アンドレアス・グルーバー来日記念対談
アンドレアス・グルーバー×朝松健×植草昌実(通訳:酒寄進一)

◆ラヴクラフトの描く恐怖
朝松健(以下朝松) 『夏を殺す少女』の解説で、デビュー作はラヴクラフト風のクトゥルー神話だとありました。オーストリアには、クトゥルー神話が受け入れられる土壌があるのでしょうか。
アンドレアス・グルーバー(以下A・G) オーストリアでクトゥルー神話を書いているのは、わたし一人です。
朝松 ちょっと前の日本と、ほぼおんなじ状況ですね(笑)。
A・G ただ“ドイツ語圏”でくくると、ドイツ全体では何人かいます。それから、〈ペガサス〉という会社からクトゥルーのロールプレイング・ボードゲームが出ていて、それは人気がありますね。アメリカ製のボードゲームもあれば、自社独自に出しているものもあり、いくつかあります。
植草昌実(以下植草) それも日本と同じですね。日本の歴史にあわせた、クトゥルー神話を題材にしたゲームがいくつも出ています。
A・G 非常に興味深いのは、ペガサス社の社長の本業というのが、実はベルリンで働く検事なんです(笑)。
酒寄進一(以下酒寄) 現実と脳内世界のギャップが凄いですね(笑)。
朝松 日本でいうと、裁判官が『家畜人ヤプー』のファンだったくらいの衝撃ですね(笑)。
グルーバー氏/朝松健氏
朝松健氏とアンドレアス・グルーバー氏
A・G その社長は、わたしが処女長編『ユダの筺(Der Judas-Schrein)』を書いた際のブレーンなんです。クトゥルー関係の様々なアイデアを提供してくれました。
朝松 グルーバーさんが初めてクトゥルー関係の書籍を読んだのはおいくつですか?
A・G 小さい頃はスティーヴン・キングとディーン・R・クーンツが特に好きで読んでいたんです。18歳の時にキングの短編にラヴクラフトが出てきて興味を覚えたのがきっかけです。
朝松 ラヴクラフトのどのような点に惹かれたのですか?
A・G 恐怖感の煽り方。キングやクーンツともまた異質なところが、とても気に入っている点です。わたしの印象としては、キングやクーンツですと、いわゆるモンスターがちゃんと描写され、そしてそのモンスターが実際に人間に噛みついたりする、そういうショッキングな場面を描きます。しかし、ラヴクラフトはあまり衝撃的なシーンを鮮明に描かない。逆に一部分だけを見せて、強烈な印象で恐怖感を煽る。そのギャップを評価しています。
 作品名をちょっと思い出せないのですが、地下室に怪物がいるんです。その怪物とは何者かを描写するのではなく、その怪物と出会った人間の耳や鼻からどんどん血が流れ出す光景を描いていくんです。で、その血が流れる描写で恐怖感を煽っている点に魅力を感じています。
酒寄 何の作品でしょうね?
A・G その手のシチュエーションはラヴクラフトだと色々な作品に出て来るので、特定できないです(笑)。
朝松 The Case of Charles Dexter Ward(創元版のタイトル「チャールズ・ウォードの奇怪な事件」)?
A・G 「敷居の上の」……?
朝松 ドアステップ?
A・G そう、「戸口にあらわれたもの」
朝松 あれのクライマックスは大変な恐怖感ですね。
A・G そういう点を自分の作品に生かせるように学んでいます。例えば『ユダの筺』といった長編や、ホラー系の短編でも、恐怖の実体を書くより、シチュエーションでの恐怖感が見えてくるような描き方をしています。
朝松 そういう点は映画監督のフリッツ・ラング的ですよね。じかに物を見せず、影や暗示で煽る。
A・G 例えば映画の『エイリアン』でも、最初に音を聞かせることで恐怖感を煽っています。ただ、あの映画では最後にエイリアンの全身を見せてしまい、想像力を台無しにしているのが残念ですが(笑)。
朝松 『エイリアン』の脚本家、ダン・オバノンも同じことを言っていますね(笑)。

◆ドイツ語圏のホラー
朝松健氏
朝松健氏
朝松 我々はドイツ語圏のホラー作家を、一昔前のグスタフ・マイリンクやハンス・ハインツ・エーヴェルスくらいしか知らないんです。なので、もっと現代ドイツ語圏のホラー作家の作品を読みたいと思っています。
A・G 残念ながら、ドイツではホラー小説は未だに出版部数が非常に少なくて、なかなかニーズがないんです。エルフやオークが出てくるようなファンタジーと比べると雲泥の差ですね。出版社自体が小さく、出版部数も初版300~400部止まりという実態です。
朝松 日本では、ドイツ・ロマン派は売れるんですよ。〈ドイツ・ロマン派全集〉全15巻を国書刊行会で出しましたら、破格の売れ行きでしたね。
A・G カフカは有名でしょうか?
朝松 カフカはもちろん有名です。〈カフカ全集〉は色々なバージョンが出ています。
A・G 心理的な恐怖感があるタイプの作家で、やはりカフカはドイツの作家の代表格です。
朝松 知り合いのドイツ文学者の先生から、「ドイツのホラーには“Das Grauen”という概念がある」と聞いたのですが、どういうものでしょうか?
A・G ホラーの上位概念として、よくそれを使います。
朝松 わたしはこの単語は日本で言う「妖気」に近いニュアンスじゃないかと思います(笑)。ホリブルな“アトモスフィア”。
A・G 幽霊屋敷や悪夢といった、感覚的に怖いものや異様なものを表現する時に、この言葉を使用します。

