もっとも、そういうスペイドの姿は、あくまでも『マルタの鷹』という傑作(だと今回初めて私は思いました。未熟者です。それでも『血の収穫』の方が好きです)の中での話に限ります。
 スペイドは1932年に書かれた3つの短編にも登場します。「スペイドという男」「赤い灯」「生きている奴が多すぎる」「赤い光」「二度は死刑にできない」「死刑は一回でたくさん」)の3作です。このうち「スペイドという男」は、早川ポケミスの『名探偵登場6』や創元推理文庫の『世界短編傑作集4』に収められていて、ハメットの短編では、日本でもっとも読まれているのではないでしょうか。この3作は、創元推理文庫では短編全集の第2巻『スペイドという男』に収録されていますが、訳者の稲葉明雄は「できばえはまずまず」として「珍品の名に恥じないところを買っていただきたい」と、ありていに言えば評価していません。一方、ダイアン・ジョンスンの『ダシール・ハメットの生涯』によると、「スペイドという男」「十番目の手がかり」の、「二度は死刑にできない」「夜の銃声」の、ともに改作となっています。後者は、まあ、そうかもしれませんが、どっちみち、両方とも凡作にすぎませんし、前者を改作と呼ぶものかどうか。ちなみに、『ダシール・ハメットの生涯』の訳書で、アメリカン・マガジン30年7月号に掲載されたのが「死刑は一回でたくさん」となっているのは、「赤い灯」の誤りだと思われます。
 稲葉明雄の評価は、首肯できるのも確かで、『マルタの鷹』の水際立った存在感を基準に考えると、これらの短編のスペイドは、事件を解決するだけの平凡な探偵にすぎません。読み返して感じるのは、犯人の境遇や犯行のシチュエーションが、イギリス流の謎解きミステリを思わせることです。つまり、ここでのスペイドは、あたかもシャーロック・ホームズのライヴァルのようです。シャーロック・ホームズをお手本とする、ディテクションの小説を、第一次大戦後のサンフランシスコのリアリズムで描くとこうなるという実例なのです。そうした観点から、注目すべき点を含むのが「スペイドという男」でしょう。
「スペイドという男」は、スペイドが依頼の電話を受けたところから始まります。依頼主は著名な犯罪に関わっていたことが周知の男でしたが、弟に罪を押しつけることで、刑務所行きを免れたのです。スペイドが男の家に行くと、『マルタの鷹』にも登場したダンディとトムの警官コンビが先を越している。すでに男は殺されていたのでした。
 スペイドとダンディたちの間には、『マルタの鷹』の緊張感はなく、かつてのコンティネンタル・オプと警察がそうであったような、協力関係が成り立っています。事件は怪しげな五芒星や被害者への脅迫状が登場し、ますますもって、シャーロック・ホームズめきます。犯人はちょっとしたアリバイトリックを用い、それを看破したスペイドが謎を解きます。というふうに、共通点だけ書き出すと、昔懐かしい探偵小説でしかありませんが、ハメットがそこに持ち込んだのは、クロノロジカルな展開とそのスピードでした。すなわち、小説の大部分は、被害者の家で終始し、証人さえそこへ呼びつけてしまう。そして、容疑者尋問で過去の出来事をくり返す退屈さ冗長さを避けるため、スペイドや警官たちが事実を発見していくそのプロセスを、切れ目のない一定の時間内に収めて、被害者の家という一場の室内劇――『マルタの鷹』で自信を持ったに違いない技――に仕組んだのです。
 同時代のアガサ・クリスティの謎解き短編の多くが、隠しようもなく持っている単調さ退屈さと比較すれば、ここにもたらされたものの意外な大きさに気づくでしょう。比較対象にしたついでに挙げておけば、クリスティがこの行き方をやってみせたのが「四階の部屋」というポアロものの短編です。
 もっとも、このささやかな先進性は、ささやかであるがゆえに、現時点でも作品を輝かしいものにするほどの威力は持ちえていません。稲葉明雄の評価の低さを埋めるには、到らないのです。それでも、ここに水源があったことは間違いがなく、それはこれから先のアメリカのミステリ(短編にかぎりません)に影響を与えていくことになります。具体的に言うと、まず、レックス・スタウトやクレイグ・ライスを読むときに、必ず思い出すことになるでしょう。
 33年から34年にかけて、ハメットは6編の短編(うち1編が未訳で、私は読んでいません)を書いています。スペイドものの3編がそうであったように、さしたる野心の見られない、雑誌の要請に応じただけの作品のように思えます。唯一の例外は、エラリイ・クイーンの雑誌ミステリー・リーグに書いた「夜陰」でしょう。クライム・ストーリイすれすれの普通小説といったこの作品は、たとえばHMMの中の一作品として読めば、その月のベストに選ぶかもしれません。ミステリー・リーグにこれを書く方も書く方なら、載せる方も載せる方というものです。そして、小説読みの鑑賞に堪えるミステリを創ろう根づかせようとする一点で、ハメットとクイーンという異質な才能が共通理解を持ったのではないかと、楽天的に夢想することも可能でしょう。しかしながら、当時、ニューヨーカーをはじめとする雑誌に掲載されたシックな短編のひとつと考えるなら、「夜陰」がその中でそれほど抜きん出たものだとは私には思えません。もっとも、この作品は、英語で読むと――つまり、そのスタイル如何によって――ワンランク上の作品である可能性もあるので、その点は留意しておきましょう。ただし、かりに原文に目を通したところで、その判定が私に出来るわけではないので、意味のないことですが。
 ハメットの死んだ61年に、エラリイ・クイーンは、未発表の短編を発掘し、EQMMに掲載しました。「不調和のイメージ」というその短編は、「ケイタラー氏の打たれた釘」に出てきた詩人探偵が出てくる、凡庸なディテクションの小説で、3人目のシリーズ探偵が存在したというだけのものでした。

