1.
 深夜三時、カスピ海を渡るだけの約一時間のフライトを経て、アゼルバイジャン・バクーのヘイダル・エリエフ空港に到着。
 搭乗口から出たあと、窓口でアライバルビザを取得した。大半の国が二〇USドル以上かかるなか、なぜか日本だけが無料である。理由はついぞ知らないが、こういうときだけつくづく思う。日本人で良かった。
 入国審査を通過し、バックパックをピックアップして到着ホールへ。そこらじゅうきらびやかな明かりで満たされており、チューブ状の通路や市松模様のつやつやとしたタイルからしてとても現代的だ。深夜だというのに大勢の人で賑わっており、Tシャツやハーフパンツなどのカジュアルな恰好のほか、全身黒のアバヤをまとった女性から全身白のカンドゥーラをまとった男性までさまざまいる。
 ホール二階のソファで仮眠を取り、朝六時ごろ、エアポートバスで市街地のMayo 28鉄道駅へ移動した。そこからさらに三〇分ほど歩いてホステルにチェックイン。昼頃までふたたび仮眠を取ったのち、街へ繰り出した。
 ペルシア語で「風の街」を意味するバクーは近年、石油、天然ガス、鉱石などの豊富な天然資源を元手にコーカサス最大の都市にまで発展し、第二のドバイとも呼ばれている。ケバブ屋などの地元料理屋が点在するなか、ヨーロッパ風の洒脱なオープンカフェやブランドショップが軒を連ね、いくつもの高層ビルが青空の一角を占拠している。古今の風景が雑居しつつも、慣れ親しみつつあった中央アジアの香りがだいぶ薄らいだ。
 とりあえずケバブサンドで軽く腹ごしらえをし、プーシキン公園の一角に建つプーシキン像、旧バクー駅を改造した世界最大のKFC(なぜか閉鎖されていたけど)、現代美術館などを見てまわった。そのあとは、インターネットで目星をつけておいた数件のホステル、つまりは“引っ越し先”の下見をした。それというのも、今朝チェックインしたホステルがけっこうな外れだったのだ。
 評価基準は以下の通り。
 まず、コモンルームが狭いし、薄暗いし、汚い。
 そして、従業員。朝方、パスポートをわたしたときレセプショニストの男性が「ここにいるあいだは、思いきり屁をこいておれを困らせないでくれよ」と笑いながら言ってきた。あはは、そんなことしないですよぉ、と愛想笑いしてみせるも、戦慄を覚えるほど意味が分からない。
 あと、細かいながらも大事な点として、宿泊客が一〇名以上いるのに対してユニットバスがひとつしかなく、シャワーを浴びるにもトイレをするにも順番待ちとなった。そしてようやく入ってみれば、シャワーの排水溝は水はけが悪く、一分も経たたないうちにぬるっとした足風呂に様変わり。
 コモンルーム横のドミトリーは手狭なうえに満員で、四台の二段ベッドがぎゅうぎゅうに押し込まれていた。テトリスでいうと、棒状のブロックを差し込むだけでぜんぶいっぺんに消せる具合だ。
 極めつけに(これはその夜になって気がついたことではあるが)、宿泊客がパーティー・ピープルだらけであった。コモンルームではかまびすしい音楽がかけられ、どっという笑い声がドミトリーまで響いてくる。深夜にみんなしてクラブへ繰り出し、ようやく静かになったかと思いきや、真夜中、不穏な物音に呼び起こされる。どったんばったんの扉の開閉音。がさごそというビニール袋の音。耳栓をしても、ベッドフレームがきしみ、遠慮ない足音が地響きとなって伝わってくる。この手のパーティー宿は友達をつくるにはうってつけだが、疲れているとき、ひとりになりたいときには悪夢にも等しい。
 引っ越しをしようと思った理由は、もうひとつある。明日にはナギサちゃんと合流する予定になっており、ぼくだけならまだしも、彼女をこのホステルに泊めさせるわけにはいかないと思ったのだ。
 だからグッバイ、パーティー・ピープル。
 早朝、ホステルをチェックアウトし、街路が陽光に照り映えるなか、早足で歩く人々に交じって歩を進めた。とある曲がり角を折れ、昨日目星をつけたホステルのある通りに入ると、路肩に一台のタクシーが停車していた。見覚えのある小柄な女の子が、トランクから見覚えのある赤いバックパックを取り出している。こちらに気がつき、はたと笑みを咲かせると、聞き覚えのある快活な声音で話しかけてくる。
「あれ、ムネくん。けっこう早かったんだね」 
 ハロー、ナギサちゃん。


