さて、では、初期のコンテスト受賞作を実際に読んでみましょう。前回、第1席作品を集めた『黄金の13/現代篇』を、名だたる粒ぞろいと書きましたが、本当を言うと、前半はそれほどでもありません。
 第1回コンテストの第1席、マンリイ・ウェイド・ウェルマンの「戦士の星」は、インディアン居住区の原住民管理局警察部に、主人公のデイビッド・リターンが赴任するところから始まります。居住区で起きたコミュニティ内の殺人事件を、デイビッドが解決するのです。20年以上のちに『死者の舞踏場』でMWA賞を獲るトニー・ヒラーマンの先駆と言えますが、クイーンの評価の眼目は、生きた人間としてのインディアンを、名探偵と犯人として描いた、その部分でしょう。それが証拠に、推理と解決はそれほど魅力のあるものではなくて、むしろ、解決ののちに犯人が呟く動機の部分が印象に残ります。題材の目新しさ奇抜さが狙いの作品と見せて、案外、地味な渋い作品に、第1回コンテストの第1席を与えているのです。とはいえ、現在の眼で見て、この作品が第1席というのは、さすがに物足りないものがある。ふり返って、題材そのものが現実に追い越されやすかった(しかも、追い越されるとはとても思えなかった)と言えばそれまでですが。
 第1回のコンテストにはヘレン・マクロイの「燕京綺譚」の名前も見えます。当時から見ても半世紀前の北京(という呼び方を、正確にはしないのですが)を舞台にして、英米露仏日の外交官たちが入り乱れる、エキゾティズムあふれる短編です。この作品は考証の確かさが、作者、訳者ともに翻訳時に評判になって、のちに世界ミステリ全集の『37の短篇』に採られたときも、そこが評価されていました。これ以降、ヘレン・マクロイは、「歌うダイヤモンド」「鏡もて見るごとく」「カーテンの向こう側」と、心理的なアイデアを持ち込んだ作品で、コンテストの常連となります。マクロイは短編集『歌うダイアモンド』の邦訳も出ていますから、近日中に、あらためて、まとめて読むことにしましょう。
 コンテストの常連といえば、Q・パトリックもそうです。「十一才の証言」は、題名通り、11歳の少女の一人称で、身持ちの悪い母親をめぐる殺人事件の顛末を物語るのですが、いまとなっては、さすがに結末は読めてしまいます。翌年の「ルウシイの初恋」にしても、その点はあまり変わりません。ただし「ルウシイの初恋」は、意外な結末というよりも、明らかな結末に向かって不可避に事態が進行していく面白さなので、手の内が見えても構わないとも言えます。フィリップ・マクドナルドの「殺意の家」は、以前読みかえしていますが、やはり、古びているように思いました。第4席(!)には、新人ケネス・ミラーの名も見えます。トリッキイな犯行が出てくるディテクションの小説で、探偵の名はロジャーズ(のちにアーチャーに書き替えられます)でした。目立った欠点もないかわりに、特に言及しておきたくなるような魅力もありませんが、犯人像や自然描写に手をかけているといった部分に、後年のロス・マクドナルドを思わせるものがあります。
 こうして見てくると、不満の残る作品ばかりのように見えますし、実際、そういう気持ちが私にはなくもない。少し物足りなかった「戦士の星」の第1席は、結局妥当だったのではないかと、考えているくらいです。けれど、これらの作品に対する不満は、おおむね、それ以後の短編ミステリが格段の進歩をしたために生じたものでした。しかも、第2席、第3席というのは、ありていに言えば、毎月のEQMMを埋めるに足る出来であれば、良しとしている(それでも、そのレベルは、既成作家の作品の場合、案外高いと私は思います。処女作について少し甘いのは、クイーンの癖です)ように、私には思えます。なにより、このころのクイーンが重きを置いたのは、小説としての面白さを持ったミステリ、小説として面白く読めるミステリでした。Q・パトリックの「ルウシイの初恋」につけた長い解説を読むと、そのことがよく分かります。そこでクイーンは、ミステリをふたつのタイプ――プロットを重視するタイプと、性格描写や雰囲気や背景に重きをおくタイプ――に分けた上で「この10年間の探偵文壇における注目すべき傾向は、このふたつのグループの作家たちが、意識的に接近してきたことである」としています。当の「ルウシイの初恋」は後者のタイプであり、その魅力を如何なく発揮していると力説しているのです。
 この解説を典型例として、このころのクイーンの発言に、多分に戦略的なものを、私は感じていますし、それはコンテストのセレクションにも表われていると思うのです。性格描写、文章、登場人物の心理といった、それまでミステリの弱点と考えられていたものを、克服することが急務と考えたのでしょう。プロットや趣向をなおざりにしたとは言いませんが、弱点の克服を第一にした。しかも、プロットやアイデアの重視というとき、それはプロットやアイデアの奇抜さの重視とほぼ同義でした。奇抜さは常に不自然さと隣り合わせであり、往々にして易きにつくことがあったのは否めないでしょう。たとえばヘレン・マクロイの「歌うダイヤモンド」は、奇抜なことこの上ないミッシング・リンク・テーマですが、犯行の不自然さをなくすために、いかにマクロイが心をくだいているか(にもかかわらず、いささかの無理が残るところに、このテーマの難しさがあります)。そこを見なければ、ミステリの進歩はなかったはずです。
 そんなクイーンの行き方に、敏感に反応したのが、マイケル・イネスだと考えます。第1回コンテストに「解剖学教室」という、不可能興味はあっても、解決の苦しさもあらわな作品を投じたイネスは、第3席を占めましたが、翌年、すぐさま修正してきます。自らの手の内であるシェイクスピア劇の世界を舞台にして、俳優の心理の機微を生かした「ハンカチーフの悲劇」を投じたのです。ついでに書いておくと、マクロイ同様、イネスもコンテストに応じた「解剖学教室」が、初短編だったようです。
 もちろん、そうした行き方が実を結ぶばかりではありません。たとえば、第2回コンテストの第1席作品、H・F・ハード「名探偵、合衆国大統領」のように、時の重みに耐えないどころか、当時のレベルで考えてすら、第1席に相当するとは思えないような例もあります(もっとも、アメリカの正義感が、半世紀以上経っても、このころのままだということを示しているという価値は、あるのかもしれませんが)。しかし、クイーンがコンテストを通じてEQMMで示した方針は、そのようなものでした。