◆『黒衣伝説』のこと
A・G ところで、朝松さんの著作を何作か教えていただいたのですが、特に『黒衣伝説』に惹かれました! ぜひ詳細を教えていただきたいです。
朝松 以前、わたしはオカルト雑誌で“メン・イン・ブラック”について追っかけました。色々と調べたら、奇妙なことがいっぱい出てきたんです。彼らは、魔術や宇宙人、ヨガ、新興宗教の話に必ず登場します。ドイツにカール・ゲルマーという魔術師がいるのですが、彼がナチスのオカルト・パージ(オカルト弾圧)で捕まって独房に入れられている時にも、ブラック・メンが現われたという話があります。それからイギリスですと、神智学の祖といわれるマダム・ブラバツキーがケンジントン公園で彼らと遭遇したという話もあります。
『黒衣伝説』では、そういう情報を世界中から集めてきて、あたかも全ての事件が繋がってるかのように描いてます。で、それを研究している人間の頭がだんだんおかしくなっていく。そしてその男が遺した原稿をわたしがまとめて書き直す、という構成をとっています。
A・G 映画の『メン・イン・ブラック』がすごく好きなので、『黒衣伝説』はそれを連想しました。
朝松 『黒衣伝説』が先なんですよ(笑)。ラヴクラフトをやっていると、だんだん現実と虚構の世界は紙一重という感覚になるんですよ。一歩踏み込むと狂気の世界へ、というところがありますので気をつけないといけませんね。

◆ホラー短編を発表するステージ
酒寄進一氏
酒寄進一氏
朝松 グルーバーさんはこれからもミステリを書いていく予定ですか?
A・G 長編小説はミステリ・サスペンス・スリラー系のものを中心に書きます。短編も同時に書いていき、こちらは幻想文学、特にダークファンタジーやホラーにあたるジャンルを書いていく予定です。
朝松 短編はぜひ、〈ナイトランド〉に紹介させていただきたいです(笑)。
A・G なぜホラーやダークファンタジーは短編小説かと言うと、ホラーに関するアイデアが無尽蔵にあって、ひとつひとつ長編で書こうとすると間に合わないんです。
朝松 素晴らしいですね! 羨ましいです。日本のクトゥルーファンたちは、グルーバーさんの処女作に強い興味を持っているんです。日本にグルーバーさんのクトゥルー神話を紹介したい。そのために、わたしもお力になりたいと思います。
A・G もちろん日本で紹介されれば嬉しいです。
朝松 何よりまず、予算のある大手の出版社をだまくらかしてやらないと(笑)。日本は最近、いまいち翻訳出版に元気がないので。
A・G ちょうど朝松さんが日本を舞台にしてクトゥルー神話を展開しているのと同じように、わたしはオーストリア、特に『ユダの筺』ではオーストリアの寒村を舞台にして展開する手法をとっています。
朝松 素晴らしいですね。やはり自分たちの地元が出てこないと。残念ながら、わたしは、まだオーストリアのイメージは、ウィーンか『幻影師アイゼンハイム』という映画くらいなんです。その映画原作はアメリカ人なので、アメリカ人の書いたオーストリアではなく、やはりオーストリア人の描いたオーストリアが見たいと思っています。
植草 ところで、キングやクーンツ以外で好きなホラー作家は?
A・G リチャード・レイモン、J・R・ランズデール、デイヴィッド・マレル、ショーン・ハトスンなどです。
植草 ハトスンは日本でも20年ほど前に盛んに翻訳されました。マレルは映画『ランボー』の原作者として有名ですが、長編は『トーテム』ですね。日本では、ホラーの短編集は2冊ほど翻訳されています。あとは傑作短編の「リオ・グランデ・ゴシック」
A・G 「リオ」は素晴らしい作品ですよね。そのマレル氏がインタビューで語っているのですが、「長編を書いた後は短編を書き、その後はまた長編を書く」という繰り返すスタイルらしいです。わたしも同様のスタイルをとっています。
朝松 日本では長編じゃないと食えないので、長編ばかり書いていますね。
A・G ドイツやオーストリアでも同様です。やはり短編を読んで下さる読者はとても少ない。
朝松 なので、なるたけ〈ナイトランド〉は短編を紹介するステージとして活躍したいと思っているんですよ。
 あと、これは東京創元社で出した『秘神界』という本の英訳で、日本の一線級のホラー作家を集めたクトゥルー神話アンソロジーです。日本版が画期的と話題になったので、これで世界版を作りたいと思っています。今、アメリカ、イギリス、イタリア、フランス、ベルギー、デンマークの作家に声をかけているんですけど、とにかくスポンサーが見つからないんです。スポンサーさえ見つかれば、グルーバーさんにもぜひお願いしたいです。
A・G 選んでいただく機会があれば名誉です。『秘神界』が英訳されたおかげで、日本の作家の短編が読めるのがとても楽しみです。
朝松 英訳版で全四巻ありますので、ぜひ読んでいただきたいと思います。
A・G 朝松さんが全て選書されているのですか?
朝松 はい。全部作家に声を掛けて作品を集めました。本当は村上春樹さんにも作品依頼をしたかったのですが、依頼まで辿り着けなかったんです。村上さんご本人はクトゥルー神話の大ファンと知っているんですよ。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に「やみくろ」という生き物が出てきているのですが、あれは『地の底深く』というクトゥルー神話に出てくる食屍鬼と同じ奴ですね。彼は「やみくろ」を現代社会の悪意の象徴として描いている。
A・G ぜひ5巻目で、村上さんにトライして下さい(笑)。