2.
 ここらで、ナギサちゃんとの出会いを紹介するべく、小説の常套手段である回想を使って前回の〈カザフスタン編〉の続きを綴っておこう。
 地下モスクから無事アクタウへ帰還したあと、ぼくはバクーへのフライトの日までホステルのシングル・ルームにこもり、翻訳の仕事に没頭していた。そんなある日、中心街で夕食を取ってホステルに帰ってくると、入り口前の喫煙所でタバコをくゆらせていた顔見知りの宿泊客に思いがけぬ言葉をかけられた。
「おぉ、良いタイミングで帰ってきたな。おまえのガールフレンドがなかで待ってるぞ」 「は、ガールフレンド?」
 瞬間、足が止まり、脳がフルスロットルで大回転。だがどれだけ思案を巡らせようが、ある意味とても残念なことに「ガールフレンド」に相当するような女の子には心当たりがない。
 期待というより不安にせきたてられレセプションに向かってみると、バックパックを背負った見知らぬ細面のアジア人女性が突っ立っていた。真夏のヒマワリのようにお目々をぱっちり開き、こちらを不思議そうに見つめている。
「もしかして日本人ですか?」
 おそるおそる尋ねてみると、これまたおそるおそる答えがかえってきた。
「あぁ、はい。どうも、はじめまして」
 彼女の名はナギサちゃん。つい今しがたホステルに到着したそうで、彼女のほうもここの宿泊客にすぐボーイフレンドが帰ってくるから待ってろと言われたらしい。ただ日本人というだけで知り合い、というか恋人同士に違いないと決めつけられた模様だ。
「こんなところで日本人に会うなんて思わなかったな」
「しかも恋人だったなんてねぇ」
 とか言いながら、探りさぐりの立ち話がはじまった。現在の小麦色に日焼けした健康的な風貌からは想像できないが、なんでも日本では高級旅館で仲居の仕事をしているのだそう。
「でも仕事仲間からは、あんたがバックパッカーなんて想像できないってよく言われるよ」と彼女はちいさく笑う。「仕事柄、ホントは日焼けもしちゃダメなんだけどね。そのせいか、どこの国でもあんまり日本人って思われないんだ」
 ナギサちゃんの旅のルートは迷宮のごとく入り組んでおり、はじめに中国とモンゴルを訪れ、飛行機も頻繁に使いながら中央アジア諸国をあっちこっち飛びまわった挙げ句、ここアクタウにたどり着いた。ただ、そうした奔放なフライトが積み重なったせいで資金が底をつこうとしており、アゼルバイジャンあたりで日本に引き返す予定なのだとか。
「もう旅も終わりだし、あとはあんまりせかせかしないでゆっくり楽しみたい気分なんだよね。まぁ、あくまでお金が許す範囲内での話だけど」
 ということで翌日、ぼくも翻訳作業のことはきれいさっぱり忘れて、ナギサちゃんとアクタウの中心街へ繰り出した。カスピ海の波打ち際を散歩しつつ、恋人同士になったつもりできゃっきゃと水を掛け合ってみたり、あははははと追いかけっこをしてみたり、海の見えるカフェでひとつのチョコレートサンデーを分け合ってみたり。
 その後、バクー行きフェリーのチケット・オフィスにも立ち寄った。
 フェリー、というと聞こえはいいがじっさいは単なる貨物船で、乗客は荷役のついでに乗せてもらうというもの。あまつさえ積み荷ベースで運行する不定期便なので、乗客はいつになるかもわからないフェリー入港の知らせを、最悪の場合は一週間以上にもわたって待つことになる。しかも値段は飛行機と数十ドルしか変わらず、所要時間も二四時間前後という労多くして実り少なしの典型例。それでも陸海路での移動を貫く者、飛行機との値段差数十ドルを節約したい者、カスピ海を船で渡ることに浪漫を馳せる者などはあえてフェリーを選ぶのだが、ぼくは利便性を取ってはや数日前に航空券を購入していた。
 他方、ナギサちゃんはカスピ海をフェリーで渡る予定だった。というか、それが今回の旅の目標のひとつであり、あらかじめアゼルバイジャンのビザも取得していた(アゼルバイジャンに陸水路で入国する場合は、事前にインターネットで有料のeビザを取得する必要がある)。
 だがこの日、チケット・オフィスの受付に尋ねてみると、フェリーはいまだバクー港に停泊しており、出港日は目処が立たない状況なのだという。
「えー、そうなんだぁ」と天井を仰ぎ見るナギサちゃん。
 そこでぼくは、いたってかるーい気持ちで誘ってみた。飛行機の値段もそんなに変わらないからここはフライトに切り替えて、一緒にアゼルバイジャンをまわろうよ、と。
 すると彼女は一呼吸おいたあと、「まぁ、それでもいいか」とあっけらかんとした調子で答えた。「フェリーに乗れないのは残念だけど、何日も待ちたくないし、ここにいてもとくにやることもないしね」
 そしてホステルに帰るなり、ぼくのフライトより一日遅れになったもののバクー行きの航空券をインターネットで購入した。カスピ海をフェリーで渡ることが旅の目的のひとつだと言っていたのに、なんていう切り替えの速さ。というかノリの良さ。
 そこでぼくは調子に乗ってさらなる提案をしてみた。どうせならジョージアまで一緒に行こうよ、アゼルバイジャンまで行くなら目と鼻の先だし、日本にもジョージアから帰ればいいじゃない、と。
 すると半ば予想どおり、彼女は「まぁ、それでもいいか」と快諾してくれる。「ジョージアからでも、フライトの値段はあんまり変わらなさそうだしね」
 こうしたやりとりの果て、ぼくはかくのごとき妄想を抱くようになる。きっとナギサちゃんであれば、明日一緒に世界を滅ぼそうよと誘っても「まぁ、それでもいいか」と乗ってくれるに違いない。

 回想に幕引き、舞台はふたたびバクー。
 今回のヒロイン、ナギサちゃんと軽やかハイタッチで再会を果たし、こぎれいなホステルにチェックインしたあと、世界遺産の旧市街イチェリ・シェハルに赴いた。
 旧市街の起源は一〇世紀にまでさかのぼるそうで、城壁がぐるりと取り囲むなか、入り組んだ小径の左右に日干しレンガの建物が寄り添うように建ち並んでいる。目玉は高さ約三〇メートルの乙女の塔で、諸説あれど、その名は望まぬ結婚を仕組まれたお姫さまが塔のいただきから身を投げたという伝説に由来するそうだ。ただ、この塔は要塞でもあるらしく壁の厚みがやたらとあるので、乙女というわりにはだいぶ腹まわりがふくれている印象を受ける。
 なかなか面白そうなところではあったが、入場料が約一〇〇〇円と微妙に高いので、入るか否か歩きながらナギサちゃんと相談を重ねた。
「どうする、入る?」
「あたしはべつにどっちでもいいけど」
「まぁ、ぼくもどっちでもいいな」
「んー、どうしよっか……」
 と、優柔不断ぶりを発揮しているうちに塔が後方に遠ざかり、畢竟、暗黙のスルー。こういうのって外国人とはなかなか成立しえない、日本人同士ならではの以心伝心だ。それが良いか悪いかはべつとして。
 つづいて、新市街の小高い丘のうえにそびえたつバクーのシンボル的存在、フレイム・タワーを目指した。アゼルバイジャンは「火の国」なる異名を持っており、高さ一九〇メートルの三棟の巨大なタワーから成るフレイム・タワーは炎のかたちを表しているのだ。

