■宮部みゆき先生のベスト6【東京創元社以外編】(順不同)
『呪われた町』(上下)スティーヴン・キング(集英社文庫)
『ファントム』(上下)ディーン・R・クーンツ(ハヤカワ文庫NV)
『怪奇と幻想』(全三巻)ロバート・ブロック他(角川文庫)
『異形の白昼』筒井康隆編(集英社文庫)
「鼻」曽根圭介(角川ホラー文庫『鼻』所収)
『モンタギューおじさんの怖い話』クリス・プリーストリー(理論社)
○番外:『死の舞踏』スティーヴン・キング(バジリコ)

■風間賢二先生のベスト5【東京創元社以外編】(順不同)
『幻想と怪奇』(全三巻)レイ・ブラッドベリ(ハヤカワ文庫NV)
『シャイニング』(上下)スティーヴン・キング(集英社文庫)
『血の本』(全六巻)クライヴ・バーカー(集英社文庫)
『隣の家の少女』ジャック・ケッチャム(扶桑社ミステリー)
『フリッカー、あるいは映画の魔』(上下)セオドア・ローザック(文春文庫)
○番外:『幻想文学大事典』ジャック・サリヴァン編(国書刊行会)


●ジャンルミックスについて
風間 僕はそもそも活字に触れるのが遅かったので、年齢こそこちらのほうがだいぶ上だけど、ホラー歴はだんぜん宮部さんのほうが上だと思います。
宮部 そんなことないですよ。
風間 宮部さんは小学生の頃からすでに読んでましたよね?
宮部 はい。でも読みたいけど手に入らないという時代が長かったですよ。例えばこれはミステリですけど、ポプラ社の《少年探偵団》シリーズ(《少年探偵・江戸川乱歩シリーズ》)も、自分では一冊も持ってなくて、友達に貸してもらったんです。放課後にみんなで声を出して読んだりしていたんですよ(笑)。中学生になって文庫が買えるか、図書館で借りるかしかなくて。そんな時期が長かったですね。
風間 多感なときにそういうものに出会った宮部さんと違って、僕は大人になってから読んだので、かなりカルチャーショックがありました。なにしろ、大学時代はヌーヴォー・ロマンみたいな退屈の極地のようなクソつまらんものをイキがって読んでいたんですから(笑)。
宮部 私は逆に、正統派の文学を全然知らずにミステリやホラーばっかり(笑)。ホラーのほうが先でした。私の世代ってテレビっ子なんですよ。要するにサブカルの人だったんです。私と同年代の評論家の方が言ってらしたんですけど、いつの間にか、私たちの親しんでいたもの、愉しんでいたものがサブカルじゃなくなってる、って。文学というのは全然違う高みにあるもので、それとはまったく関係ないところで楽しくやっていたつもりだったんですけれど、少し事情が変わってきました。
風間 大学で教えていると、学生から「純文学と大衆小説はどこが違うんですか」と訊かれちゃうことがありますよ。そういった違いもなくなってるみたいですね、かつての正統と異端の区別が、もうないのと同じように。司馬遼太郎や松本清張を純文学だと思ってる。かれらにとって読みづらいのは純文学。すらすら読めるのはラノベなんです。だから村上春樹はラノベ(笑)。
宮部 私ね、それこそカポーティが『冷血』を書いたように、純文学の作家の方がたまに犯罪小説に手を染めることがあると思っていたんですけど、でも最近はその傾向が顕著だと思うんですね。たまに出てくるんじゃなくて、しょっちゅうだし、こぞって書かれていますし。そうすると、「私たちミステリ作家とはどう違うんだろう」と思っちゃうんですよ。でもミステリ好きからすると、もうちょっと謎がいっぱい欲しいよなあ、とも思っちゃう。題材さえも拡散しちゃって、どのジャンルの作家がどこでどんな作品を書いたとしても全然不思議じゃなくなってるんじゃないでしょうか。
風間 純文学との融合ということではSFもそうですね。でも、娯楽小説におけるジャンル・ミックスということでは、60年代に始まるモダンホラーが意識的に推進させたという感じですね。アイラ・レヴィン(『ローズマリーの赤ちゃん』)やウィリアム・ピーター・ブラッティ(『エクソシスト』)にはじまって、怪奇・恐怖の要素を全体のトーンにして、いろいろなことを描く人が増えました。
 まあそれを言えば、イギリスが早かった。そもそも18世紀のゴシック・ロマンスがそうなんですが、モダンホラーの文脈で言えば、英国のデニス・ホイートリーがすでに20世紀初頭にジャンル・ミックスをやってるんですね。キングみたいなことを当時すでにやってました。『黒魔団』とか『悪魔主義者』とかね。でも対抗文化旋風の吹き荒れた60年代という時代精神が、そういう感じなんです。つまり、異種混交の時代。「ジャンル・ミックス自体が一種のポスト・モダンだ」と言われた。純文学の作家もSFやミステリやウエスタンやポルノなどの枠組みを意識的に用いて創作した。SFではトマス・ピンチョンとかヴォネガット。ミステリではボルヘスやナボコフとかね。ラテンアメリカの魔術的リアリズム系の作家の短編なんて、もろ「ミステリ・ゾーン」タイプだったり。コルタサルやフェンテス、ビオイ=カサーレスとか。