◆ミステリとホラーのクロスオーバー
朝松 今、ドイツにはミステリ専門誌はありますか?
A・G 残念ながらありません。その代わりミステリ作家たちのサークルがあって、そこが年に一度、イヤーブックを出しています。そのサークルに参加している作家が、全部で800人くらい。
朝松 凄いですね!
A・G あとは月刊で〈スペースビュー〉という雑誌がありまして、扱うのはSFとホラーとファンタジー。他にはファンが独自に発行しているファンマガジンがありまして、部数は50~150部くらいの規模です。
植草 短編は、そういった雑誌に発表しているのですか?
A・G やはり始めは、ファンマガジンで発表してきました。1997年ぐらいからです。その後、出版社が発刊するアンソロジーで、SF、ホラー、ミステリー作品を発表しています。短編は総数で120本くらいあります。
朝松 おお! わたしが把握しているのは50本程でしたので、びっくりしています。
A・G そのほとんどがアンソロジーで発表し、4年おきくらいに短編集を出しています。ドイツの作家はホラー、SF、ミステリと個別に専門化している作家が多いのですが、わたしはSFとホラー、ホラーとミステリというように、クロスオーバーさせていくのが好きなんです。そういうスタイルの日本人作家はいらっしゃいますか?
朝松 もちろんいます。わたしもそうです(笑)。わたしはホラーと時代小説です。
A・G 『崑央の女王』 でハイテクと古代史の重なりを伺ったので、その匂いを感じていました(笑)。
朝松 ありがとうございます(笑)。他にも多くいらっしゃいますよ。
A・G ドイツでは大手出版社がクロスオーバーにリスクを感じていて、挑戦してくれない。それで小出版社から出すケースが非常に多いです。ただ、クロスオーバー作品にに非常に関心を持っている読者は必ずいるはずだと思っています。
朝松 ただ、イタリアやフランスの友達に聞いても、やはり全体的にホラーはそれくらい低部数ですね。アメリカは壊滅寸前です。それどころか、今アメリカでは本がまったく売れない。アリゾナ州で州最後の本屋が潰れるか否かの瀬戸際で、州知事が「頼むから潰さないでくれ」と頼むくらいなんです。
A・G クーンツの初期作は、SFとホラーが重なった作品がありましたが、今はミステリの比重が多いですね。
酒寄氏、朝松氏、グルーバー夫妻
酒寄氏、朝松氏、グルーバー夫妻
朝松 ミステリは読者が多いから、そのぶんアピールしやすいんですよ。ホラー風のミステリでも、ミステリ読者は食いついてくれますので。
A・G わたしの新作ミステリTodesfriest(創元推理文庫で刊行予定)では、要所要所にホラー的な要素を盛り込んでいます。
朝松 ホラー系の作家の方が、サスペンスの盛り上げ方が上手いですからね。さて、グルーバーさんとラヴクラフトやホラーの話ができて光栄でした。本日はありがとうございました。

(2013年3月29日 日本ユニ・エージェンシー会議室にて)

出席者プロフィール
アンドレアス・グルーバー(Andreas Gruber)
オーストリアの作家。1968年ウィーン生まれ。幻想小説、ホラー小説、ミステリが専門で短篇の名手として知られている。 邦訳にミステリ『夏を殺す少女』(創元推理文庫)。
朝松健(あさまつ・けん)
作家、〈ナイトランド〉スタッフ。1956年北海道生まれ。〈逆宇宙シリーズ 〉〈一休シリーズ〉など多数のシリーズの他、著作に『完本 黒衣伝説』『暁けの蛍』など、監訳書にカーター『クトゥルー神話全書』(竹岡啓訳)がある。
植草昌実(うえくさ・まさみ)
英米文学翻訳家、〈ナイトランド〉スタッフ。主な訳書にコリア『予期せぬ結末1 ミッドナイト・ブルー』(共訳)、サタスウェイト『名探偵登場』など。
酒寄進一(さかより・しんいち)
ドイツ文学翻訳家、和光大学教授。1958年生まれ。主な訳書にイーザウ〈ネシャン・サーガ〉シリーズ、フォン・シーラッハ『犯罪』『罪悪』『コリーニ事件』、グルーバー『夏を殺す少女』他多数。

(2013年5月10日)



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