【写真1】フレイムタワー

 だが丘はけっこう勾配がきつく、気温三〇度半ばの猛暑のなか、鋭い陽差しに灼かれもうへとへと。途中、偶然通りかかった展望台のカフェに飛び込み、ビールを水みたいにがぶがぶ飲んで一息つくと、たちどころに気が抜けてしまう。
「けっこう頑張ったし、もうちょっと休憩してもいいよね」
 そんな言い訳をしつつ、なおもしゃべりながらビールを二杯、三杯とおかわり。次第次第とアルコールがまわり、時計の針も加速的にまわってゆく。
「けっこう頑張ったし、今日はまあいいよね」
 とっぷり日が暮れ、あっさりホステルに帰還。

 そんな怠慢を払拭するべく、翌日には地元のトラベル・エージェンシーが主催するバクー近郊の観光ツアーに参加した。
 この手のパッケージ・ツアーは自由こそ少ないものの、見どころを一遍に見て回りたいとき、観光意欲と気力のバランスが釣り合わないときなどは、ただシャトルバスに乗っているだけで見て回れるのでなにかと都合が良い。こと昨晩はホステルに戻ったあともひたすら飲み、軽い二日酔いになっていたのでなおのこと都合が良い。
 まずは、天然ガスが噴き出すというマッド・ボルケーノ(泥火山)へ。
 火山というから圧巻の光景を期待していたのだが、現実は小高い丘のうえに人の背丈ぐらいの泥土の小山がいくつか散在している程度だった。小山のいただきには粘度の高い泥がたまっており、泡状のガスがときおりポコッ……ポコポコッ……ポポッと湧き出ている。これはこれでわびさびがあって良いのだが、やはり若干の肩すかしはいなめない。
「泥パックしたら肌によさそう」
「子供のころにお風呂でつくったタオルのあぶくを思い出すな」
 ぼくらは言葉少なにうなずきあって、ほかのツアー客とともに小山をひとつひとつまわってゆく。なんだかガスの集団点検みたいに。
 つづいて先史時代の岩絵が残るという世界遺産、ゴブスタン国立保護区へ。
 散在した灰色がかった巨岩の表面にうっすら人間や動物が描かれていた。そのひとつひとつをガイドのおじさんが、ちゃんとついてこないツアー客たちにほのかな苛立ちをつのらせながら解説してくれる。
「ここにはおよそ六〇〇〇点の岩絵があって、その起源は五〇〇〇年から二万年前に遡ると言われています。このモチーフには舟で旅をする人々、レイヨウ、スイギュウなどさまざまありますが……、あれ、あのアメリカ人の男の子たちはどこに行ったのかな? トイレ? え、だれも知らない? ちょっとみんな、ここで待っててくれないかな」
 すたすたすたと去ってゆくガイドのおじさん。
 かくて取り残されたツアー客は、眼前の岩絵にそれぞれの想いを投影することとなる。「昔はこのあたりまで水があったんだろうねぇ」とぼく、「きっと昔の人たちも暇だったんだろうねぇ」とはナギサちゃん。「ロックだねぇ」とはツアー客の誰か。
 三番目の見どころはゾロアスター教の寺院跡、アテシュギャーフ寺院。
 ガイドによると、ここは一八世紀にゾロアスター教徒に建てられたもので、火の燃えさかる中央祭壇が教徒や隊商向けの宿泊施設にぐるりと囲まれていた。かつて祭壇の火は地中から噴き出る天然ガスにともされていたが、一九世紀ごろの地震などの影響で止まってしまったそうだ。火を崇めるゾロアスター教の教徒たちは、火の消失により神がこの地より去ったと判断し、自分たちもまた去っていった。そのため現在、祭壇で燃えている火は観光用につけられた人工のものらしい。
 ここではぼくもナギサちゃんも、ガイドのおじさんの説明を「なるほど、なるほど」と熱心にうなずきながら拝聴した。そこらを勝手にほっつき歩くほかのツアー客について小言をつぶやくおじさんの機嫌をすこしでもなだめようと思って。
 最後は、地上に噴出した天然ガスが今も燃え続けているというヤナルダクへ。
 ヤナルダクはアゼル語で「燃える山」を意味するらしく、自然、火焔山のような壮大な景観を想像するにいたったのだが、現実は丘の斜面でほんのちょこっと燃えているだけ、バーベキューにあつらえ向きの強さだった。泥火山もそうだったが、アゼルバイジャンは火の国とか天然ガスとか火山とかいちいちスケールがでかそうに聞こえるのでおのずとハードルが上がってしまう。ゆえに拍子抜けの感もひとしおだ。

