■将棋と日本

岡和田 『盤上の夜』の収録作総まくり、次の「千年の虚空」へ進みましょう。いよいよ将棋の登場です。この作品では、「ゲームを殺すゲーム」という、一種の自己言及のパラドックスにも似たギミックが登場しますね。

宮内 いわゆる「神の一手」はゲームシステムの内部の話です。しかし、現実世界で起こることは、システムそのものとの闘いであったりする。すると、ゲームが現実をモデル化したものと位置づけるなら、ゲームそのものをめぐるメタレベルの争いもゲーム化しなければならない。そして、「ゲーム脳」を問題視するような保守派ではなく、ゲームの枠内に囚われた人間にこそゲームを突き破ってほしい。……という感じに、無理を通して道理を引っこめようというのが「千年の虚空」です。

岡和田 歴史の新しいゲームであれば、これはシステム・デザインが何をもって、そのある種の特権性を保持するのかということへの批評とも読めます。トレーディングカードゲーム(TCG)を例に出せばわかりやすいと思いますが、TCGの場合は、新しいカードが登場することで、延々とルールが広がっていくところがありますね。ただ、そこで提示されているルールは、伝統ゲームのように自然に淘汰されて生まれたものとは異なる部分も多い。
 ではなぜ、将棋という日本でもっとも社会的認知度が高く、しっかりとした業界制度が構築されており、しかも麻雀のような不確定性もないゲームから、「ゲームを殺すゲーム」という発想が生まれたのか、興味深く読みました。だからストイックな印象もあります。例えば将棋を扱った最近の作品だと『ハチワンダイバー』というコミックがありましたが、あれが賭け将棋という「裏の世界」を扱っているのを思い出したりしました。

草場 わたしの感想としては……兄弟の人間模様というか、それが息苦しいというか、ドロドロしているというか。

宮内 それはそうですね(笑)。

岡和田 そういう小説なんですから仕方がありません(笑)。このドロドロしている部分は、実はうまく将棋にフィットするのではないかと思うんですよ。

草場 岡和田さんの話に関係するかどうかわかりませんが、「将棋」の面白い特徴は……「将棋」が日本にしかないことです。

岡和田 良くも悪くもドメスティックということですね。

草場 韓国にはチャンギがありますし、中国にはシャンチーがありますし、西欧にはチェスがあります。最近では、日本の将棋の国際大会も開かれているみたいですが、なぜか将棋類は狭い意味での「民族」と分かちがたく結びついているというか、そういう印象があります。
 だから「千年の虚空」で描かれる、男女3人の小世界、どろどろの人間関係に、うまく染みこんでいくのは、将棋を措いてほかになかったのかもしれません。

岡和田 日本ならではだと。

草場 とった相手のコマをはれるのは日本の将棋だけですが、千年の歴史があって、日本だけでそういうルールが形作られてきたのは面白い。そこから「民族性」のようなものを読みこむと、変な方向へ行ってしまいますが、生物進化の途上で起こった突然変異のようなものではないかとも思えるのです。将棋には、何かそういう不思議なものがありますね。

岡和田 そういえば、宮内さんは別のインタビューでこの作品を大江健三郎の『芽むしり仔撃ち』を意識したと言っておられましたが、同作も閉鎖的な村を舞台にした話でした。

草場 この将棋界という閉鎖的な世界のなかに、二重に閉鎖的な兄弟の関係性を入れ込んだ、そういう特殊性のようなものを感じました。


■量子歴史学と言語学の意味論

岡和田 なるほど。ところで、私は「千年の虚空」の途中で「ゲームを殺すゲーム」の出発点として出てくる「量子歴史学」という考え方に惹かれました。

宮内 やっとちょっとSFっぽくなります。

岡和田 それは、先ほどお聞きした卒業論文で書かれたこととも関連するのでしょうか?

