フランク・グルーバーは、パルプマガジン出身のミステリ作家の中で、おそらく二番目に成功した作家でしょう。一番は、アール・スタンリイ・ガードナーです。もちろん、これは商業的な意味においてです。グルーバーの人間百科事典ことオリヴァー・クエイドものは、ひところ、各務三郎が肩入れしていて、邦訳の短編集『探偵人間百科事典』(のち文庫化され『グルーバー 殺しの名曲5連弾』)が存在するのは、氏の孤軍奮闘の賜物と言っていいでしょう。かれこれ40年ミステリを読んでいますが、グルーバーを積極的に評価している日本人を、他に見たことがありません。
 ハメット以後のブラック・マスクについて書いたところで、グルーバーを相対評価しておきましたが、そこで読んだ「ストライキの死」も、オリヴァー・クエイドものでした。そのとき「厳密には、ディテクションの小説とは言えないでしょう」と書きましたが、それはオリヴァー・クエイドもの一般にあてはまることです。
 一度読んだ活字は絶対忘れないというクエイドは、百科事典を読破することで雑学知識を身につけ、その知識をセールストーク(どんな質問を出されても必ず正解してみせます!)に、相棒のチャーリー(シリーズ当初は存在していなかったようですが)と簡易版の百科事典を売り歩く、実演販売(と言うんでしょうね、これも)のセールスマンです。クエイドの初登場は1936年。「古今の人間の知識の要約。ありとあらゆる質問への解答。完璧な大学教育が一冊の本に集約」を、2ドル95セントで売り歩くクエイドは、大不況下の申し子でしょう。各務三郎の解説によれば、グルーバーはジョゼフ・T・ショウとそりが合わなかったらしく、ブラック・マスクにオリヴァー・クエイドが登場するのは、ショウが編集長をおりた翌37年からになります。また、ブラック・マスク時代のオリヴァー・クエイドもの10編は、なんらかの形ですべて邦訳されていますし、66年にオリヴァー・クエイドものの短編集がアメリカで編まれたときにつけられた序文も、「パルプ小説の生命と時代」という題名で、ミステリマガジン67年12月~68年2月号に訳されています。
 オリヴァー・クエイドは百科事典売りですから、毎回、事件に巻き込まれる形をとることになります。もっとも、商売としては見るからに胡散臭く、クエイド自身もはったりの強い性格に描かれていますから、余儀なく事件に巻き込まれ、それに立ち向かっていく姿が自然に物語を駆動していく。巻き込まれ型のプロットとシリーズキャラクターという、一見矛盾するような組み合わせは、後年、ローレンス・ブロックがバーニー・ローデンバーもので、ひとつの代表例を作ったと思いますが、オリヴァー・クエイドは、バーニーほど完全なアウトローではないにしても、その先駆者としての地位は主張できるでしょう。
 私の読んだ範囲では、工場のロックアウトに巻き込まれたところ、その工場内で連続殺人が起きる「ストライキの死」が、巻き込まれ方も、その後の展開も申し分なく、もっとも面白い作品でした。冒頭の手が込んでいるのが「不時着」です。雪の山中に飛行機が不時着し、乗員が命からがら脱出してみると、パイロットが殺されている。一方で、クエイドとチャーリーも雪山で自動車の故障にみまわれ、それら全員が助けを求めたのが、高価な毛皮用キツネの飼育で財を成した老人の家で、そこに、毛皮目当てのギャングが乱入します。『探偵人間百科事典』の巻頭をかざった「鷲の巣荘殺人事件」にもあてはまりますが、ある閉ざされた状況で、殺人が起こり、そこからいかに脱するかが、クエイドものの眼目になっています。危機からの脱出がポイントなのに注意してください。そこでは事件の解決ないしは犯人の指摘は、危機からの脱出のための手段ではあっても、目的ではありません。グルーバーは、クエイドの陥る危機について、様々な工夫をこらすことはあっても、読者を引きつける魅力的な謎を、事件に与えることはありません。ミステリマガジンに載った「クエイド馬券を買う」や、EQのビッグ・ボーナスとなった「ソングライターの死」は、シリーズとしてもおしまいに近く、長編作家として打って出る時期の作品です。この2編をシリーズ中の佳編とすることに躊躇しませんが、それでも、謎とその解決には、ありきたりの域を出るものがありません。スピーディに危機を脱出する疾走感が、クエイドものの最大の美点なのです。



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