【写真2】燃える丘

 これはほかのツアー客たちも同様らしく、みな何枚か写真を撮ったあと早々に背後の丘の上にのぼって、なにか面白いものはないかしらんとあたりを眺望しはじめた。そんなツアー客に愛想を尽かしたのか、ガイドのおじさんはろくすっぽ説明もせずに、シャトルバスの運転手とずっとおしゃべりをしていた。
 ただ一言、ガイドにかわって説明を付け加えておくと、ヤナルダクの面白さはどちらかというとその成立背景にある。嘘みたいな話だが、某ガイドブックによると一九五〇年代に羊飼いがタバコをポイ捨てしたことによって引火し、以来、ずっと燃え続けているらしい。
 バクーの中心街に戻る途中、シャトルバスはモビー・ディックのようなかたちをした巨大建築物ヘイダル・アリエフ文化センターに立ち寄った。
 ここは東京・新国立競技場のデザインコンペで世間をにぎわした、かの建築家ザハ・ハディット氏が手がけたものだ。この文化センターしかりバクーに点在する現代建築物、たとえばさきにぼくとナギサちゃんが挫折したフレイムタワー、ヘイダル・アリエフ空港、海沿いに建つ絨毯のかたちをしたカーペット博物館などには、とにもかくにも曲線が多用されている。さもその数こそが、屈曲の度合いこそが最先端のあかしだと言わんばかりに。ナギサちゃんもぼそりと言う。「近代建築っていったいなんなんだろう」
 うーん、とふたりそろって唸りながらツアー終了。
 夜半、ホステルのテラスでタバコを吸っていたおり、闇夜のはるか向こうにライトアップされたフレイム・タワーが垣間見えた。その表面にはプロジェクション・マッピングによって巨大な炎が映し出されている。
「なんか缶コーヒー『FIRE』のパッケージみたいだな」とぼく。
「あのタワーは夜、こうやって遠くからそっと見るのがいいのかもね」とはナギサちゃん。「必要以上に近づくと大きすぎてよく分からなそうだし。なんとなくだけど、蜃気楼みたいに消えちゃいそうな感じもあるしさ」
 たぶんそのとおり。
 いまになって振り返ると、バクーは風や火のように手触りのない都市だった。プロジェクション・マッピングさながら眼前の光景をイリュージョン、ないしは見る者の想像力で彩色する、幻想の都市。

3.
 翌朝、次の目的地ラヒックに向かうべく地下鉄に乗ってバスターミナルへ移動した。
 バスターミナルは大型ショッピングモールと併設しており、番号の振られた駐車スペースに各行き先のバスが発着しているようだったが、行き先の標識が見当たらない。詮なくナギサちゃんと手分けして、売店の従業員から清掃員までいろんな人にラヒック行きのバスを尋ねまわってみるが、あっちだこっちだと毎回違う場所を教えられいっこうに見つからない。
「みんな言うことがばらばらなんて、なんだかインドみたいだな……」
 あたりをきょろきょろ見まわしていると、折よく通りかかった銀縁めがねのおじさんが「なにか困ってるのかい」と話しかけてきた。アニメ風のクマのトレーナーとデニムのジーンズという出で立ちで、年端もいかない女児の手をひいている。日曜日のパパという表現がぴったりの風貌だ。
 事情を説明すると「わたしたちもおなじバスに乗るところだったんだ、良かったらついてきなさい」と、発着所まで連れていってくれた。
 渡りに舟、とほっとしたのもつかの間。
 こんどはいくら待てども、バスがこない。
「ふだんだったらもっと早く来るんだけどなぁ」
 クマのおじさんはぼそりと漏らし、そちこちをさまよい歩いては周囲にバスのことを尋ねまわる。そしてしばらくのち「らちがあかないからタクシーでもシェアしよう」と言ってきた。三人で割り勘すれば、ひとりあたま約一〇〇〇円で乗れるし、タクシーのほうがバスより一時間ぐらい早く着けるとのことだ。ナギサちゃんもいつものさばさばとした調子で「それでいいよ」と言うので、さっそくみんなでタクシーのたむろするバスターミナルの出入り口前へ移動し、クマのおじさんが代表して大勢のタクシー運転手と交渉をはじめた。
 そしてとつぜん「分かったぞ」と目を輝かせながらこちらを振りかえる。「バスが来なかったのは、バス会社がストライキをおこしてるからなんだそうだ」
「ストライキ?」顔を見合わせるぼくとナギサちゃん。
「そう。だからタクシーで行くのは結果として賢明な選択だったと思うよ」
「ストライキの理由はなんなんですか」
「今日、ガソリンの値段がとつぜんあがったことに対する抗議なんだそうだ」と興奮気味にまくし立てるクマのおじさん。「ただし、問題がひとつだけある。ガソリンの値段があがったから、タクシーの運転手もラヒックまでは五五マナト(約五〇〇〇円)じゃないと行かないと言ってる。わたしたちはそれでもかまわないけど、乗るか乗らないかはきみたち次第だ」
 ぼくとナギサちゃんはふたたび顔を見合わせる。声に出さずとも、おなじような疑心を抱いていることが顔色から読み取れる。
 もしかしてだまされているのではないか。
 悲しいかな、長期旅行者は疑り深い生き物だ。土産物屋、自称ツアーガイド、両替商と幾度となく値段をふっかけられ、だまされるうちに自然と用心深くなってゆく。ことタクシー運転手は、長期旅行者の宿敵と呼んでも過言ではないほど、行く先々でペテンにかけてくる。言い値から桁違いだったりするし、到着するなり約束した金額以上の代金を要求されたりもする。料金メータがあっても油断ならず、かつてベトナムのハノイでタクシーに乗車したときには、メータが秒針並みの速さで上昇していった。今回の旅でも、ウズベキスタンの鉄道駅前で待ち構えていたタクシー運転手に、路線バスを使うからタクシーはけっこうですと断りを入れたところ「今日は休日だからバスは一台も動いてないぞ」と嘘をつかれた。しかも別々の駅前で、二度も。
 まあこういうのもはじめのうちはいい。旅の醍醐味として楽しめるから。
 だがこれが日常茶飯事になると、いちいち相手にするのが七面倒くさくなってくる。挙げ句の果てには、いっそのことはなから騙されてしまおうかという気持ちすら芽生えてくる。だまされたところで数百円、数千円程度だろうしチップだと思えばいいか、と。けれどその反面、お金は節約したいし、だまされるのはしゃくに障るという念も拭えない。それに日本人は簡単にだませるという共通認識が運転手のあいだで広がったら、後続の日本人旅行者に迷惑をかけることにもなりかねない。ひいては、こうした葛藤の一切合財がわずらわしいので、ぼくはタクシー以外の交通手段があるとき、極力それを使うように心がけている。
 だが無論、場合によってはタクシーしか選択肢がないこともある。たとえば、このときのように。 
「運転手の言ってること、ホントかなぁ」とぼく。
「どうだろうね」とナギサちゃんは首をかしげる。「バスが来ないのは事実だし、ストライキ自体はホントかもしれないけど」
「それにラヒックの滞在は一泊だけの予定だし、こんなところで時間を浪費したくないっていうのもあるよね」
「まぁ、なんにも考えず乗っちゃうのも手だとは思うけど……」
「でもなぁ……。お金はともかく、だまされるのはなんかいやだし」
「じゃあ、もうちょっとだけバスを待ってみる?」
「でも、さんざん待って来なかったら最悪だよね……」
「……じゃあ、やっぱり乗っとく?」
 とかなんとか、五分間ぐらい不毛な議論をたたかわせたあげく、ぼくらはタクシーに乗車した。