宮内 似ているかもしれません。意味論から辞書的な語義をなくしてしまえというアプローチでしたから。今だったら、それほど珍しくない考えかもしれませんが。

草場 意味は言葉同士の関係性のなかだけにある、というものですね。

宮内 「歴史を相対化して神話を産んでしまえ」という「量子歴史学」の考え方はかなり破壊的ですので、近いものがありそうです。で、この短編は何もかもを自家中毒的にしたかったので、チャトランガから将棋が生まれ、「量子歴史学」からチャトランガが生まれるという形で、チャトランガ編と対にした円環構造を作りました。

岡和田 「千年の虚空」で語られる、「正史の時代から幾千年をさかのぼり、神話の時代まで押し戻してしまうこと」という「新しい神話大系」を思い出しました。


■文献史学の盲点

岡和田 また、ウォーシミュレーションゲーム(ウォーゲーム)についても連想しました。ウォーゲームは、本質的に歴史学批判というところがあるのですね。ウォーゲームをデザインする授業というのを、ロンドン・キングズ・カレッジのフィリップ・セイビン教授が試みています。歴史学の資料が、文献史学的な方法論へ過剰へ傾斜することについての問題意識があるようなのです。実際の情報をシミュレートし、単に文献を精査するだけではなく、当時の戦場の状況を動的なモデルとしても捉えようとするのが、セービンの主張だと私は解釈しています。なんとなく「量子歴史学」と「ゲームを殺すゲーム」を結びつける「千年の虚空」が描く方法にも通じているような印象があります。

宮内 ふむふむ。

岡和田 ゲームは常に、歴史を相対化させようとする側面があるのかとも思うのです。歴史のifですね。

宮内 それこそ、SF的な欲求でもありますね。

岡和田 『高い城の男』から『鉄の夢』から、作例も事欠きません。

草場 ゲームの研究もね、これは一般的に言われていることではありませんが、文献史学に拘泥することへの批判もあって。「実際にその当時のルールを再現して遊んでみると、こういう印象を得た。だから当時の文献に書いてあるのはこうい意味じゃないか」という考え方が出てきたり。起きてしまった歴史は繰り返せないが、100年前のルールで遊んでみることはできますから。

岡和田 それに絡めるならば、『かっくり』の話を思い出しますね。

草場 これは「小松」という花札の地方札の一種を使うゲームです(札を渡す)。

宮内 (札を見て)なんかサンスクリット文字みたいなのが描かれてますが(笑)。

草場 これを使って遊ぶ『かっくり』というゲームがあって、これが全然面白くないのですよ、文献どおりやっても。ちっとも面白くないから「ルールが間違っているのではないか?」という話になったんです。

宮内 おおっ!!

草場 また「昔は娯楽が少ないから、こういうつまらないゲームでも遊べたのは?」という話にもなったのですが(笑)。

一同 (爆笑)

草場 ともあれ発祥の地である福井県越前市――池上遼一の出身地だそうですが――の矢船町にまで取材に行ったんです。そこに『かっくり』のプレイグループがあるっていうのですよ。

宮内 どうでした?

草場 こんなつまらないゲームを本当にみんなプレイしているのかと思っていると、やっぱり、集会所には20人以上、人が集まってくるのですよ。平均年齢は75歳くらいですけど(笑)。そして、本当に楽しそうに遊んでいるんですよ。

岡和田 それで、ルールは?

草場 結論から言うと、ルールは間違っていませんでした。ただ1箇所だけ違ったのは、我々は2~3人でプレイしていたけど、7~8人で遊ぶと、面白さが滋味のようにじわっと出てくる、そんな遊びだったんです。

宮内 (心底驚いて)へえー!

草場 もっと面白いのは、80歳くらいのおじいさんが集まってくる。実にみんな、楽しそうにやっているのですよ。
「システム派」としてはまことに不本意ではありますが(笑)、ゲームというのは、ルールだけが本質ではなくて、コミュニティも同じくらい重要であり、さっきの意味論じゃないけど、関係性の中にあるとも言えるのではないかと。

宮内 面白いですね。せっかくですから、面白くないルールこそがそのコミュニティを生んだのだと言ってみます。

岡和田 ゲームはコミュニティの中で生きる、と(笑)。あとは、文献史学的にはわからなくても、プレイするとわかるという類のものもある、ということですね。

宮内 「このゲーム、2人でやるとつまらないじゃん。じゃあ、もう1人いたんだ!」

岡和田 なんという叙述トリック(笑)。『かっくり』の話は、コロンブスの卵的なエピソードですよね。

草場 全国に、そういう知られざる郷土ゲームがあるんですよね。島根県の雲南市には、『かけやトランプ』という江戸時代から伝わるゲームがあるし、北海道の『板かるた』、青森県の『ゴニンカン』とかね。熊本県人吉市の『ウンスンカルタ』は、京極夏彦さんが、毎年プレイしに行っているらしいですね(笑)。わたし、京極さんらしき人とすれ違ったことがありますよ(笑)。


