さて、話をはじめに戻そう。シーラッハさんがくれたメールから、みなさんにもシーラッハさんの作品作りの片鱗が見て取れるだろう。物語の骨格は実際に起こった事件だが、その肉付けに別の実際に起こった出来事をはめこみながら、物語を作りあげていく。こうしたエピソードにはシーラッハさん自身のことも書き込まれている。たとえば、『犯罪』に収められている「緑」の妄想型統合失調症はじつはシーラッハさん自身がかかっていた病気だという。またシーラッハさんは十代の大半をイエズス会系の寄宿学校で過ごしている。この学校のちょっとしたエピソードが「ミステリーズ!」vol.46に掲載された「フォン・シーラッハのベルリン賛歌」に出てくるのでぜひお読みいただきたい。この寄宿学校を舞台にしたある事件が、第二短編集で描かれている。寄宿学校生たちがイルミナティ(秘密結社)ごっこをはじめ、やがてそれが悪魔退治へと発展し、ひとりの少年の人生を崩壊させ……。その物語のなかにも、さらにシーラッハさんの身近に起こった別の事件がさりげなくすりこまれている。

 そして今度は、僕が体験した出来事まで物語のなかに取りこもうというのだ。いったいどんな物語の一場面になるのか。
 だが、僕を物語に取りこんだのはこれがはじめてではなかった。シーラッハさんと奥さんがサラダと卵料理とコーヒーを注文し、僕がネギのスープを頼むと、シーラッハさんはかなり饒舌にいろんな話をしだした。僕が一番気になったのは、なんといっても三作目となる次回作のことだ。これは初長編だと聞いている。すでにほとんど書き終わっているといいながら、こればかりはまだ内容を明かせないといって、なかなか本題に入ってくれない。でも話したそうなのが目つきでわかる。シーラッハさんは小出しにした。最初に明かしてくれたのは、脇役の人生。彼はパン屋で、一世一代のケーキを作り、プロポーズをして夢破れ、日本では黒い森(シュヴァルツヴァルト)のチェリーケーキが人気だと聞いて、人生をやり直すために日本へ行くらしい。

 このとき僕は思わずいった。「それ、僕がドイツのケーキで一番好きなのですよ」
 すると「だからそういう設定にしたんですよ」とシーラッハさんにいわれた。「このあいだ、梨のタルトをごちそうしたときに、あなたがあまりにおいしいそうにあのケーキの話をしたから」
 僕は何もいえなかった。

 何もいえなかったといえば、シーラッハさんがいきなり第二次世界大戦の話題に移ったときもそうだ。じつはシーラッハさんの祖父は、ナチの大物だった。ヒトラー・ユーゲントの全国最高指導者バルドゥール・フォン・シーラッハがその人だ。『犯罪』出版以来、ドイツで時の人となったシーラッハさんは様々な媒体でインタビューを受けている。そのとき必ず話題になるのが、この祖父との関係だった。どう考えてもシーラッハさんが食傷気味なのは明らかなので、僕ははじめて会ったときも一言も祖父のことを話題にせず、今回もそのつもりはなかった。いずれ自宅にお邪魔する機会があったら、そのときこそ、誰の目にも触れていないお宝があるのではないか、と聞いてみるつもりだった。それが意に反して、いきなりシーラッハさんの方から戦争時代の話をふってきた。僕は日本が抱える戦後の問題として、慰安婦問題や中国残留孤児のことなどを話した。シーラッハさんは初耳だったらしく、かなり驚いていた。 

 シーラッハさんがなんでこんなことを話題にしたかというと、三作目はナチの黒い影を背負った戦後ドイツの法曹界がテーマになっているからだ。はじめは明かすわけにはいかないといっておきながら、約二時間の朝食の最後には「ああ、もういい」といってほとんどすべての筋を教えてくれた。ナチを追及するためのある法律に、ナチ時代から追放されずに法曹界に残っていたある裁判官がこっそりある一行を書き加え、それによって相当数のナチ残党を罪に問えなくなったらしい。そのスキャンダルが物語のモチーフになる。そこからどんな物語が紡がれていくかは、まだ明かせない。

 この物語を聞いていたとき、僕の脳裏をよぎったのが1937年に公開された日独合作映画「新しき土」(ドイツ語版のタイトルは「侍の娘」)だった。ひとしきりこの映画の話をすると、かなり映画通のシーラッハさんも、見たことがないとかなり興味津々だった。映画通といえば、「タナタ氏の茶碗」(※)でトルコ人のちんぴらオズジャンに「オーシャンズ11」(2001)をもじってさりげなく「オズジャンズ・イレブン」とささやかせたりしている。いずれ機会を見つけて読者のみなさんに紹介したいと思っているクライスト賞受賞のスピーチでも、コーエン兄弟の「バーバー」(2001)にことよせて、自分の作品世界をうまく紹介している。

 『犯罪』自体、今コンスタンティン・フィルムが映画化を進めている。第二短編集の映画化権もすでに売れている。短編集のなかから何話かを劇場用映画にし、残りをテレビ放送用に映像化するらしい。すでに『犯罪』に収録されている「幸運」が、2012年前半には公開される予定になっている。メガフォンを持つのは、ドーリス・デリエ。デリエは、ドイツ人の目を通して日本を描いたコメディタッチの映画「MON-ZEN」(1999)や「HANAMI」(2008)などで知られる、ドイツを代表する映画監督のひとりだ。映画「幸運」はドイツ・バイエルン州から60万ユーロの製作助成金を得て、すでにクランクインしているらしい。

 「幸運」は90年代のユーゴスラビア紛争で、家族をはじめすべてを失いベルリンへ流れてきて社会の底辺で生きる若い娘と、家を捨てホームレスとなった若者の愛の物語で、映画ではきっとそのへんの背景がもっと描き込まれて社会派映画の作りになるのではないかと思われる。娘の家にやってきたある政治家が腹上死し、なにかあって娘がその男を殺したと思った若者は、娘を救うために死体を隠そうとする。その結果がどうなったか気になる人は映画を待つ前にぜひ本書を読んでほしい。(了)

(※)「タナタ氏の茶碗」の「碗」は実際には正字です。


(2011年7月)

酒寄進一(さかより・しんいち)
1958年生まれ。ドイツ文学翻訳家。上智大学、ケルン大学、ミュンスター大学に学び、新潟大学講師を経て和光大学教授。主な訳書に、イーザウ《ネシャン・サーガ》シリーズ、コルドン『ベルリン 1919』『ベルリン 1933』『ベルリン 1945』、ブレヒト『三文オペラ』、ヴェデキント『春のめざめ――子どもたちの悲劇』、キアンプール『この世の涯てまで、よろしく』ほか多数。




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