 以上のやりとりでは、優柔不断な人間ふたりの心理と言動をできるかぎり正確に描写してみたのだが、きっと読者の方々は「うだうだしすぎ!」「とっととさきに進めろよ!」などとフラストレーションをつのらせたに違いない。
 ともするとそれは、タクシーの運転手もおなじだったのかもしれない。
 この国には法定速度なんてあるのだろうかと疑ってしまうほどの超高速で、タクシーをぶっ放した。レーシングゲームのごとく車線変更を繰り返し、何台もの車をごぼう抜きにして、なおもぐんぐんスピードをあげてゆく。車窓の風景は土気色の荒野からみるみるうちに緑したたる森林に変わり、やがてけわしい峡谷へと入っていった。
 バスなら五時間のところ、ものの三時間ほどでラヒック到着。
 クマのおじさんと娘さんに別れを告げ、すぐ近くにあった村はずれのゲストハウスにチェックインした。一泊だけなので適当に決めたのだが、これが思いのほか良かった。なだらかな斜面に広がるいくつもの果樹の植わったガーデンが美しく、木造の屋根付きのテーブルが点在していた。木造のツインルームは清潔で、大都会バクーにはなかったのどかな静けさに満ちている。「ここはずっといられるような場所だね」とナギサちゃんもいたく気に入った様子。
 ウェルカムティーでのほほんとしたところで、ラヒック観光。
 でこぼことした石畳の小道が伸びる中心地、左右には木と石を層状に積み上げた古民家が建ちならんでいる。こうした一種独特の建築様式もさることながら、ラヒックではアゼルバイジャンで唯一ペルシャ語ベースの言語が使われている。隘路の続く山奥という地理が文化保存に一役買ったのだろうが、現在はアゼルバイジャン観光のハイライトのひとつとして取り上げられるほど知名度を上げ、この日も大勢の観光客で賑わっていた。
 銅細工も有名で、お土産物屋に挟まれるような恰好で銅細工職人の工場が点在している。そのひとつを見学させてもらった。光沢美しい香油入れや茶器、水差しから燭台がひしめきあうように飾られている。柱にはアゼルバイジャンの大統領が訪れたときの写真も貼られていた。

【写真3】銅職人の工場

 工場で働いていたのは二〇代ぐらいの若者とその父親。若者のほうが多少英語を話せたので、いろいろと話を聞かせてもらった。彼はふだんバクーでITエンジニアとして働いているが、夏のあいだは実家に戻り、父親の手伝いをしているそうだ。そのかたわらツアーガイドの仕事もしているそうで、明日にはイスラエルからの団体客を空港まで迎えにゆき、二週間ほどアゼルバイジャン国内を案内する予定なのだという。
「ということは、いちおう本業はITエンジニアなんですか」
 そう尋ねると、彼は真顔でこう答えた。
「メインは特にないよ。ぼくはITエンジニアで、銅細工職人で、ツアーガイドなんだ。強いていうなら、ITと銅と人間のエンジニアかな」
「人間のエンジニアというと?」
「海外旅行する人たちはだいたい刺激とか慰みを求めているから。彼らにいろんな非日常を見せて、言葉で誘導して、こころをうまいこと調整してあげるんだ」
「はぁ、なるほど」
 分かるようでよく分からなくもあり、でもやはり妙に納得してしまう。
 つづいて、ファミリー・ミュージアムだという二階にも案内してもらった。時の刻み方を忘れたようなさびた掛け時計から、こすったら精霊でも出てきそうな古めかしいランプまで、埃をかぶった銅細工が棚一面に並べられている。このひとつひとつを「これは祖父がつくったもので、これは曾祖父のものだよ」と若者が教えてくれた。
 なるほど、なるほど、とぼくらはうなずき、耳をかたむけるのだが、どうにも彼の英語が気になって集中できない。「バリエント(variant)」という単語を多用するのだ。直訳すると「少し異なるもの」「少し異なった」という意味だが、話し言葉ではあまり耳にしない。バリエント、バリエント。エンジニアならではの口癖とかなのだろうか。バリエント、バリエント。ハンマーみたいにリズム良く振るわれる英単語。耳にこびりついて離れず、ぼくのこころまで調整されたような気分になる。  その後、村はずれの小高い丘にのぼり、ラヒック全体を眺望した。晴天の下、緑の草木が山々を覆い、砂漠の国ウズベキスタンあたりを境に失われていた季節感がよみがえっている。ナギサちゃんは「タイのパーイに雰囲気がすごく似てる」と、ぼくは「グアテマラのトドスロスサントスに似てる」とたとえる。この旅行記でも頻出しているような気がするが、長期旅行者は目に映るものを記憶の風景に重ね合わせる、重度の「たとえたがり病」に冒されているのだ。
 とどのつまり我々は、一種のバリエント。

