帯に「瞠目(どうもく)の戦場ミステリ!」と銘打たれているとおり、不可解な謎の提示、先の読めない緊迫した展開、読み手の意表を突く仕掛けが確かに盛り込まれている。だが、この約二百ページの物語には、ミステリの物差しだけでは測り切れない、読み手を否応なく思惟(しい)させる奥深さが備わっている。


 古処誠二(こどころせいじ)『生き残り』(KADOKAWA 1600円+税)は、太平洋戦争中のビルマ、イラワジ河の河畔から幕が上がる。二年兵の丸江と上官の戸湊伍長は、ひどく疲れた様子の「兵隊」に目を留める。その上等兵は森川と名乗り、「ビルマ腐れ」に罹(かか)った独歩患者たちの隊として切り離されたのち、見習士官の指揮により転進していた最中(さなか)ゲリラの襲撃に遭い、ひとり生き残ったのだという。戸湊伍長は森川を指揮下に入れ、目指すマンダレーまで連れて行こうとするが、なぜか森川に強い疑念を抱いている様子だ。いったい戸湊伍長は、なにに気づいたというのか……。

 敵機の掃射によって死んだはずの亡骸(なきがら)に刻まれた銃剣の傷の謎、つぎつぎと命を落としていく兵隊たち、森川たち分進隊がたどり着いた中州で、いったいなにがあったのかが次第に明らかになり、戸湊伍長が口にする衝撃の真相によって、本作は「戦場ミステリ」として最大の盛り上がりに達する。しかし、この盛り上がりを足掛かりに、物語はさらなる領域へと昇り始める。

「兵隊」という無名の存在となった人間の思考、「戦場」という特異な場がひとを変える影響力、そして戦争のなかで“生き残り”し者たちそれぞれが抱える境地は、ときに社会の不条理や読者の人生観と重なって、大いに心を揺さぶられることだろう。筆者は戦争によってままならない窮地に陥った人間の弱さと底知れぬ悲哀、戦争に呑まれてなお道理を失わない人間の強さがひと際響いたが、本作は10人が読めば10人とも読みどころや感想が異なる小説と捉えることもできよう。毎日出版文化賞と日本推理作家協会賞を受賞し、本格ミステリ大賞候補作に選出された前作『いくさの底』に勝るとも劣らない、永く読み継がれ、そして語られるべき傑作である。

 事件を解いて悪を懲(こ)らしめる――というなら話はわかるが、悪を懲らしめるために事件を再構築するとは、これいかに?

 霞流一『パズラクション原書房 1900円+税)は、なんともアクロバティック極まりない試みに挑んだ意欲作だ。


 フリーライターの和戸隼(わとしゅん=ワトスン)と警視庁の遊軍刑事である白奥宝結(しらおくほうむす=ホームズ)。ふたりには、依頼によって世にはびこる悪を制裁する“殺し屋”と“謀(はか)り屋”としての裏の顔があった。ある日、和戸は異様な死体に遭遇する。額が傷だらけで、首に靴をぶら下げ、花壇の柵に逆さ吊りにされたそれは、和戸がこれから仕留めるはずの男だった。いったい誰がこんなことを?

 食品会社のデータ偽装に関わった悪党たちの制裁が今回の仕事だったが、立て直しを余儀なくされた和戸たちは、新たなプランを練って任務を続行。データ偽装事件の中心人物を今度は見事に仕留めるが、五分後、和戸は信じられないような光景を目にすることに……。

 ターゲットである悪党を手に掛け、その殺人を「事件」に仕立て、警察の捜査に介入し、そして真犯人である自分たちではない「新犯人」を提供することで悪の巣を叩く。なるほど、本格ミステリにはまだこの手があったか――と膝を打ったが、そこに予期せぬ事態が偶発することで、パズル再構築の難易度が急上昇。しかも計画が狂わされてしまうのはこの一回だけではなく、不可能状況を目にするたびに「ああ、何てこったい……」と頭を抱える気の毒な和戸に笑いが込み上げてくる。新たに「事件」を仕立て直す一連の流れは多重解決ものの変奏ともいえる面白さにあふれ、よくもまあこんなことを――と仰(の)け反(ぞ)りながら感嘆すること必至。本作一番の読みどころである、宝結が事件関係者を前に四つの殺人事件の新しい真相たる「シン相」を一気に披露するラスト百ページも圧巻で、エピローグまで気を抜くことができない。20年以上のキャリアを誇る著者の作品のなかでも最高位に挙げられるべき渾身の作品だ。