宮部 あるときにスティーヴン・キングやディーン・クーンツがぐわーっと出てきて「アメリカの長編ホラーは怖くないんだ」ということになったときに、新しいホラーが来たんだな、と私なんかは思っていたんですけれど。
風間 そう、怖くないけど、抜群に面白い娯楽作品。基本的には長編。それがモダンホラーですね。たとえば、キングは別格として、当時のイギリスにはジェームズ・ハーバートがいます。イギリスのキングと言われているのに、わが国ではほとんどの人が知らない。
宮部 キングも『死の舞踏』の中でエールを贈っていますよね。残念ながら日本で出た小説はカバーのせいかうさんくさく見えてしまって(笑)。読めば楽しいし面白いんだけど。気の毒だなと思います。
風間 でも中身があれだからしょうがないかも。つまり、ナスティ(お下劣)ホラーと言われるようなB級グロ作品、バッド・テイストだから。そこがいいのだけれど。
宮部 お色気シーンもありましたよね。
風間 それと映画との関係がありますよね。スプラッタ・ムービーの影響でどぎつくなった。イギリスには〈ハマー・フィルム〉がありましたし。アメリカならロジャー・コーマンあたり。60年代のジャンル・ミックス的なものは、小説が映画と混淆して生まれてきました。キングやクーンツがホラー以外の要素を上手く取り入れてエンターテインメントにしていったんですね。
 また、出版界全体の事情が変わった、ということもあります。一大産業になったんです。業界の巨大複合企業化ですね。それによる超ベストセラーの誕生。そして70年代にはメディア・ミックスが進んで、とてつもないベストセラーがつぎつぎに生み出されていくんです。マリオ・ブーヅォの『ゴッドファーザー』なんて最たる例。当時の作家でいえば、代表的なのがアーサー・ヘイリーです。
宮部 うわあ、そうですね。いまでは名前が挙がらなくなりましたね、アーサー・ヘイリー。
風間 「ミスター・ベストセラー」なんて呼ばれていたのにね。あの人が世に出たときにベストセラーというシステムができたといっても過言ではない。巨大化した出版界の流通や広告システムと関係していたんです。シドニー・シェルダンもね。煎じ詰めれば、ジャンル・ミックスは作家と企業が売れる要素を模索していった果ての語りの技法だった。ようするに、いろんな分野のオイシイところを寄せ集めた、お得感たっぷりの作品というわけです。
宮部 そうか、商業的にいわゆる「ブロックバスター」という言葉が使われるようになったのが60年代、70年代のアメリカなんですね。
風間 「ロックスター」などと同じく、「ベストセラー」も英語じゃなくて米語ですからね。その時期から、ビジネス・モデルとしてベストセラーを生み出すというのが始まりました。
宮部 それが、私が中学生で触れたキングやクーンツだったっていうことなんでしょうね。キングって最初からベストセラー作家だったんですか?
風間 はじめはペーパーバックの分野でベストセラーになった。三作目の『シャイニング』はハードカバーで出版されてもベストセラーになりました。『キャリー』が映画化されて売れていったんだと思う。そのデビュー作のハードカバーのセールスは三千部ぐらいだったけど、映画化にあわせたペーパーバックで三百万部ぐらいになった。まさにメディア・ミックス戦略の勝利です。
宮部 私、キングにはこんな思い出があって。子供の頃から映画が好きだったんですけど、その頃〈ロードショー〉〈スクリーン〉という二大洋画雑誌があって、あるときそのどっちだったかの裏表紙に、これから配給される映画のお知らせが出ていたんです。「東宝のパラサイコ・シリーズ」と書いてあって、そこに『キャリー』が出ていたんです。そこにはポスターもスチール写真もなくて、新潮社から出ていたキングの原作の書影が載っていたんですね。それで興味を持って本を買いに行ったんです。で、読んでみたら、「こんな小説あるのか!」って。新聞や雑誌や記録、インタビューを寄せ集めた構成で。もう「見てきたような嘘」なんですけど、本当に現実にあったものを引っ張ってきて合成したような、あれほど凝った小説を読んだのは初めてでした。
風間 じゃあ『吸血鬼ドラキュラ』(ブラム・ストーカー)を読んだのはその後?