「まぁ、こんなもんでいいか」と観光を二時間ほどで切り上げ、ゲストハウスのガーデンで早々に酒盛りをはじめた。
 ぼくは一緒にいる相手によって酒量がころころ変わるのだが、今回はナギサちゃんがかなりの酒豪なため、昼夜問わず暇さえあれば一緒に飲んでいる。この点、アゼルバイジャンでは二リットルのペットボトルに入ったビールがおよそ二〇〇円で売られているので、飲んべえにはたいへんありがたい。
 酒のつまみは共通の知り合い。
 長期旅行者がたどるルートはかぎられているため、共通の知り合いがけっこういる。たとえばナギサちゃんは、「ウズベキスタン編」でぼくと一時行動をともにしたマゴさんとミカちゃんとキルギスタンで顔を合わせていた。とくにミカちゃんとは一緒にキルギスタンのイシクル湖周辺をまわったらしい。これにFacebookでの共通の知り合いを交えて「あー、その人知ってる!」「え、どこで会ったの?」の応酬。
 それから話題は、旅先で会った面白い旅行者のエピソードに移った。
 ナギサちゃんは今回の旅だけでも、何の前触れもなくとつぜん踊り出すという謎めく高校の世界史の先生、カザフスタン・アスタナの万博で客室乗務員の女性を引っかけたというアパレル系の男の子、タジキスタンのパミール・ハイウェイでいぼ痔が爆発し、地元の診療所で緊急手術することになった男の子など、さまざまな出会いがあったらしい。
「中央アジアをあちこち飛びまわることになったのも、いろんな人に一緒に行こうって誘われたからなんだ。そのほうが自分の興味のあること以外のものを知れるし、世界が広がるから。だから観光地をめぐるっていうか、ほとんど人をめぐる旅だったよ」
 たしかに、観光地はガイドブックなどで事前に知った情報の再確認に終始してしまうことがある反面、人間なる小宇宙めぐりは未知の驚きだらけなのでめっぽう面白い。
 ぼくはというと、過去に出会った面白い旅行者のひとりに世界一周旅行者のカエルさんがいた。「シンジラレナイ!」が口癖の一級建築士で、肩に小さなアマガエルのタトゥーが入っていることから通称カエルさん。ヨルダンのホテルでツインルームをシェアしたときには、とつぜん画用紙と鉛筆と定規をバックパックから取り出し、図面を描きはじめてぼくを驚かせた。聞けば、宿泊先の見取り図を鍛錬もかねて毎回描いているらしく、世界一周の目的も世界中の建築を見て回ることらしかった。まったくの余談ではあるが、カエルさんはエジプト・ダハブでのダイビング・ライセンス取得の際、偶然バディを組むことになったサカナちゃんという日本人女性と恋に落ち、帰国後めでたく結婚した。
 あとは、メキシコとグアテマラで一緒だった通称、佐藤ドンドコくん。なんなんそのふざけた名前、という感じだが、本人もそうとう変わっており、古今東西のパーカッションを学ぶために世界各地をまわっていた。メキシコ・カンクンではレストランのライブ演奏に殴り込み、ドラムをたたき出し、しかも実力を認めさせてしまうというおそるべき才能の持ち主。日本帰国後には「La Senas」なるパーカッション集団を立ち上げ、つい昨日はハンガリーの超有名野外フェスでも演奏をしていた。
 ナギサちゃんもそんな猛者のひとりであり、熊野古道を踏破したというエピソードを披露してくれた。「紀伊半島の南のほうにある巡礼ルートで、最近は外国人旅行客もたくさん来るぐらい人気なんだよ。あたしの最終的な目標はサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼ルートを歩くことなんだけどね」
 お恥ずかしながら熊野古道は初耳だったが、サンティアゴ・デ・コンポステーラのほうはパウロ・コエーリョ『星の巡礼』のおかげで存在だけは知っていた。それに最近では映画『星の旅人たち』の影響か、旅人の知り合いが何人か行っている。
 そんなふうに話は尽きないが、ビールはすぐ尽きる。また商店に買い出し、飲んでは語り出し、バリエントな夜が更ける。

4.
 翌日、バスを乗り継いでシェキに到着。
 シェキはアゼルバイジャン観光の目玉で、盆地からなだらかな山々の斜面にかけてタイル張りの屋根が美しい古民家が建ちならんでいる。古くは絹織物の町として栄え、バクー、ジョージアの首都トビリシなどを結ぶキャラバンルートの中継地点であったという。
 シェキではまず、かつてシルクロードを行き来していた隊商が滞在していたキャラバンサライ・ホテルに赴いた。噴水のある中庭には色とりどりの花々が咲き乱れ、趣のある石造りの二階建ての宿泊施設がそこを取り囲んでいる。現在もホテルとして使用されており、一泊約二〇〇〇円と手頃な値段で泊まれるそうだが、あいにくこのときは満室で泊まれなかった。