■ポーカーの基本原理

岡和田 いよいよ、最後の作品となりました。「盤上の夜」の後日譚でもある「原爆の局」です。草場さんはいかがでしたか。

草場 わたしは、単行本の構成として、一見、いずれも独立した短編のオムニバスと見せながら、最初と最後を連関させることで全体に緩い繋がりが生まれて、個々の小説だけじゃなく、全体が有機的に結びついたので、うまく落としたなと。

岡和田 「人間の王」で話題になった「わたしをプログラムしたのは神だ」という名文句も、形を変えて出てきますね。

草場 それと、細かいのですが、ポーカーの話が出てくるじゃないですか。ラスベガスで、雀士の「新沢」が、ポーカーをやっている。なぜ勝てるのかと問われて「決まってるだろう。確実に勝てるからだ」と答えますね。宮内さんはポーカーも詳しいんだ、と思いました。ゲームをプレイする人の視点をよくわかっているな、的外れではないなと感心しました。

宮内 そういえば、先日、「ポーカーの基本原理」というものを知ったのですが、それでちょっと頭を抱えました。それによると、「すべてのカードが見えている状態と同じようにプレイできたら勝てる」と。当たり前じゃないかと思うんですが(笑)。

草場 それは、確かに当たり前ですね(笑)。

宮内 と、それはともかく、確かに新沢の発言は、「当たり前」のレベルが何か人と違う。先ほどの、ブリッジと「確定ゲーム」の例を思い出しました。

草場 その当たり前のところを、身体のレベルで理解しているから説得力があるのでしょうね。ポーカーは、今、いい戦術書がいっぱい出ていますが、「不完全情報ゲーム」なので、最後はくじ引きで決まってしまうところがありますね。

宮内 あの場面、井上という囲碁棋士は「完全情報ゲーム」が「運だ」と言い張り、そして新沢は「不完全情報ゲーム」で「必ず勝てる」と言い張ります。

岡和田 このジレンマを、新沢はうまく呑み込んでいるということですね。

草場 ポーカーは、かかるお金が大きいですから(笑)。

岡和田 生き様にゲームを重ねやすい。

草場 世界ポーカー選手権大会(ワールドシリーズオブポーカー、WSOP)だと、今は優勝賞金が7億円近くいくようです。
 木原直哉さんという人が、去年(2012年)、WSOPの「ポット・リミット・オマハ・シックス・ハンデッド」で優勝し、日本人で初めてブレスレットを獲得したばかりでしたね。

宮内 へえー、つい先日読んだ資料では、まだ日本人でブレスレットを獲得した人はいないとありました。歴史に立ち会えるはずが、気づいたら過ぎていた(笑)

草場 木原さんは、バックギャモンのプレイヤーで、我々の仲間なんです。

岡和田 バックギャモンは「完全情報不確定ゲーム」、ポーカーは「不完全情報不確定ゲーム」ですから、両方に熟達しているというのは、すごいことですね。


■核というブラックボックス

岡和田 私が「原爆の局」に感嘆したのは、政治的な問題を正面から取り扱っていることですね。

草場 どういうことでしょうか。

岡和田 少し長くなりますが、よろしいでしょうか……。
 SFは思弁的であり、社会批判の要素を強く持つと、昔から言われてきました。しかし、その一方で、SFは荒唐無稽なエンターテインメントでもあり、政治的にクリティカルな問題を批評的に掘り下げることを、無意識に避けてしまっているところもありました。「荒唐無稽」というエクスキューズを設けることで、あらゆる倫理的な批判を免れてきたというわけです。それゆえ、SFによる社会批判や提言も、シリアスな眼差しで受け入れられることは、残念ながら、稀であったように思います。
 とりわけ90年代後半から、新自由主義的な価値観の浸透に伴い、(広義の)文学に倫理的な主題を直接、背負わせることに社会的な意義が失われたと、盛んに喧伝する言説が現れました。こうした言説に対し、SFはあまりにも無頓着な部分があったように思います。高度資本主義が再生産する平準化したエンターテインメントが、受容者の価値観にいかなる影響を及ぼしてきたのか、そして、科学とイデオロギーが結びついた際に立ち現れる「暴力性」に目を背けてきたのではないか、そう思えるのです。これを私は「想像力の脱政治化」と呼び、それを主題にした論考も書いています。