宮部 そうですね。大人になってから読みました。
風間 『ドラキュラ』を読んでれば、その真似だってわかったのにね。というか、ゴシック小説の常套的な語り=騙(かた)りの技法です。
宮部 そうですね。そのときに歴史の流れを遡(さかのぼ)って読むことの大切さを知りました。
風間 『ドラキュラ』も遡ればウィルキー・コリンズの『白衣の女』の叙述を模倣している。でもやっぱり、ああいう新聞、雑誌記事、録音記録、日記、インタビューなどを寄せ集めて構成するという書き方は、今日的な意味としては、「断片を寄せ集める」という70年代のポスト・モダンの手法のひとつだと思います。
宮部 つまり、絶対的に観測する立場の、一人の人間の目から描写するのではなくて、一個の出来事が無数の視点から語られるという感じですね。
風間 相対的、複数の現実、統計的というのが時代の流れだったんです。量子力学的世界観から出てきたものですね。

●東京創元社以外のベスト作品
宮部 なので、キングの『呪われた町』とクーンツの『ファントム』は、これが一世を風靡したころを知らない若い人に読んでもらえたらと思って挙げました。
『呪われた町』は初刊のとき、〈集英社プレイボーイブックス〉で出たのを、高校生のときに、お小遣いつらかったんですけど自分で買って。家で読んでいて、はじめは静かな部屋で読んでいたんですけど、途中から一人でいるのが嫌になって(笑)。人の多い、家族でテレビを囲んでる、うるさいところに行って。「なんでこんなうるさいところで読んでるの?」って言われた(笑)。それぐらい怖かった。
風間 どこが怖かったんですか?
宮部 すべてが(笑)。ドラキュラ映画なんかをテレビで見ていて、燭台を交差させて十字架にして逆襲するとかね、本当に怖かったんですけど、そのとき以来でしたね、ヴァンパイアをあれほど恐いと思ったのは。もちろんすでに『キャリー』を読んでいたので、ものすごくわくわくして買ってきたんですけどね。「この人は絶対に怖くて面白い」って。でも、あたっちゃった、というか、しばらくはその世界から抜け出せなくなってしまいました。両親は共働きだったんですけど、思ってたと思いますよ、「大丈夫だろうか、この娘は」って(笑)。『エクソシスト』を読んでたときには、さすがに母に「あんた、そんなもんばかり読み過ぎてんじゃないの」って(笑)。
――そのほかの作品はどうですか。
宮部 角川文庫の『怪奇と幻想』で一番ショックだったのは、装幀です。辰巳四郎さんのイラスト。これはちょっとすごい装幀だと思います。でも買ったんですけど、高校生だった私も(笑)。これも「あんた何読んでるの」と母に心配されました(笑)。
風間 それはそうでしょうね。エロくてグロかったですから。
宮部 次に日本の作品として一つだけ、どうしても挙げたいと思ったのが、曽根圭介さんの「鼻」です。近年の短編では本当に傑作だと思います。この作品でホラー大賞特別賞を受賞したあと江戸川乱歩賞も受賞した、ホラー系ミステリ作家の新星、という方ですね。
風間 「鼻」は発想の逆転がみごとに功を奏した作品ですね。
宮部 すごく救われない話なんですけど、ある意味、復讐譚でもあるんですね。いま現在の状況の原因となった人を最後に排除する。要するに「世界なんて人間の脳内宇宙なんだ」ということを、かなり身も蓋もなく描いてるんだと思います。この作品もそうですけど、京極夏彦さんによって触発されたものが多いんじゃないでしょうか。「個人のアタマのなかに〈世界〉がある」ということを、小説の構造そのものを使ってくっきり描いているところが。
 それから、実は今週読んだんですが、『モンタギューおじさんの怖い話』は本当に傑作です。心が洗われる怖い話(笑)。理論社の児童書なんですけど、一話完結の連作短編集で、すごくよくできた怪談集なんですよ。「正調イギリス怪談健在なり」と思って。暗い話、それも子どもが出てくる怖い話ばかりなんです。最後に語り手のおじさん自身の種明かしがあって、おじさんがどうしてここまで怖い話を知っているのか、というのが明らかになります。最後に「あ、そうなんだ!」とわかる。
風間 その手のオチでうならされるタイプの作品は、僕もすごく好きです。