【写真4】シェキのキャラバンサライ

 それから世界遺産のシェキハーン宮殿に向かった。一七九七年に建設、時の統治者シェキハーンが夏の離宮として使用していたもので、外壁はダークブルー、ターコイズブルー、黄土色の幾何学模様のタイルで装飾されている。内壁は色鮮やかなステンドグラスや花模様で彩られており、一角にはペルシャ帝国との戦が描かれたフレスコ画もあった。
 となり村キシュにあるアルバニア教会にも足を延ばした。かつてアゼルバイジャン北部を支配していたカフカス・アルバニア王国の遺産らしく、この外観がぼくがずっと思い描いていたコーカサスのイメージと細大漏らさず重なり合った。
 以上、箇条書きめいた報告になってしまったが、正直に吐露すると、シェキの記憶は断片的にしか残っていないのだ。日記を見返してもすかすかだ。シェキ滞在一日目は「ナギサちゃんとずっと飲んでた」と、たった一言しか書かれていない。
 そう、バクーやラヒックからしてすでにその傾向は強かったが、アゼルバイジャンではただ場所を替えているだけで、基本的にはずっとナギサちゃんと酒を飲み交わしていたのだ。バクーからラヒックからシェキへと、壮大なはしごでもするかのように。このバリエントな日々において、日中の観光は真夏の日差しをたっぷり浴び、汗を流して、夜半、きんきんに冷えたビールをおいしく飲むためのつまみになってしまった。
 だからぼくがいま唯一語れるのは、酒の席の思い出だ。
 シェキ滞在一日目も地元料理屋で飲んだし、二日目の夜もゲストハウスの庭先のテーブルで酒盛りをした。ただしこのときは、イラン人の宿泊客も加わって。
「良かったら飲まないか?」
 軒先の白色蛍光灯の下、イラン人の青年が包装紙にくるまれた酒瓶を差し出してきた。 「なんです、これ?」
「コニャックだよ。ふだんは飲まないけど、こうして海外に出るときだけ飲むんだ」
「ふだん飲まない人がいきなりコニャックですか」
 ぼくがそう言うと、彼は大げさなぐらい高らかに笑った。「いや、おかしな話かもしれないけど、やっぱりこの味と強さが好きなんだよ」
 彼はイランの首都テヘランに住むITエンジニアで、現在は二週間ほどかけてコーカサス地方を周遊しているらしい。すでにアルメニア、ジョージアをまわってきたらしく、ぼくとナギサちゃんがこれからジョージアに行くというと、おすすめを教えてくれた。だがここでもいの一番に出てきたのは、アルコール関連のことだった。
「首都トビリシの西のほうにクタイシっていう街があるんだけど、そこに自家製ワインをいくらでも飲ませてくれるとんでもないゲストハウスがあるんだ。こっちがなにも言わなくても、オーナーのおじいさんが飲め、飲めって、ほとんど強引にすすめてくるんだよ。夕食のときだけじゃなくて、朝でも、昼間でも、ただそこにいるだけで飲まされることになる。とにかくあれは……、なんていうか、もうホントにすごいから、じっさいに行って味わってみるべきだ」
 彼はそう言いながらグラスにコニャックをなみなみと注ぎ、ぼくとナギサちゃんに差し出してきた。さもそのゲストハウスに行くための通過儀礼だと言わんばかりに。
「すこし、意外ですね」コニャックの熱さでのどを詰まらせながら、ぼくは言った。「イランの人ってあまりアルコールは飲まないと思っていました。厳格なイスラム教徒みたいなイメージがあって……」
「厳格な人ももちろんいるけど、そんな人間ばかりじゃないさ。けっこう隠れてパーティーしてるよ」
「隠れてっていうと、家のなかで?」
「そう」と彼は破顔する。「家のなかじゃみんな自由だからね。でも外でだって、たまにこっそりパーティーを開くんだ。パーティーなのに、こっそりとね」
「女性もですか?」とナギサちゃん。
 彼はうなずく。「みんなおおいに楽しんでるよ。メディアだとあまり触れられないかもしれないけど、とても自由な精神を持った国なんだ」
「イラン、いつか行ってみたいですね。みんな良いところだって言いますよ」
「ちなみにきみたちはイランについて、どんなことを知ってるんだい?」
「シーラーズにあるピンクモスクとか有名ですよ」とナギサちゃん。
「南のほうには有名なペルセポリスがありますよね」とぼく。「それにイスファハンは、世界の半分とまで言われてるじゃないですか」
「あぁ。あんまり知られていないけど、あの有名な言葉は、じつは詩になってるんだ。ペルシア語だときれいに韻を踏めるんだよ」
 彼はコニャックの残りを一息で飲み干すと、グラスを片手に詩の一節をそらんじてみせた。小鳥のハミングめいた美しい響きとともに。

 Esfahan Nesf-e Jahan(Isfahan is half of the world)