宮内 まず、ゲームの構造を政治に広げたのが「千年の虚空」で、それをどう引き継ぐかというところで、「原爆の局」は、ブライアン・オールディスの「リトル・ボーイ再び」を一つの下敷きにしています。

岡和田 「リトル・ボーイ再び」は、日本SF史における一種のトラウマとして扱われていますね。単行本に収録されていないので、アクセスすること自体も今や容易ではないのですが、「リトル・ボーイ再び」をお知りになったきっかけは何でしょうか。

宮内 確か、巽孝之さんが編集した『日本SF論争史』で扱われていたからだと思います。

岡和田 おお、そうでしたか。私も「リトル・ボーイ再び」を知ったのは『日本SF論争史』経由でした。そして、伊藤計劃さんの『虐殺器官』を論じるには、やはり「リトル・ボーイ再び」の文脈を措いてほかにないだろうと。つまり、「大量に人が死ぬこと」(大量死)のスペクタクル化です。『虐殺器官』では、サラエヴォで核爆弾が炸裂したことをきっかけとして「核による終末」が終わり、「大量に人が死ぬこと」に世界が慣れきってしまったと語られるのです。

草場 「リトル・ボーイ再び」とは、どういう話ですか?

岡和田 ごく簡単に言えば、「ヒロシマ」にもう一度、原爆を落とすという話です。
 舞台は、太陽系の惑星や〈新惑星群〉という地球外まで植民地支配の範囲が広がり、一方の地球内では兵器から性愛までが管理と統制の対象となっている近未来。2045年の8月6日に「原爆百周年」として、エノラ・ゲイの複製を、世界中がリアルタイムで見守るイベントとして、再度「ヒロシマ」に投下するというものでした。その計画は実行に移され、生き残った日本人からは激しい抗議の声が上がるものの、黙殺に終わります。

草場 ……それは、壮絶ですね。

岡和田 ちょうど、スタンリー・キューブリックが監督した映画『博士の異常な愛情』を思わせるアイロニーに満ちた作品です。この作品は喧々諤々の議論を呼び、雑誌〈宇宙塵〉誌上にて矢野徹さんが怒りを露わにしたり、〈SFマガジン〉で豊田有恒さんが「プリンス・オブ・ウェールズ再び」という小説を書いて反論したり、といったことがありました。後に作者のブライアン・オールディスが来日した際、彼は問い詰められ、服を着たまま琵琶湖に飛び込むパフォーマンスをする羽目になったとも言われています。
「リトル・ボーイ再び」を読んだ時、何が問題なのかを考えたのですが、それはこの作品が「ヒロシマ」という固有名を使っているからにほかならないと思います。「大量死」のスペクタクル化を正面から扱った作品ですが、同時に、「ヒロシマ」という固有名を出すことで、現実で起きた「大量死」を、遊び半分で取り扱っているようにも見えるということです。SFと倫理を考えるうえでの、重要なクリティカル・ポイントであると思います。

宮内 「リトル・ボーイ再び」が本来射程としたものは、日本人でも受け入れられるはずのものだった。で、「原爆の局」とは逆に、《DX-9》シリーズの「ロワーサイドの幽霊たち」で「9・11」を扱ったのですが、ここでは「アメリカ人でも受け入れられる“9・11再び”」という目標を立てました。

岡和田 「ロワーサイドの幽霊たち」では、9・11アメリカ同時多発テロ事件の関係者の証言を引用するという方法を採られていたのは、そういう問題意識がおありでしたか。
 そう考えると「原爆の局」が、田壮壮(ティエン・チュアンチュアン)監督の『呉清源~極みの棋譜~』でも語られたという1945年、広島での史実に取材された理由が、よくわかります。
 これまで「核」の問題は往々にして、大きすぎて認識不可能な一種の巨大なブラックボックスとして描かれてきたように思えます。そうした方法とは、異なるやり方で「原爆の局」は“核”の問題を描けているものと思います。

