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 なんて素晴らしい作品なんだろう。秘められた顔が明らかになるたびに新たに生まれる謎が牽引力(けんいんりょく)となり、心身のどこかに癒されぬ傷を負った独創的な登場人物に対する共感が推進力となって、あっという間に物語世界に引きずり込まれ、時の経つのを忘れて読み耽(ふけ)ってしまう。
 本書『愛おしい骨』は、ミステリであることによって豊饒な小説と成りえた稀有(けう)な逸品だ。弟の死の真相を究明するために兄は町の人々を訪ね歩く。〈眠れる殺人(スリーピング・マーダー)〉を巡る探索――それは即ち、過去へと遡行(そこう)する旅だ。二十年前に起きた悲劇に関して、時を遡(さかのぼ)ってもう一度すべてを振り返り、いつ火種が発生し、どんなふうに導火線が燃えていき、どことどこで爆発が起きたのかをたどり直して、帰還不能点(ポイント・オブ・ノー・リターン)を見出し、“あの日”何が起きたのかを明らかにする。カメラに熱中し、天才的な手腕で秘密を明かす一瞬をとらえた写真を撮り続けてきた無邪気な天使のようなジョシュアの身に、一体何が起きたのか?
 この“旅”の過程でオーレンが巡り会う人は皆、彼の問いかけに応じることで自らの現状を再認識すると同時に、来し方行く末についてもいやおうなく思いを致す羽目になる。それはとても辛い行為だ。なぜなら彼らは皆、狂わされた人生を生きてきたという強い想いを抱いているのだから。
 幼女の頃から寄宿学校に入れられ、母親に捨てられたという思いを抱き続けてきた鳥類学者。アルコールに溺(おぼ)れ塔の部屋に半ば軟禁されている、その美しき母親。憧れ続けてきた警察官としてのキャリアをスタートした直後に、すべてを奪い取られ障害者として大邸宅で隠居する、かつての天才児。文壇の昇りゆく星であったはずが芽が出ず、今やゴシップライターとして成功してしまった元小説家。一人の息子が消えてしまったために、もう一人の息子とも疎遠になってしまった父親、等々。
 普段、堅く封印して心の片隅に追いやり目をそらしてきたパンドラの箱を開けさせられてしまった彼らの脳裏には、悔恨、郷愁、嫉妬、怨嗟(えんさ)、殺意といった負の感情が渦巻き、出口を求めて暴れ始める。最終的に、ある者はそれを昇華し新たな一歩を踏み出し、ある者はその渦に呑みこまれ更なる悲劇を引き起こし、またある者は再生の道半ばにして斃(たお)れゆく。
 無論、オーレンとて例外ではない。弟ジョシュアと二人で森に行った“あの日”、兄弟の間でどんなやりとりがあったのか? なぜ夜更けに一人だけで帰宅したのか? 事件直後にニューメキシコの寄宿学校に入れられ、卒業後陸軍に入隊。以後、一度も故郷の地を踏むことのなかったオーレンは、真相究明の一番の鍵となる事実に関して、過去二十年間一切語らずに通してきた。そして今、かつて頭のイカれた老神父から「おまえは町を罰するため神に遣わされた大天使だ」と宣言されたオーレンは、奇しくもコヴェントリーの町に“最後の審判”をもたらすことになる。深い罪悪感を抱えて帰郷した天使は、自らもまた裁かれることを望みながら贖罪を求めてさまよい歩く。

 ただし、オーレンの“旅”は決して、孤独なものでも心すさぶものでもない。なぜなら、その傍らには常にハンナ・ライスが控えているのだから。この小柄な家政婦はオーレンの守護天使だ。母の葬儀の日にどこからともなく現れ、まるで家の主のように玄関ポーチに立って、式から帰ってきた人たちをもてなして以来、すんなりと家族の一員となった小妖精(ピクシー)。
 ホッブズ家の人びとに限りない愛情を注ぎ、兄弟を育てた彼女は、六十歳近くなった今尚、〈ジャック・ダニエルズ〉と無免許運転と賭けビリヤードに熱中する、懐の深い愛すべきパワフルな老女なのだ。心から愛するハンナがいる限り、どれだけ辛く厳しい“旅”であってもオーレンが道をあやまることはない。
 そう、ポイントは“愛”だ。
 父と息子、母と娘、妻と夫、女と男。この作品には、様々な形の愛が描かれている。身を捧げてつくす者、すべてを支配しようとする者、不器用ゆえ傷つけてしまう者、崇拝の念を持って接する者、深い懐に包み込む者、そして穏やかに見守る者。コヴェントリーの町の誰もが愛ゆえに悩み苦しんでいる。
「人は愛する者のために、どれだけのことができるのか」という問いは、突き詰めていけば「愛する者のために、自分のすべてを犠牲にできるのか」という問題に行きつく。この究極の問いに対してオーレンを始めとする町の人々は各々結論を出し、自らの信念に従って行動してゆく。選んだ答えの正邪にかかわらず、その姿からは一種崇高な使命感すら感じられる。それゆえに、辛くやるせない内容にもかかわらず、後味の良いどこか爽(さわ)やかな読後感を与えてくれるのだ。