 ダイアン・ジョンスンがほのめかしているように、ハメットはミステリを書くのが本当は嫌いだったとは、私は考えてはいません。しかし、同時に、ハメットは、ミステリを書きたいという欲求よりは、小説を書きたいという欲求の方が、比べものにならないくらい強かったのだろうと考えてはいます。ハメットはミステリを愛していただろうかと問われれば、それほど愛していなかったのではないかと答えると思います。ブラック・マスクに所を得て、ミステリを書き始めたのは、偶然の産物に近いのでしょうが、それでも、自分が書くかぎりは、このように書いていきたいという、作家としての野心を、それらの条件が否定するはずもありません。ハメットの出現によって、ブラック・マスクという雑誌は、ハメット化の方向へ舵をきったとされ、その結果花開いたのが、ハードボイルドミステリだと考えられています。しかし、一人称のコンティネンタル・オプは自らを描写出来ないというジレンマを、ハメット自身が納得のいく形で解消しえたとは、私には思えません。ダイアン・ジョンスンによると、ハメットは、オプものの短編のいくつかを利用して、3作目のオプものの長編を書くことを目論んでいたとあります。ハメットのことですから、それが完成していれば、読む価値のあるものになったでしょうが、それを完成させたハメットを思い浮かべることは、残念ながら出来ません。
『マルタの鷹』は素晴らしいミステリであり、素晴らしい小説ですが、一人称でもなければ、厳密には三人称一視点でもありません。そして、学ぶべきは、そんな形式的分類的なところにあるのではなく、スペイドの台詞と彼の行為の間に絶妙な差異を設けることで、抜群に陰影のある主人公を描いたことでしょう。そして『マルタの鷹』は、他の何物でもない、ディテクションの小説でした。捜査の小説であるという一事を抜きにしては、この小説は成立しません。ですが、ハメットは『マルタの鷹』に到るまでに、ディテクションの小説を書く上での様々な試行錯誤をくり返しています。その多くは失敗していますし、むしろ、ディテクションの小説を抜け出すことで、生き生きとしたアメリカ人の探偵が主人公として活躍する小説を、育んでいったように見えます。
『血の収穫』は強烈な魅力を持っています。『マルタの鷹』は名工の技の冴えを発揮しています。そして、それらの作品でハメットという作家が評価されるのは、当然のことです。ですが、同じように、ごくわずかな期間のうちに、短編ミステリで試行錯誤をくり返し、迷路に迷いながら新しいミステリの基礎を築いていったそのプロセスも――失敗も含めて――私には大切なものに思えます。その試行錯誤をも含めてもらえるのであれば、私は以下の小鷹信光のハメット評に全面的に賛成します。
「みわたしてみれば、ハメットのように書くことのできる物書きはひとりもいない。(中略)だれもハメットのようには書けない」


小森収(こもり・おさむ)
1958年福岡県生まれ。大阪大学人間科学部卒業。編集者、評論家、小説家。著書に 『はじめて話すけど…』 『終の棲家は海に臨んで』『小劇場が燃えていた』、編書に『ミステリよりおもしろいベスト・ミステリ論18』 『都筑道夫 ポケミス全解説』等がある。


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