また、ウィルスンが元々得意とする人物描写も健在だ。本作の主人公、スコットくんが実にリアルな「そこらにいそうなアメリカ人」として描き込まれている。
 物語の序盤での彼は、すでに奥さんも子供もいるというのに、その現実をもてあまし、精神的な意味も含めてタイへと逃避してきている甘えた若者として登場する。そして、物語が進むにつれて、くよくよと思い悩んでは立ち止まるくたびれた中年男になっていく。こんな派手でスケールの大きいドラマの主人公としては、あまりにも「小さい」男なのだが、それがある意味ものすごくリアルなのだ。この作品の主人公はフィクションの世界にありがちなヒーローではなく、現実の世界のそれこそどこにでもいそうな一般的なアメリカ人男性なのである。
 このリアリティを裏打ちしているのもやはり、長いタイムスパンを扱うという本作の構成なのだ。
 何十年ものあいだに少しずつ年を取っていく様子を、じっくり描き込んでいくことで、主人公のうじうじとめんどくさい性格が実にリアルに浮かび上がってくるという寸法だ。と同時に、じっくりとこの人物とつきあっていくうちに、そのどうしようもなさも含めて、わたしたち読者は彼に感情移入していける。
 このように本作でのウィルスンは、SFとしてのアイデアと小説としての人物造形という二つの側面を見事に融合し、両立させているのだ。これもまた、初期の作品には見られなかった特長だろう。

 さて、このへんで著者であるロバート・チャールズ・ウィルスンについて、若干復習をしておきたい。
 ウィルスンは一九五三年、アメリカのカリフォルニア州生まれ。六二年にカナダに移住、それ以降カナダで過ごし、二〇〇七年にカナダの市民権を得た。このため、アメリカ生まれではあるがカナダの作家として認識されていることが多い(ただし、本人はカナダのSF雑誌〈チャレンジング・ディスティニー〉のインタビューで「カナダ人作家だと言われてもピンとこない。もっとも、アメリカ人作家だと言われるのはもっとしっくりこないが」と答えている)。
 一九七四年に、ボブ・チャック・ウィルスン名義で短篇 "Equinocturne"〈アナログ〉誌に発表してデビュー。第一長篇は八六年に刊行されたA Hidden Place。同年、専業作家となり、以降、コンスタントに作品を発表している。
 ただし、評価がうなぎ登りに上がったのは九〇年代以降のようで、九四年のMysterium でディック記念賞を受賞したのを皮切りに、九五年の短篇 "The Perseids"、九八年のDarwinia、二〇〇三年のBlind Lakeでオーロラ賞を三度受賞した他、〇一年の本作『クロノリス―時の碑―』でキャンベル記念賞、〇五年の『時間封鎖』でヒューゴー賞、そして〇六年の中編 "The Cartesian Theater" でスタージョン記念賞を受賞するという高い評価を得ている。まさに今もっとも「旬」の作家の一人と言えるだろう。
 先に書いたように、その作風にはSF的なアイデアとリアルな人物造形の融合という特長があるが、本人は文芸寄りの作家と言うよりも根っからのSFファンらしく、先に引用した〈チャレンジング・ディスティニー〉誌による一九九九年のインタビューでは、自身のSFファンぶりを以下のように語っている。
 SFを書いている理由は、
「子供の頃から、SFとかファンタジーとかホラーとか、そういう不思議なものや風変わりなものが好きだった。そして、言葉を覚えたときから、何かを書くのが好きだった。その二つが結びついたのは、自然なことだ」
 だそうで、「ハードSFを読むのが好き」で、
「今、わたしたちはどんどん人間的なSFを、そして詩的なSFを書くようになってきているが、それでも、わたしたちにはハードSFがしっかりとした芯として必要なんだ」
 とか。
 この、SFに対するぶれのない愛情が、ついに作品として結実したのが、近年の傑作群なのだと言えるのかもしれない。

 さて、肝心の『時間封鎖』『無限記憶』の続編にして三部作の完結編となるVortexだが、本国では今年の夏にいよいよ刊行されるらしい。ついに仮定体のすべての謎が解かれるのかと思うと、今から翻訳出版が待ち遠しい。
 もっとも、本作のようなおもしろい作品が他にもあるのであれば、新作を待っているだけでなく、どんどん旧作の紹介も進めていってほしいところでもある。何せ未訳の長編が十作近く残っているのだ。まだまだ、日本におけるウィルスンの快進撃は続きそうな予感がしてきたぞ。

  二〇一一年四月
(2011年5月6日)


堺三保(さかい・みつやす)
1963年大阪生まれ、関西大学卒。在学註はSF研究会に在籍。作家、翻訳家、評論家。SF、ミステリ、アメコミ、アメリカ映画、アメリカTVドラマの専門家。


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