マローンものの短編集は、創元推理文庫に〈マローン弁護士の事件簿�T〉と副題のついた『マローン殺し』が入っています。その中の10編のうち、比較的有名なのは、「胸が張り裂ける」でしょうか。従来、「うぶな心が張り裂ける」という邦題の小笠原豊樹訳があって、ハンス・S・サンテッスン編の『密室殺人傑作選』や、早川世界ミステリ全集の『37の短篇』に採られていました。
「胸が張り裂ける」はマローンが刑務所を訪れるところから始まります。殺人事件で有罪となった依頼人の再審を、少々インチキな方法で勝ち取ったらしく、その依頼人を訪ねるためでした。ところが、マローンが到着するなり、依頼人は首吊り自殺してしまう。マローンの第一声は「おれに弁護を頼んだくせに首をくくるなんて――」です。再審が決まり、希望を持っているはずの囚人が、なぜ自殺したのか? ロープはいかにして入手したのか? 魅力的な謎ではあります(とくに前者)が、唸らせるような解決をつけるのが難しい謎でもあります。実は他殺だった、あるいは自殺に仕向けたものだったという解決は、まあ、誰しも頭に浮かぶところでしょう。クレイグ・ライスの弱点は、解決が手近で安直に終わってしまうところにあって、この作品でもそれは変わりません。しかも、提出された謎を深めたり、解いていく過程を見せることがないので、多くの場合、解決は唐突で、あっさりとついてしまうのです。「胸が張り裂ける」のように、シンプルな謎解きの興味の作品は、ライスには似合わないように私には思えます。なぜなら、ライスのミステリにおいて、ストーリイを駆動させるのは、マローンをはじめとする登場人物たちのアクションであるからです。
 たとえば「マローン殺し」です。ロサンゼルスの空港で、マローンは飛行機を待ちながら酒を呑んでいます。依頼人のおばが西海岸に住んでいたのですが、彼女が亡くなって、死因と遺言状の確認に、シカゴからやって来ていたのです。ところが、シカゴに戻るはずのマローンはサンフランシスコに着いてしまい、どういうわけか、ロスで休暇を与えた秘書のマギーがそこにはいて、彼女から手渡された新聞には、ジョン・J・マローンの死亡記事が載っているのです。ちょっと落語の「粗忽長屋」を思わせる導入で、これをきちんとした謎として設えることで読者を引っぱっていくと、都筑道夫の『やぶにらみの時計』になるのですが、「マローン殺し」は、そうではありません。いかにして、マローン死すという状況になったかは、読者にも簡単に察しがついて、しかし、なぜそんなことになったのか、背後にどんな事情があるのかが、読者にもマローンにも分からない。マローンは自分の名前で死んだ人間になりすまして、サンフランシスコのホテルに部屋をとり、接触してきた男と会います。
「マローン殺し」は、ロサンゼルス空港でマローンと搭乗券を取り違えた男が、マローンの依頼された相続問題の関係者だったという点が、少々強引ですが、話そのものは、快適なテンポで終始します。けれど、不可解な状況に陥ったマローンが、そこから反撃に転じる面白さは、ディテクションの小説の魅力とは、異なるもののように思われます。
『マローン殺し』に収められている他の作品を見回しても、冒頭に不可解な状況があっても、それは解き明かされるべき謎として提出されているというより、マローンがくぐりぬける危地として存在しているのです。あるいは、謎とその解決として描かれるには、解決が手軽すぎたり、苦しまぎれなものや、ひねりのない平凡なものに終わっていたりします。「不運なブラッドリー」に到っては、この犯行が成立しないことを、訳者が注記で指摘せざるをえなくなったりします。このあたり、コーネル・ウールリッチに似たところがあって、冒頭に不可解な状況を持ってきながら、解決は苦しいことが多々ある。謎を仕掛けられる側から見て、状況が不可解であるようにのみ考えられていて、それを仕組む側(つまり犯人側)の合理性や計画性が等閑されているのです。都筑道夫の言葉を借りれば、表がわの論理は通っていても、裏の論理がなおざりにされているのです。
『マローン殺し』に入ってはいませんが、「マローンと消えた凶器」など、マローンが列車で乗り合わせた乗客が奇妙な一団で、しかも、その列車がシカゴに向かっているのか西海岸に向かっているのか分からない(入り日の向きが違っているとマローンが感じる冒頭が見事)という、不条理な面白さです。「マローン殺し」の列車版とも言えますが、不条理さ不可解さが一段上です。クレイグ・ライスの短編に、しばしば、精神科医が登場し、狂気を疑われる話が出てくるのは、当時の流行もあるでしょうが、それにしても、この短編の冒頭は手ごたえ充分です。しかしながら、その解決は、凡庸な落としどころで手を打ったとしか思えず、列車内で殺人が起き、凶器が見つからないという、いかにもミステリ的な、しかし手垢のついた謎に、これまた凡庸な解決をつけて、小説は終わります。
 クレイグ・ライスには、マローンの出てくる、しかし、ショートショートといった長さの、推理問題のような短編(エラリー・クイーンも、この手の話をよく書いてますね)があります。「馬をのみこんだ男」「煙の環」といった作品ですが、ここまで来ると、オチの軽さやばかばかしさが、ユーモアになって生きることになります。「煙の環」など、マローンが出て来なければ、ウィルスン・タッカーの短編といっても通るかもしれません。
 もっとも、ライスの短編でも、謎とその解決がうまくいっているものが、ないわけではありません。「セールスメンの死」は、同じ会社のセールスマンが次々と殺されていくという、ミッシングリンクテーマの短編ですが、なかなか巧く解決がつけてあります。一点気になる些細なことはありますが、『ホッグ連続殺人』なみとは言わないにしても、気のきいた短編パズルストーリイでしょう。あるいは『マローン殺し』に入っている「永遠にさよなら」です。あるフレーズが歌われると人が死ぬという、ディクスン・カーばりの怪奇性をもった発端ですが、簡単なトリックと上手な手がかりで、読了してみると、佳作ではあるのですが、良質のパズルストーリイを読んだときの快感に乏しい。「マローン予言者になる」は、アフリカ人の投げ槍で人が死ぬと、マローンがフォン・フラナガンをからかうつもりで冗談に言ったところ、本当にアフリカ人の投げ槍で人が死ぬという、これまた見事な冒頭の謎です。マローンが真相に気づくきっかけとなるエピソードの使い方が下手なので、損をしていますが、それを差し引いても、解決の仕方に推理の面白さが欠けている。このあたりに、クレイグ・ライスの特徴があるようです。

