況の正体にも思い当たるのでした。
 この小説の本邦初訳は1976年6月号のミステリマガジン。「壜の中の謎の手記」という邦題でした。初出から20年近くが経っていました。ジェラルド・カーシュの名は、日本ではそれほど有名ではなく、その2年前に旧・奇想天外が特集を組んで(74年9月号)、5作品を一挙掲載したときに、私はこの作家の存在を知りました。
 ある人物が話したり書いたりしたものを、別の語り手が伝聞として紹介している。それを本題の前後で説明するという構成は、怪奇小説によく見られるもので、そこだけを取り出せば、平凡というか、怪奇譚の王道のような小説です。眼目は、その中心となる話の書き手に、アンブローズ・ビアスを持ってきたという趣向でしょう。初出のミステリマガジンには、ビアスの訳書もある中村能三の解説が付されていて、カーシュの筆を「その文体はビアスその人が書いたのではないかと疑われるほど」と評していますが、そもそも、ビアスの文章自体が、日本では読まれているとは言えませんし、翻訳でもっとも伝えにくいことでもあります。また、こうした書き方の特徴は、中心となる話が本当にあったことなのか、枠組みとなる語り手は保証しえないところにありますが、この小説の場合は、それに加えて、そもそも、本当にビアスが書いたものなのかどうか保証の限りではないという、あやふやさが在ります。
 作中でも、何度か出てくるように、ビアスは辛辣で悪意ともとれるような表現で、その名を高めました。そんなビアスの前に、善意の塊のような桃源郷の主人が現われて、好意の限りをつくすばかりか、病の苦しみから解き放ってくれる。そこには、ビアスとは逆の意味での――あるいは通常とは逆の意味での――アイロニーがあります。さらに言えば、そんな理想的なまでの好意の中に、自らへの悪意に満ちた企みを想定してしまうのは、それがビアスだからであって、ビアスゆえの取り越し苦労である可能性もあるでしょう――。謎の主人はビアスに言います。「ビアスさん、あなたは正しい、いつものように――そしてまた、いつものように少しだけ間違っている」と。
「壜の中の手記」は、伝統的なイギリス流怪奇譚を、アンブローズ・ビアスの手記という趣向で再生してみせることで、モダンな短編ミステリの在り方のひとつを示してみせました。同時に、実在の有名人を題材にした、波乱万丈だけれども真偽不明の嘘八百という物語の先駆ともなり、のちのMWA賞にも、ふたつの大きな知己を見出すことになります。ひとつは、フレデリック・フォーサイスによる長編『ジャッカルの日』であり、いまひとつはワーナー・ロウの中編「世界を騙った男」です。

 ジェラルド・カーシュは長らく日本での紹介は散発的なものに止まり、一部の好事家に読まれる作家でした。短編集も出ていましたが、それほど読まれた形跡はありません。それが広く知られるようになったのは、2002年に晶文社ミステリとして『壜の中の手記』が出版され、その好評から『廃墟の歌声』が続いたことによります。
「壜の中の手記」の構成を、イギリスの怪奇小説にはよくある形と書きましたが、実は、ジェラルド・カーシュの小説の多くが、そういう形を取っています。たいていの場合、書き手が一人称で存在し、それがカーシュという作家である場合も珍しくありません。そして、他人の体験や言ったことを伝えていく。カーシュには、カームジンという東ヨーロッパの大ぼら吹きというか詐欺師を主人公にしたシリーズがありますが、それさえも、この形式であり、カームジンにしてみれば、自分の手柄話でカーシュは食っているということになるようです。そういう意味では、書き方そのものは、少し古めかしい。19世紀の書き方と言っていいかもしれません。キャリアは30年代にまで遡り、第二次大戦中に軍の仕事で渡米したことがきっかけになって、アメリカの出版界とのつながりが出来――エラリイ・クイーンの知遇も得たと言います――て、活動の拠点をアメリカに移します。
「盤上の悪魔」は、30年代の初期作品ですが、伝聞の形はとらないものの、ピーオ・ブストのアパートという貧民窟の一歩手前のようなアパートで、覗き見をしている男の目撃譚という形式です。身の回りのものの中で、チェスに関わるものだけが破壊されていくという、チェスプレイヤーにとっては悪夢のような話でした。
「壜の中の手記」以上にホラすれすれの騙りなのが「クックー伍長の身の上話」です。カーシュという従軍記者が、渡米する船で知り合ったクックー伍長は、御年438歳という不死身の男と称します。伍長は自分がなぜ不死身となったのかを話してくれますが、その錬金術的幸運が、どれほど天文学的な確率の偶然だったかというくだりが、最高に愉快ですが、彼を見失ってしまって、探しているという設定も効いていました。
「時計収集家の王」は、ポメル伯爵という男の語りを伝える形です。伯爵であるにもかかわらず、時計職人という職業を持つポメルは、師匠のディカーにつき従って、ある王国に招かれる。王様の趣味である時計のコレクションの修理と新たな大時計を作ることになります。その王国は共和派が策動するキナ臭い状態ですが、王様はそれゆえにか趣味のからくり細工に執心している。そこには、ディカーとポメルの作るからくり部分とは別に装飾部分のために、別の有名な職人が呼ばれている。暇なおりの手慰みに、彼は蝋細工でディカーの像を作ると、これが良く似た出来で、王様は面白がって自分のものも作ってみよと命じます。どうせならと、等身大にして、時計仕掛けで本物そっくりに動くからくりにしようと、ポメルはその職人と図ります。そして実際に国王そっくりの像が出来る。そこから、あれよあれという間に、ポメルの状況は一変していき、その大波に乗るようにして、ポメルは伯爵に成り上がるのでした。
 同じ成り上がりの物語でも「死こそわが同志」のサーレクは、偶然の盗み聞きで得たチャンスから、革命家に武器を売りつけることで、武器商人の道を歩き始めます。1938年の作品(第二次大戦の前です)とは思えない予見する力で、戦闘の両軍に武器を売ることで成功していく武器商人を描いていきます。上記二編にもあてはまりますが、こういう語り手による小説というのは、話に調子の良さがつきまとうものですが、この作品では、その調子の良ささえ、コトの不気味さ重大さを際立たせることになりました。カーシュ作品の中でも苦い味わいでした。
 もっとも、カーシュの本領は、もう少し幻想的というか怪奇小説に近いものにあるのかもしれません。どこだか分からない不気味な「悪い土地」めざして主人王が進む「廃墟の歌声」の、主人公が生きる場所の不気味なディテイルに、それは代表されるかもしれません。この小説のオチは、ひとつのクリシェでもあって「骨のない人間」(骨なし族)も同様でした。あるいは、謎の刺青で覆われた怪人が海から見つかる「ブライトンの怪物」の、怪力を発揮する謎のレスラーです。
 そうした現実とは手を切った怪奇譚として出色なのが「豚の島の女王」でしょう。難破した船から生き残った四人組――小人の二人組と、怪力男と、両手両足がない、しかし頭脳明晰な女――が、流れ着いた島で生き残るために、槍を作り、島で繁殖している豚を狩ります。しかし、そうして得た力のために、四人の関係は瓦解していく。この作品も、口にくわえた筆で、絵も文章も達者にこなす、両手両足のない女の手記に残された話という設定でした。

※ EQMMコンテストの受賞作リスト(最終更新:2014年11月5日)