昭和史を刻もうとしたのは吉田修一だ。『国宝』(朝日新聞出版 上下巻 各1,500円+税)は、歌舞伎役者の一代記。長崎の任侠の一門に生まれ、類(たぐい)まれなる美貌に恵まれた男が、やがて立花喜久雄と名乗り芸の道を希求する。師匠の息子というライバルとの競い合いや、京都の芸妓との関係、そして数々のスキャンダルに揉まれながらも、彼が目指すのは役者としての高みのみ。周囲の人間たちの人生模様も多分に盛り込みながら、口上のような〈~でございます〉口調で歌舞伎の基礎知識やその演目の説明、舞台のきらびやかさを濃密な一行一行で表現していく。



 聞いたところによれば著者本人はそれまで歌舞伎の知識はほぼゼロだったそうで、よくぞここまで書いたなと感服。また、その分、まったく歌舞伎に縁のなかった読者でも理解できる分かりやすさ。天才という浮世離れした存在と、世俗を生きる人間たちの齟齬(そご)も感じられ、著者が一人の役者を通して見た現代の姿も見えてくる。

 現代社会のある側面が見えるのは平野啓一郎『ある男』(文藝春秋 1,600円+税)。著者が提唱する、「分人」という考え方の流れでの一冊であり個人とは何かを考えさせられるが、ミステリとしても非常に面白く読んだ。


 著者が城戸と名乗る弁護士から聞かされた話、という体裁。城戸はかつての依頼者であり、現在は宮崎で幸せに暮らしていたはずの女性、里枝から相談を受ける。離婚し長男を連れて実家に戻り暮らしていた彼女は、ある時街にやってきた大祐という男と親しくなり、再婚。長女も生まれ平穏な日々を送っていたが、ある日事故で大祐が死亡。彼の実家に連絡を取ったところ、彼が本当の大祐ではないと判明。しかし、戸籍はまぎれもなく大祐のものだったのだ。城戸は事の真相を探りはじめ、やがて自身のアイデンティティや家族との関係にも向き合わざるをえなくなる。

 自分の過去を改変して生きる時、人はいったい誰だといえるのか。それでも人は自分の生を生きられるのか。城戸や里枝だけでなく、登場するすべての人が深い余韻を残し、本を閉じた後も彼らの人生に思いをはせてしまう。

 エッセイと小説の違いを考えさせられたのは柴崎友香『公園へ行かないか? 火曜日に』(新潮社 1,700円+税)。2016年、アイオワ大学に世界各国の作家が集まって数か月を一緒に過ごすプログラムに参加した著者。その経験を、エッセイではなく小説として記した連作集。英語が苦手ながら参加者たちとのコミュニケーションをはかり、しょっちゅう鳴るレジデンスの火災警報器にも次第に慣れ、みんなで軽い散歩のつもりが果てしない遠出をして……。どんなことでも大らかに楽しむ著者の美点が炸裂している。起承転結やオチを作ろうとするのではなく、叙情よりも叙事に重点をおいて淡々と小説として書いているからこそ、臨場感を持って読むことができる。


 後半、大統領選挙に沸くニューヨークにいながらも、当事者ではなくむしろ部外者として街を眺める著者の視点の、その冷静さと客観性に信頼を増した。大人になっても、知らない場所で知らない体験ができる楽しさも教えてくれる一冊だ。

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■瀧井朝世(たきい・あさよ)
フリーライター。1970年東京都出身。本の話WEB「作家と90分」、WEB本の雑誌「作家の読書道」ほか、作家インタビューや書評などを担当。著者に『偏愛読書トライアングル』(新潮社)、『あの人とあの本の話』(小学館)がある。