 そして、いろいろな意味で論じる必要の多い、第3回コンテストを迎えます。
 まず、第1席のアルフレッド・セグレ「裁きに数字なし」が、異様な作品です。他の第1席作品が、おおむね日本語版EQMMに翻訳されている(例外は、このセグレとシムノン)のに対して、この作品の初訳は、ミステリマガジン1972年9月号です。翻訳されるのに四半世紀かかったことになります。この作家の名を他に聞くことがありませんし、この作品自体、他で言及されることが滅多にありません。
 舞台は、第二次大戦末期の敗色濃厚なイタリアの田舎です。発表当時の感覚では、つい数年前とも言えます。主人公のバスティアは、オウムを相棒に、手回しオルガンを鳴らしながら、カバラの数字を本当に働かせる組み合わせと称して、幸運な数字を教えることで、小銭や食料を得て――場合によってはブドウ酒を半値にしてもらって――います。ある日、彼は、藪の中に首なし死体を見つけます。まっとうな人間あつかいはされてそうにない主人公なので、しかるべき筋に届け出ないのは、のみこめるのですが、殺人事件を知っているのは自分ひとりだと気づいた彼は、事件にぴったり合う数字の組み合わせは何かと、考え始めるのです。貧しいにちがいない敗戦直前の村人たちは、富くじ(ナンバーズみたいなものらしい)の正しい数の組み合わせを知ることに熱中しています。神秘的な数の組み合わせを知ることが知恵である世界で、何者とも分からない首なし死体に遭遇した、あまり信頼できそうにないカバラ使いとオウムのコンビを、説明なしの描写一本で描いていく。個性的で魅力的な雰囲気と主人公という点では、これ以上のものは、そうお目にかかれません。結末で明かされる真相も、面白いものです。ただし、それは明かされる事態の面白さではあっても、そこに到る推理の面白さには欠けています。そして、数合わせの神秘と事件の解決が、結局は無関係に終わるので、小説世界の異様な雰囲気が単なる雰囲気づくりに終わっていることは否めません。
「裁きに数字なし」は、結果として失敗に終わっているのでしょうが、野心的で魅力的な試みの短編ミステリでした。そして、ほかならぬその作品に第1席は与えられたのです。同じ失敗作でも、第2回のそれとは異なり、そのチャレンジ精神は、半世紀を経た今日でも、チャレンジ精神であることが了解されます。
 さらに、第3回コンテストには、アーサー・ウィリアムズという正体不明の人物が応募した「この手で人を殺してから」が、話題を呼びました。完全犯罪が成就する経緯を、そして、その経緯だけを淡々と描いた、クライムストーリイのひとつの典型ですが、著者が自身の正体を完全に隠すことで、本当にあったことなのではと思わせる。盤外戦術もここに極まれりというような作品です。この作品については『37の短篇』の月報に寄せた瀬戸川猛資さんの文章が、委細をつくしていますので、興味のある方はどうぞ。
 といったふうに、第3回のコンテストは、クイーンの蒔いた種子が、いろいろな意味で芽吹きはじめたという意味で、コンテストの意図が現実のものとなっていった契機と言えるでしょう。そして、そのもっとも重要な事例、EQMMコンテストが短編ミステリの歴史に貢献したもっとも重要な事例は、この年の特別処女作賞受賞者であるといっても過言ではありません。
 作品は「特別料理」。受賞者はスタンリイ・エリン。


小森収(こもり・おさむ)
1958年福岡県生まれ。大阪大学人間科学部卒業。編集者、評論家、小説家。著書に 『はじめて話すけど…』 『終の棲家は海に臨んで』『小劇場が燃えていた』、編書に『ミステリよりおもしろいベスト・ミステリ論18』 『都筑道夫 ポケミス全解説』等がある。


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