宮内 「核」というブラックボックスに多くを仮託してきましたからね。

岡和田 「核」は使用された時点で、すべてが終わってしまいます。ただ、山野浩一さんが指摘していましたが、誰かが核ミサイルの発射ボタンを押したらすべてが終わりという状況で保たれた平穏は、あまりにも危うい。さりとて、核をブラックボックスとしてのみ捉えるのでは、単に臭いものに蓋をしているだけ、ともとれます。
 カート・ヴォネガットの『猫のゆりかご』のように、核の不可知性をうまく活用した傑作も、もちろん存在していますが、ただ、「原爆の局」は、ブラックボックスの「核」という認識よりも、もう少し、先に行っているのではないかと思うのです。「原爆の局」の距離のとり方は絶妙です。

草場 わたしは先日、新藤兼人監督の『第五福竜丸』を見てきたんですよ。1959年に撮られた映画ですが、「核」の内実に切り込んでいる作品でした。水爆のシーンは、すごいな、こうだったのかもしれないと思えるシーンでした。「太陽がまた上った」というようなセリフが出てきて、死の灰の降る光景が映像で表現されます。死の灰って、どうやって降るのだと思いますか?

宮内 やはり、雪のようなものをイメージしてしまいますが。

草場 そう思うでしょう。わたしもそうでした。しかし、映画で描かれたのは、まさに砂塵。もちろん映画なので、その表現が現実に一致するかどうかはわかりません。ただ、映画の公開は事件が起きてから5年後ですから、関係者の多くが健在である時期ですから、その意味で、かなりのリアリティを有する形で作られたのではないかと思います。

岡和田 もう少し詳しく教えていただけますか。

草場 第五福竜丸事件は私の3歳のときのことですから、直接の記憶はありませんが、大人たちの話題にちょくちょく出てきたので、「死の灰」という恐ろしいものが空から降ってくるというイメージは強くありました。一方、火鉢がまだどこの家庭にもあり、藁灰も普通に見られたので、「灰」のイメージもそんなもので、花咲か爺さんが撒く灰のようなものが空から降ってくるという感じでしたね。もっとひどくてもせいぜい粉雪のような感じですかね。
 ところが映画で見た本物(に近いと思われる)死の灰はまさしく砂塵のような猛烈なものなのでした。映画の中でははっきり言及はありませんが、これは水爆で破砕されたサンゴ礁が主成分で、最強度の放射線の照射を受けて高濃度の放射能を帯びているわけです。それが船の上に雪のように積もる有様は、その正体を知っている観客を慄然とさせるものがありました。ところが、船員たちは何だろう」と食べてみたりするのです。そのあげく、帰港後死んでいくのです。
 だから「原爆の局」って、ある意味では象徴的な感じもするのだけれども、その抽象を維持したまま、日常の延長線上にある、リアルなものを捉えているのではないかと思います。片方には戦争などの現実がある。片方には盤上の別世界がある。その対比が維持されたままフィナーレに来て、「次なる人類」が半ば予告されるというのは、なんというのかな……。うまく言葉にできないですね。

岡和田 「想像力」の脱政治化を乗り越えて、次なる地平を幻視しているということでしょうか。歴史を振り返れば、もともとSFのニューウェーヴやサイバーパンク運動というのは、状況論的な意識に強く裏打ちされてきたものです。伊藤計劃さんの小説がインパクトを有していたのも、まさしく状況論的な問題意識と、ゲーム的な圏域をうまく重ね合わせていました。
 その意味で『盤上の夜』は、まさしく2010年代の幕開けを示す、代表的な作品と言えるのかもしれません。笙野頼子の『猫ダンジョン荒神』に「言語にとって核とは何か」という短編がありますが、「原爆の局」も「言語にとって核とは何か」を問うた作品であると思います。

宮内 ありがとうございます。

岡和田 では、そろそろ締めに入りましょう。今後のご予定などがあれば、差し支えない範囲でご教示ください。

宮内 直近では、ひとまず二冊の刊行を予定しています。先のお話しにもあった「ヨハネスブルグの天使たち」のシリーズを早川書房から、そして書き下ろしの長編を東京創元社から出すことができそうです。できれば「スペース金融道」も。
 並行して雑誌のほうでは、〈yom yom〉で音楽テーマでの長編、〈小説現代〉で疑似科学テーマの連作、〈ジャーロ〉で碁盤師のミステリなどを書いていますので、もし見かけたら「おっ」と思ってもらえると嬉しいです。