「ぼくも昔、イスファハンに旅行したことがあるんだ」と彼は続ける。「たしかに素晴らしいところだったけど、個人的に面白いと思ったのはむしろイスファハンを離れたあとだったよ。家にいるときも、ヨーロッパを旅行したときも、しょせんは世界の半分にしか過ぎないのかって思うようになったんだ。世界の見え方が逆転したんだよ」
「つまりイスファハンに行かないかぎりは、世界を三〇周したところで半分しかまわっていないってことになるんですね」
「まぁ、そういうことだ。きっとあそこにはイスファハンだけの地軸があって、赤道があるんだよ。まだ誰も発見してないみたいだけど、地球はじつは丸くないんじゃないかな」  彼は朗らかに笑う。
 ついでぼくは、イラン人のホスピタリティについても言及した。知り合いの旅行者が、イランの人々はとても優しく、うちに泊まっていけ、お茶を飲んでいけと、と毎日のように誘われたと言っていたのだ。
 だが彼はつとめて冷静に答える。「そういうホスピタリティは旅行者にとっては良いかもしれないけど、じっさいに住んでみると話はべつだと思うよ。知り合いにイラン人女性と結婚したイギリス人がいるんだけど、妻の実家に一ヶ月滞在したとき、彼はすごく困惑してたからね。なんでも家族ぐるみだし、距離が近すぎるってさ。みんな優しい人だってことは分かってるけど、気疲れしてしまうそうだ。だからその友人も一ヶ月後には、すごくほっとした表情でイギリスに帰っていったよ」
 良いところも悪いところも、分け隔てなく話してくれる彼。その人柄ふくめ、ますますイランに興味が湧いた。
 これも旅あるあるのひとつ。
 旅先で魅力的な国の話を聞き、行ってみたい国が初春の枝葉のように増え広がってゆく。はじめてバックパックの旅をしてから一〇年以上が経つが、いまだにこうして旅に出るのはそれが理由のひとつでもある。
 ナギサちゃんもコニャックで頬を赤らめながら嘆く。「もう帰るっていうタイミングで、どうしてこういう話を聞いちゃうのかな。考えてみれば、イランなんてアゼルバイジャンのすぐ真下にあるのに」

    ※

 さて、〈アゼルバイジャン編〉はこれにていちおうの終わりとなるが、ナギサちゃんとの物語はその先もずっと続いた。
 先んじて言うと、イラン人の青年と酒盛りをした翌日、ぼくとナギサちゃんはシェキからジョージアの首都トビリシへと抜けた。そこで出会ったほかの旅人とともにトビリシを見てまわり、その後、カズベキという北部の山岳地帯に赴いて、山の上に建つ教会へトレッキングをした。そしてふたたびトビリシに戻ったあと、以前ぼくにそそのかされたとおり、ナギサちゃんはひとりジョージアから帰国の途に就いた。
 別れ際の言葉は驚くぐらいあっけなかった気がする。空港行きの路線バスに乗り込む直前につぶやいた、たった一言。「じゃあ、またね」
 また明日顔を合わせるかのような響きをともなっていたその言葉は、意想外にも約一年の時を経て現実のものとなる。
 彼女は帰国後、日本で半年ほど仕事をして、一路イタリア・ヴェネチアへ飛んだ。そしてヨーロッパをまわり、フランスから念願のサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼をはじめたのだ。ピレネー山脈を越え、スペインに越境して。およそ一ヶ月にわたって八〇〇キロメートル近い道のりを歩いて、サンティアゴ・デ・コンポステーラに到着した。その後は一介の旅行者に戻り、バスを使ってポルトガルを南下し、モロッコをまわり、東南アジアをめぐって日本に帰国した。そしてその翌日、アゼルバイジャン編から約一年後にあたる二〇一八年七月末日のこと、とある地方都市の居酒屋でぼくと再会を果たしたのだ。
「あれ、ムネくん。けっこう早かったんだね」
 そう微笑みかけてきた彼女は、巡礼路を歩いたときとおなじだというラフな服装をしていた。それにすこしばかり髪が伸びていたかもしれない。それでも、一年前とほとんど変わっていなかった。明け透けな笑い方も、さばさばとした感じも。彼女との思い出はつねとして酒の席だったから、いつもながら酒を酌み交わしているうちに、すべてが収まるべきところに収まった。
 ナギサちゃんはシェキでイラン人の青年と飲んだ思い出を引き合いに出しつつ、これまでの一年について「世界の半分をうろちょろしてきた」と言っていた。「もう半分はまた今度にとっておくことにしたよ。ぜんぶいっぺんに行っちゃったらつまんないからさ」
 ぼくはというと主として文字の世界を渡り歩いてきたこと、そして本旅行記のことを告げ、この〈アゼルバイジャン編〉で綴った彼女との旅路についても語った。
 彼女によれば、多少大げさではあるがだいたい合っている。「それでいいよ」とのことだ。「あたしも細かいところまではよく覚えてないから。そんなことがあったって言われれば、なんだかそんなことがあったような気もしてくるし。今となったらぜんぶプロジェクション・マッピングみたいなものだしね」
 たぶんそのとおり。
 今回、ぼくらがアゼルバイジャンで一緒に過ごした日々を振り返ったとき、ふたりの記憶にささいな食い違いが見受けられた。それはアゼルバイジャンでの出来事ばかりではなく、ときにはなにを着ていたとか、なにを言ったとか、なにをしたとか、ぼくら自身のことにまでおよんだ。ぼくらは約一年前、ラヒックのゲストハウスの庭先でそれまでにたがいが出会ってきた旅行者のことを語らったが、自分たちもまたそうした過去の登場人物になってしまったのだ。断片的な特徴でしか語れない、いびつで不確かな存在に。かつて闇夜に垣間見たフレイムタワーさながら、必要以上に近づくと消えてしまう幻想都市の住人に。
「じゃあ、またね」
 電車の扉が閉まる直前にまたもや投げかけられた、あっけない別れの言葉。
 これをもって今回の再会もまた過去として、あるひとつの物語としてここに記されることになったが、彼女とはまたいずれどこかで会うかもしれない。日本、または世界のどこかで。あるいは世界の半分で。
 ゆえにこの物語は、綴じられることなく次の一文字を待つことになる。