宮部 一作一作についている挿絵がこれまた良くて。私最近腰痛がひどいんですけど、腰が痛くて横になって読んでいても、腰の痛みを忘れるほどの面白さがあります(笑)。
風間 僕がキングの『シャイニング』を選んだのは、まあ当然の選択というか、宮部さんに先に『呪われた町』を挙げられちゃったから(笑)、じゃあ僕は『シャイニング』だ、というだけのことです。個人的な思い出で言えば、結婚して一軒家を購入し、妻が実家に帰ったときに夜一人で読んでいて、ものすごく怖くなった。カバーが冷や汗でふやけてしまったほどです。初めての体験だった。最後の父親との対決シーンでは、「そこまでやるか!」という驚きがありましたね。
宮部 ああ、ラストは怖いですね。
風間 あと、『血の本』は、日本版が出たときは本当にショッキングでした。
宮部 大ショック! 何か、ニューウェイヴの黒船という感じでした(笑)。
風間 実は僕が早川書房の編集者時代に〈モダンホラー・セレクション〉を始めたのが87年なんですが、『血の本』が出たの86年。本来なら〈セレクション〉に入れるべく版権を取っていなきゃいけない作品でした。
宮部 なんで集英社文庫から出たんだろう、と思ってました。
風間 短編集は売れないといった先入観によって、これを見逃したのは編集者として悔しかったです。ちなみに、ハヤカワFTも僕の担当だったのですが、創元に《ゴーメンガースト》三部作を出されたときも血の涙を流しました(笑)。
宮部 クライヴ・バーカーはこの作品でいきなり出てきたひとなんですか?
風間 そうです。新人でいきなり短編集六冊でデビューというのがスゴイ。個人でこれだけいろいろなタイプのものが書けて、どれもレベルが高いというのも驚きでした。
宮部 でも『血の本』って六冊全部読みきった記憶がないんですよ。たしか三冊目ぐらいでバテてしまって。あの装幀が微妙だったんですよ(笑)。これはないでしょ、っていう。
風間 わかります(笑)。内容もけっこうエログロ悪趣味路線、英国伝統のナスティ・ホラーの作品が収録されています。ほかにお下劣路線の代表選手が、アメリカの作家ですけど、ジャック・ケッチャム。この作家の鬼畜ぶりは最高です。それとリチャード・レイモンとか挙げたかったんですが。『殺戮の〈野獣館〉』とか。
宮部 私ね、『殺戮の〈野獣館〉』はまだ笑えたんです。でもケッチャムの『隣の家の少女』は笑えません。一読して嫌になっちゃった。表紙を見るだけで嫌な気分になってしまう(笑)。でも忘れられないんです。ラストまでしっかり憶えてます。でもキングが激賞してる作品なんですよね……。
風間 『隣の家の少女』は暗黒版『スタンド・バイ・ミー』みたいな話ですからね。映画化されているのに、さすがに日本では未公開ですね(編集部註:その後2010年3月に日本でも公開され、9月にはDVDが発売された)。
宮部 女性読者には耐えがたいですよ。ここまで人間の暗黒面を描けるというのはすごいと思いますけど。アンリアルではないアメリカの暗黒面をしっかり描いている。ケッチャムはすごい作家だと思うんですが、もうこれ以外読んでいないです。名前を見るだけでもう嫌(笑)。
風間 そこまで嫌われたら、鬼畜ホラー作家の本望です(笑)。本人にしてみれば、もっと売れてほしいでしょうけど(笑)。
宮部 風間さんの挙げられた『フリッカー、あるいは映画の魔』は読んでいないんですが、これはどんな感じの本なんですか?
風間 これはポスト・モダンホラーと言ってもいいかな、『ダ・ヴィンチ・コード』(ダン・ブラウン)と『薔薇の名前』(ウンベルト・エーコ)とをハイブリッドしたような、映画史にまつわるオカルト話です。
宮部 それは読まなきゃ。これは出たときに絶賛する人と全然わからないと言う人とまっぷたつに分かれていたので、手を出してないんですよ。
風間 知的スノッブ向けの一冊ですね。純粋なエンターテイメントとして読みきるのはつらいかもしれないけれど、ローレンス・ノーフォークの『ジョン・ランプリエールの辞書』とかロバート・アーウィンの『アラビアン・ナイトメア』、あるいはそれらよりもうすこし娯楽よりのキャサリン・ネヴィルの『8(エイト)』などを読みふけったことのある人ならはまると思います。



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