岡和田 ありがとうございます。それでは、読者に向けてメッセージをお願いします。

宮内 おかげさまで、なんとか出発することができそうで、とにかく感謝の言葉もありません。『盤上の夜』は恵まれすぎた作品でもあるので、ひとまずは再デビューするつもりで頑張ってまいります。ひきつづき、応援いただけたらと思います。

岡和田 おつかれさまでした。

草場 そうだ、せっかく集まったんだから、この3人で一緒にゲームをやりませんか(笑)。

宮内 いいですね、やりましょう!

草場 じゃあ、ドミノがいいかな。ドミノは面白いですよ……。


●おわりに

 こうして、実時間にして3時間以上に及ぶ濃密なインタビューが終わりました。その後は、草場さんのレクチャーを受け、ドミノをはじめ、色々なアナログゲームを、夜遅くまで遊んでしまいました(笑)。
 もともと今回は『盤上の夜』を語り尽くそうとして企画された鼎談でしたが、それでも、この怪物的な作品については、まだまだ検討の余地がありそうです。この鼎談を手がかりに、いまいちど『盤上の夜』を読み直していただけましたら幸いです。
 さて、思い返せば、私と宮内さんが初めて出会ったのは2年前。「SFセミナー2011」の合宿で、私が企画したパネルにお客として来てくださったのが最初の出逢いでした。共通の知人がいたこともあり、すぐに打ち解けたのですが、宮内さんの創作について、ここまでじっくり正面から語り合ったのは、今回が初めての機会だったかもしれません。
 またたく間にスターダムを駆け上がっていく宮内さん。どこまでも謙虚なその背中には、SFのみならず、広く現代文学の未来が賭けられているといっても過言ではないでしょう。
 ――今後とも、作家・宮内悠介にご注目ください!
 なお、今回本文でご紹介したもののほか、最後に言及いただいた連載などのタイトルを、以下に列挙させていただきます。

※「音触」 (『清龍第八号』清龍友之会、2009年12月)
※「ディストラクトピア」 (『清龍第九号』清龍友之会、2010年12月)
※「瓶詰めの真空」(同上)
「盤上の夜」(『原色の想像力』東京創元社、2010年12月→『盤上の夜』2012年3月)
「人間の王」(『ミステリーズ!vol.45』東京創元社、2011年2月号→『盤上の夜』2012年3月)
「清められた卓」(『Webミステリーズ!』東京創元社、2011年6月号→『盤上の夜』2012年3月)
「スペース金融道」(『NOVA5』河出書房新社、2011年8月)
※「超動く家にて」(『清龍第十号』清龍友之会、2011年11月)
※「ジキルもしくはハイドから」(同上)
「ヨハネスブルグの天使たち」(『S-Fマガジン』早川書房、2012年2月号)
「象を飛ばした王子」(『Webミステリーズ!』東京創元社、2012年2月号→『盤上の夜』2012年3月)
「トランジスタ技術の圧縮」(『アレ! vol.7』Project allez!、2012年3月号)
「スペース地獄篇」(『NOVA7』河出書房新社、2012年3月)
『盤上の夜』(東京創元社、2012年3月)
※「文学部のこと」(『S.E.4』左隣のラスプーチン、2012年5月)
「空蜘蛛」(『sari-sari』角川書店、2012年5月号)
「青葉の盤──碁盤師・吉井利仙の仕事」(『ジャーロ』光文社、2012年夏号)
「ロワーサイドの幽霊たち」(『S-Fマガジン』早川書房、2012年8月号)
「超動く家にて」(『清龍第十号』掲載作を加筆修正。『拡張幻想』東京創元社、2012年6月)
「百匹目の火神」 (『小説現代』講談社、2012年9月号)
※「規格水槽のボートピープル」(『稀風社の冒険』稀風社、2012年11月)
※「今日泥棒」(『清龍第十一号』清龍友之会、2012年11月)
「ジャララバードの兵士たち」(『S-Fマガジン』早川書房、2012年11月号)
「阿呆神社」(『オール讀物』文藝春秋、2012年11月号)
「星間野球」(『野性時代』角川書店、2012年12月号)
「犬か猫か?」(『小説すばる』集英社、2013年1月号)
「ハドラマウトの道化たち」(『S-Fマガジン』早川書房、2013年2月号)
「スペース蜃気楼」(『NOVA9』河出書房新社、2013年1月)
「アメリカ最後の実験 第一回」(『yom yom vol.27』新潮社、2013年冬号)
「彼女がエスパーだったころ」(『小説現代』講談社、2013年3月号)
「ゲーマーズ・ゴースト(前編)」(『MATOGROSSO』イースト・プレス、2013年2月)
(※は同人誌掲載作)