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 本書『愛おしい骨』は、本質的には〈狂おしいまでの愛の物語〉である。ただし、細部に至るまで手取り足取り描かれた、安易に共感できる分かりやすいラブストーリーというわけではない。白か黒かといった単純かつ明朗な愛になど、作者は興味がないのだ。真意はぼかされ、想いはそれとなく記される。
 そこに謎が生まれる。「人の心こそが最大のミステリ」というフレーズは、あまりに口当たりがよい常套句(じょうとうく)ではあるけれども、それゆえに真理を突いている。第一級のミステリ作家であるキャロル・オコンネルは、明記を避け省略し示唆することで人の心のうちから巧みに謎を彫刻し、それらを最も効果的に組み合わせ提示することで、犯人(Who)やトリック(How)よりも動機(Why)を第一義とした、熱き血の通う複雑にして精緻(せいち)なサスペンスを紡ぎ出したのだ。
 だからといって謎解きミステリとしての面白さがないがしろにされている訳ではない。合衆国陸軍犯罪捜査部のエースだったオーレンの手腕は、物語中で遺憾(いかん)なく発揮され、読者は推理の妙味――例えば、元警察官が障害を負い引退する羽目になった事件の真相を解明するシーン――を堪能することだろう。その上、中盤以降、明らかに「刑事コロンボ」を意識したと思われるキャラクターが登場して、物語に緊迫感を与えてくれるのだからたまらない。ちなみに、このキャラクターはコヴェントリーとはまったく縁のない人物。こうしたキャラを投入して、完全なる〈閉ざされた世界〉での物語に風穴を開け、閉塞感をぬぐい去り、一歩間違えば自警団的な展開になりかねない設定を巧みに軌道修正するあたり、一筋縄ではいかないキャロル・オコンネルの本領発揮といえよう。
 繰り返しになるけれども、およそ〈物語〉が好きな人であるならば、この本を読まないという選択肢はないのだ


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 最後に、作者キャロル・オコンネルについて簡単に触れてこの解説を締めくくりたい。1947年、ニューヨーク州で生まれた彼女は、ニューイングランドの諸州やニュージャージー州で育った後、カリフォルニア芸術大学とアリゾナ州立大学に学び、美術の学位を取得。卒業後ニューヨークに戻り、グリニッチ・ビレッジのアパートで自作絵画を売ったり、フリーランスで校正や編集を請け負ったりして生計を立てる一方、小説を執筆しニューヨークの出版社に送るも出版を断られ続ける。
 四十六歳の時に、処女作『氷の天使』(1994)を、愛読するルース・レンデルの版元であるイギリスのハッチンソン社に送付。見事採用されたばかりか、主人公であるニューヨーク市警刑事キャシー・マロリーを再起用したシリーズ第二作を書いて欲しいというオファーまで取り付ける。フランクフルト・ブックフェアでヨーロッパ各国の出版社が版権を獲得、母国アメリカの出版社としては、これまで彼女の作品をボツにしてきたパットナム社が八十万ドルで競り落とすという何とも皮肉な展開となった。
 元ストリート・チルドレンにして盗みの天才、「殺人は最高のゲーム」と言い切り、コンピューターを駆使して犯罪者を追いつめていく“氷の天使”こと、キャシー・マロリーが、マンハッタンで白昼堂々と行われる連続老女殺害事件の謎を追う、謎解きの興趣(こうしゅ)に溢れたこのデビュー作は、アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀処女長篇賞の候補作となり、一躍キャロル・オコンネルは注目を集める。
 以後、上流階級が集うマンハッタンの高級コンドミニアムを舞台にした第二作『アマンダの影』(1995)、ニューヨークの美術界を舞台に、十二年前の二重惨殺事件の謎と現代のアーティスト殺しの謎を追う第三作『死のオブジェ』(1996)を経て、ストリート・チルドレンになる以前のマロリーの過去が明らかになるシリーズ最高傑作の『天使の帰郷』(1997)を発表。第一作以来、シリーズの背景に見え隠れしてきたマロリーの母親の死の謎に決着をつけた後、いったんシリーズから離れ、冒頭で述べた『クリスマスに少女は還る』を刊行。
 その後、1940年代のナチス占領下のパリと現代のニューヨークを舞台に、マジックの上演中の殺人を描いた第五作『魔術師の夜』、ストリート・チルドレン時代のマロリーと関係のあった娼婦が襲われたCrime School(2002)、マロリーの相棒であり亡き養父の親友でもあった刑事ライカーの再生譚Dead Famous(2003)、名門ウィンター家を舞台に、半世紀以上前と現在との二つの殺人事件の謎を追う本格ミステリWinter House(2004)、〈ルート66〉沿いに発生する連続殺人と父親を巡るマロリーの旅とが交錯するFind Me(2006)と、現在までに九作品を発表。このシリーズの成功により、キャロル・オコンネルは一躍ベストセラー作家となった。
 そして、第九作目で再度シリーズに区切りをつけた彼女は、本書『愛おしい骨』(2008)を上梓する。ちなみに現在は、《マロリー・シリーズ》の十作目を執筆中とのこと。こうして見ると、シリーズに区切りがつく毎に、ノン・シリーズ作品を書いてきているので、次回、独立作に出会えるのは当分先かと思われる。
 ここは、本書で一人でも多くの小説好きの方がキャロル・オコンネルの魅力に目覚め、他の著作にも手を伸ばし、その結果マロリー・シリーズの翻訳が再開することを祈りつつ筆を措くこととしたい。

(2010年9月)

川出正樹(かわで・まさき)
書評家。著書に『ミステリ・ベスト201』『ミステリ絶対名作201』『ミステリ・ベスト201 日本篇』(すべて共著、新書館)がある。