「永遠にさよなら」にはカーばりの怪奇性があると書きましたが、作者も登場人物も、そんな怪奇性に動じることはありません。そんな迷信は誰も信じない。そういう合理性が支配する世界であることは確かですが、ライスのミステリには、それ以上の特徴がある。マローンやジャスタス夫妻にもっとも顕著ですが、彼らは何事にも動じることがありません。「心が張り裂ける」で、依頼人が首を吊ったと知ったマローンの第一声を、思い出してください。あるいは「マローン殺し」の自分の死亡記事を読んだマローンの反応を。あるいは、「恐怖の果て」で、依頼人の身代わりに、殺人容疑で監獄に入ってくれと、マローンに頼まれたヘレン・ジャスタスの態度を。マローンは、警察よりも早く犯罪の現場に立ち会おうとし、場合によっては、証拠の隠滅や偽装のアリバイ工作(「彼は家へ帰れない」)も厭いませんし、マローンたちにとって支障のある場所から死体を動かす(「恐ろしき哉、人生」)ことさえあります。そうした判断を即座にくだすマローンには、事件が動くたびにいちいち驚いたり、立ち止まって考えたりする暇はありません。せいぜいが、なにか重要なことを思い出せないと悩むくらいですが、それとても、動きながらのことです。また、ライスのミステリの魅力として、多くの人が指摘する、軽快でユーモラスなやりとりですが、その多くは、非常事態にあってものに動じず、冗談を忘れない登場人物たちの性格と姿勢から来るものです。
 事件の展開と張り合うかのようにスピーディなマローンのアクションも、お馴染みの登場人物たちのユーモラスな掛け合い――中村真一郎をして「煙草に火をつけるのに、地獄の炎でもってするところから起るもの」と言わしめたユーモア――も、彼らが、何事にも、いちいち動じないことから生じています。もちろん、何事にも絶対に動じない人などいませんから、そんな人だらけのライスの小説は、リアリスティックなものではありえません。一方で、そんな何事にも動じない人々という特徴は、ユーモラスなやりとりのために必要だとか、スピーディな進行のために必要だといった、技法上の要請から来るものではありません。それは、もう少し作家にとって切羽詰った、それを抜きにしては、この作家が小説を書く意味がなくなるような、そんな必要から来ているように私には思えます。
 しかし、そうした特徴は、ワン・アンド・オンリーのユーモアを作品にもたらす一方で、謎に驚き戦く人がいないという結果をももたらしました。謎めいた事態に怯えろとは言いませんが、どんなに不可解なことが起きても、それが対処可能な事態だとのみ考えられ、実際、即座に対処されたのでは、謎を謎として読者に強く提示できないし、同じように、解決を魅力的に見せることも出来ないのです。名探偵によって、どのような不可解な謎も必ず解かれる。謎解きミステリが打ちたてた、この神話は、それゆえに、どのような謎もいずれは解かれてしまい、不可解などこの世には存在しないという主張を裏側に秘めていました。ミステリがジャンルとして成熟し洗練されていくにつれて生じた、これは大きなジレンマでしょう。ライスの登場人物の動じなさは、この問題とは少し異なる、ライスの特異性にあるように、私は感じていますが、似たような効果を作品にもたらした。あるいは、その点を剥き出しにした。そうは言えるでしょう。
 クレイグ・ライスの小説は、説明的な文章を省いた、凝った書き方をしています。読者に未知の登場人物名が出てきて、その説明が遅れて書かれることも珍しくありません。もっとも、晩年の短編「月明かりの死」を読むと、登場人物の手短な紹介が、メモ書きのようになっていたりして、力が落ちたころにパルプマガジンに書いたものとはいえ、謎解きミステリのデータ部分と割り切ると、ライスでもこういう書き方になるのかと、私はため息をつきました。では、凝った文章とパズルストーリイとは相いれないものなのか? この疑問を持った人は、ライスと同時代にイギリスでミステリを書き始めたクリスチアナ・ブランドに目を向ける必要があります。


小森収(こもり・おさむ)
1958年福岡県生まれ。大阪大学人間科学部卒業。編集者、評論家、小説家。著書に 『はじめて話すけど…』 『終の棲家は海に臨んで』『小劇場が燃えていた』、編書に『ミステリよりおもしろいベスト・ミステリ論18』 『都筑道夫 ポケミス全解説』等がある。


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