ロイ・ヴィカーズの迷宮課シリーズの顕著な傾向のひとつに、事件の決め手となる、あるいは事件を象徴する小道具があって、それが題名になるというものがあります。思いつくままにあげてみても「ゴムのラッパ」に始まって「失われた二個のダイヤ」「赤いカーネーション」「黄色いジャンパー」「なかったはずのタイプライター」「絹糸編みのスカーフ」「ワニ革の化粧ケース」といった具合です。前回も書いたように、その小道具は、単に解決の決め手というよりは、事件における犯人と犯行のある種の象徴で、それは第一作めの「ゴムのラッパ」が物証としての決め手ではなかったことを考えれば、むしろ、証拠というミステリ的な小道具としてよりは、犯人の内面を映す小道具として存在していると言えます。中には、「なかったはずのタイプライター」のように、小道具の存在ではなく、小道具の不在を利用するという凝ったアイデアさえありますが、凝ったわりには、いまひとつ不発で、シンプルな「赤いカーネーション」という、小説的にはなんの変哲もない小道具の方が、深みを持って生きている。そういうことから見ても、解決の部分よりも、犯人が犯行に到る過程で重要性を持つ小道具として、これらは生きているように思います。
「なかったはずのタイプライター」の最初の章は、こんな終わり方をします。
「しかし、ハヴァーストンは、幸か不幸か、それと気づかなかったのだ、事件において、なんの役割も演じなかったタイプライター――いや、それどころか、それは存在してもいなかった。そのタイプライターが、事件が不適当な見出しのもとに印をつけられて、迷宮課のファイルにとじこまれたあとになって、危険な手がかりとなる可能性があるということに」
 小説の始まりで、こんなふうに読者を釣りこむような書き方をするのも、ヴィカーズのよくやる手のひとつです。もっとも、この場合はさすがに趣向倒れで、タイプライターがなかったことが必要だったという形の解決ならまだしも、代わりに何があったのかという形になっていては、どうしても、インパクトが弱くなってしまいます。かといって、ネタばれになるので、その小道具を題名には出来ませんしね。それに、ヴィカーズの謎解きはシンプルさに欠けるというか、解決の部分が細かいディテイルに左右されることが多いわりに、その細かさを描く手立てが単調で、解決部分に面白みがないことがしばしばあって、この「なかったはずのタイプライター」も、その例に漏れません。
 また「盲人の妄執」のように、殺害現場における被害者の行動に関して、細かく論理を展開しているように見えながら、結局、自殺・他殺どちらの場合にも当てはまるといった失敗作もあります。こうして見ていくと、推理の面白さ、解決の面白さが迷宮課シリーズには欠けていて、代表作とされることが多い「百万に一つの偶然」にしても、そこにあるのは、オチの鮮やかさではあっても、推理や機知の面白さではないのです。もっとも、この点は、クロフツの倒叙短編を読んでいても感じることがあるので、倒叙ミステリが陥りやすいことなのかもしれません。



ミステリ、SF、ファンタジー|東京創元社