 なおFACEBOOKには「宮内悠介」のページがあり(http://www.facebook.com/YusukeMiyauchi.Author)、作品掲載情報などが随時更新されているので、要チェックです(上記リストもFACEBOOKからの引用となります)。



宮内悠介(みやうち・ゆうすけ)
 東京都生まれ、1992年までニューヨークに在住。早稲田大学第一文学部英文科卒業。在学中はワセダミステリクラブに所属。卒業後は世界旅行をしたり麻雀プロを目指したりプログラマになったり……と、さすがにこのプロフィールも恥ずかしくなってきました。短編「盤上の夜」で第1回創元SF短編賞で選考委員特別賞(山田正紀賞)を受賞し、2012年に連作短編集『盤上の夜』を刊行し単行本デビュー。

草場純(くさば・じゅん)
 1950年東京生まれ。ゲーム研究家、 元小学校教員。1982年からアナログゲームサークル「なかよし村とゲームの木」を主宰。2000年から2009年までイベント「ゲームマーケット」を主宰。〈SFマガジン〉1976年2月号に「ゲームについて」掲載、最近では〈GAME LINK〉誌や〈ボードゲームナビ〉誌で、アナログゲームや伝統ゲームについての記事を執筆している。〈子どもプラスmini〉(プラス通信社)に2005年から2011年まで連載した「草場純の遊び百科」は、大幅な書き下ろしを加えたうえで、単行本化が予定されている。また、テレビや新聞・雑誌の取材を受けることも多い。
 JAPON BRAND代表、Analog Game Studies顧問。遊戯史学会員、日本チェッカー・ドラフツ協会副会長、世界のボードゲームを広げる会ゆうもあ理事、パズル懇話会員、ほかSF乱学講座、盤友引力、頭脳スポーツ協会、MSO、IMSA、ゲームオリンピックなどに参画。小学校教員時代からわらべ遊びの普及に尽力し、最近では、Analog Game Studies&イイトコサガシ交流ワークショップ「現代によみがえるわらべ遊びの数々」を複数回開催し、成功を収めた。
 著書に『ゲーム探険隊』(書苑新社/グランペール(共著))、『ザ・トランプゲーム』成美堂出版(監修)、『夢中になる! トランプの本』(主婦の友社)。Analog Game Studiesのウェブログにて「伝統ゲームを現代にプレイする意義」を長期連載中。

岡和田晃(おかわだ・あきら)
 1981年、北海道生まれ。2004年、早稲田大学第一文学部文芸専修卒業。肉体労働や写真誌ライター等を経た後、2007年より現在の形で活動開始。2010年「「世界内戦」とわずかな希望――伊藤計劃『虐殺器官』へ向き合うために」で第5回日本SF評論賞優秀賞を受賞。
 文庫解説に、佐藤亜紀『ミノタウロス』解説(講談社文庫)、伊藤計劃『The Indifference Engine』解説(ハヤカワ文庫JA)、共著に『しずおかSF 異次元への扉』(静岡県文化財団)、『21世紀探偵小説 ポスト新本格と論理の崩壊』(南雲堂)ほか。翻訳書にS・T・ヨシ『H・P・ラヴクラフト大事典』(エンターブレイン、共訳)ほか。
 ゲームライターとしても活動し、その方面での仕事も多数ある。著書に『アゲインスト・ジェノサイド』(新紀元社)、日本SF作家クラブ公認ネットマガジン「SF Prologue Wave」上にて、ポストヒューマンRPG『エクリプス・フェイズ』のシェアードワールド小説企画を進行中。新たなプロジェクト「Analog Game Studies」を主宰。




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